こぶとりじいさんの教訓がイカツい
最近ちょこちょこと昔話の事を書いてるんですけど、調べれば調べるほど昔話って面白いと思うんですよ。ってのも、パターンによって全然感じ方が違うんですよね。
それこそ前に紹介した、はなさかじいさん。いじわるじいさんに犬を殺され、「枯れ木に花を咲かせましょう!」と灰をまき散らすちょっと心配になるお話でございます。この話、前に紹介したバージョンだと、優しいおじいさんといじわる爺さんのディティールがわからず「これは何なんや」と思う昔話として紹介いたしました。
ただこの話も、結構バージョンによってまちまちなんですよ。そもそも、この話の肝である「枯れ木に花を咲かせましょう」というところ自体も、行きつくまでの過程が全然違うんですよね。
例えば、wikiに掲載されているあらすじでは。
犬が夢に出てきて、自分から灰を巻いて欲しいと頼むんですよ。
他にも、灰を持ち帰っている途中に風で飛んで、枯れ木から花が咲いたから巻いたというものや、畑にまいて供養しようとしたら畑から花が咲いたので枯れ木に巻いたなど、ココだけ切り取ってもかなりのバリエーションがあるんですよ。
他にも、おばあさんが登場したり、いじわる爺さんのいじわるっぷりが描かれていたりなど、本当に作品によって色んな手を加えられていて、「花咲か爺」というお題を使った、創作物が沢山あるんですよね。
そしてもう一つ面白いのが、教訓のつけ足され方なんですよ。それを一番感じたのが、こぶとりじいさんなんですよね。
まずwikiのあらすじですけど。
こぶのあるおじいさんが、鬼と出会います。
そして、鬼の前で踊りを披露してこぶを取ってもらいます。
次に登場するのが、逆側にこぶがあるおじいさんです。
彼もコブを取ってもらおうと、鬼に会いに行くわけでございます。
ただ、踊りが下手で鬼に好かれなかったおじいさん。
前のおじいさんの分も、こぶを付けられて帰ってきたって言う、そんな風なお話なんですよ。
これ、どちらかと言うと落語っぽい話じゃないですか。教訓を得るって言うよりは、昔のおかしな話みたいな感じで、ふたつのこぶを付けられてひょうたんの様になってしまった感じなんか、ちょっとユーモラスでしょ。
ある意味これが、ベースとなるお話なんですけど、ココへの教訓のつけ方が中々攻めてるんですよね。
まず、ただのコブを持ったおじいさんだったのが、やさしいじいさんといじわるじいさんに変わっています。
どうしてやさしいおじいさんに、「交友関係は選べ」と言ってくれる優しい友達がいないのかはさておき、優しいおじいさんはコブを取ってもらいに祈りに行くわけなんですね。
そして物語は展開します。
お願いをしていると、鬼に遭遇するんですよ。
すげぇでしょ、じじぃ。
若いころ、遊びまくってたとしか思えんチャラさ。
そしてもう一人のおじいさんパートに移ります。このお話の優しいおじいさんは、きっと「まじ鬼、パネェ~!お後がヒュウィゴー!」とか言うたんでしょう。
とはいえここまで来ると、なんとなく展開が読めてくるやないですか。
熱心にお願いして願いが叶う優しいおじいさんと、努力もせず自分の欲望だけをかなえて欲しいと願ういじわるじいさん。
やさしいおじいさんといじわるじいさんという対比は、いかに教訓を与える設定として優れているかが、なんとなく読み取れるかと思います。
お願いもしない、いじわるなおじいさん。
適当にその場をこなし、こぶだけ取ってもらおうと悪知恵を働かせると言ったストーリーが想像される次の展開。
どうですみなさん。
シンプルにダンスへたじぃ。爆誕ですわ。
ただお気づきでしょうか、この話。
やさしいおじいさんといじわるじいさんが出てくるのに、踊りが下手なだけでじいさんコブ付けられてんすよ。
一応バリエーションとして、いじわるじいさんの意地悪さを強調させるエピソードが付け加わってたり、やさしいおじいさんの善意を踏みにじるような事が足されてたりっていう変化はあるんですよ。でも、結局いじわるじいさんがコブを付けられる理由は、踊りが下手だからであって、どのバリエーションでも、コブと性格の良い悪いが全く関係が無いんですよね。
つまるところ別にいじわるじいさんでも、踊りが上手ければコブは取ってもらえたし、逆に優しいじいさんでも、踊りが下手だとコブを倍にされちゃってた可能性だってあるわけです。
そうなんですよ、詰まる所この物語の教訓。
「実力があれば、性格の良し悪しなんて関係ない」なんですわ。
さっき紹介したあらすじサイトでも「このお話からは『人を羨まずに、自分の身の丈に合った行動をしなさい』ということがわかりますね。」という言葉で、記事が締めくくられています。
教訓が、「人を羨まずに、自分の身の丈に合った行動をしなさい」ですよ?
この時点でめちゃめちゃ攻めてると思いませんか?
加えて、優しいおじいさんといじわるじいさんという対比があって、お堂に熱心にお願いする側としない側を分けてるんですから、そこも比較するべきじゃないですか。わざわざその設定を作って置いて、あえて使わずエンディングを迎えてるんですから、結局実力だけで物事が決まったってことでしょ。
すなわち教訓が「性格の良し悪しではなく実力」になるんですよ。ユーザーの八割が子供だと思う昔話の世界で、「実力があれば、性格の良し悪しなんて関係が無い」が教訓の昔話ってすげぇ攻めてると思うんですよね。
そしてこの形の設定が、王道になるってことが、俺はめちゃくちゃ面白いと思うんですよ。
このお話だって、「いじわるじいさんも踊りはうまかったが、お堂にお祈りもしない奴は、こぶを付けてやる」で良かったはずです。
ベタな王道まっしぐらなストーリーに見えて、実は攻めた展開をしている昔話の世界。これからもちょっとずつ楽しんでいきたいと思う次第でございます。
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