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初恋の話

しばらくnoteを更新できていなかったが、最近ふと昔のことを思い出し、どこかに書き留めておきたかったので久々にnoteを書いてみようと思った。今回は、僕の小学生時代の初恋について書こうと思う。

初めに断っておくが、特別ドラマチックなことはなかったし、飛び抜けた悲劇も起こっていない、ごく普通の、ありふれた小学生の恋心の話である。それでも、心にある種のしこりのようなものを残した、自分にとっては忘れられない初めての恋の話だ。


その頃僕は小学3年生だった。山と田んぼに囲まれた田舎町の中、B谷小学校という学校に通っていた。通学は徒歩で片道1時間かかり、豊富な自然に囲まれていることもあり、野生の動物や昆虫と触れ合う機会が多く、僕は自然と動物が好きな少年に育っていた。

B谷小学校は市内でも指折りの人口過多な学校で、全校生徒は総勢1000人程度、ひと学年150人以上のマンモス校だった。先生たちは大人数の生徒の相手をしなければならず大変だっただろうと思うが、僕を含め多くの児童は、大きな運動場や裏山で毎日のびのびと遊ぶことができており、大人数を受け入れることができる環境の整った学校だったように思う。

僕はどんな小学生だったかと言うと、今思えばかなり厄介な問題児だったと思う。素行が悪かったというわけではなく、むしろ勉強の成績は常に良く、運動もまあまあできる方だったし、友達も多かった。では何が問題児だったかというと、端的に言うとかなりのひねくれ者だったということと、歪んだ正義感を持っている子どもだった。授業中に先生にわざと意地悪な質問をして、答えられないと馬鹿にして笑ったり、生意気にも先生の知識を試すような行為を繰り返していた。また、動物や昆虫が好きだったので毎年生き物係を担当していたのだが、動物を傷つけたり蔑ろにする生徒がいると許すことができず、動物が受けた苦しみと同じ苦しみを味わえば良いと考えて徹底的にいじめ抜いたりしていた。思い返すと大人に対しても同級生に対しても本当に失礼で迷惑なことをしていたと思うし、今でも性格の根っこの部分は変わっていないと感じることが多い。

そんなひねくれ者の僕だったが、周りの小学生となんら変わらないところもあり、3年生の時に初めて好きな女の子ができた。その子の名前をNちゃんと呼ぶことにする。

Nちゃんはとても愛嬌があり、活発でよく笑い、いつもみんなに優しくて、男子女子を問わずクラスのみんなから人気があった。何より顔が本当に可愛かった。多分、顔がとても可愛くて、それで好きになった。そこは本当に単純な子どもだったと自分で思う。

Nちゃんとは名簿順が近く、僕のひとつ次がNちゃんだった。そのため、学期が始まる頃には席がすぐ前と後ろだったし、掃除など何かとローテーションされている係の作業を一緒にやることが多かった。Nちゃんと僕はすぐに仲良くなったし、休み時間も一緒に遊ぶことが多かった。

ある時、僕がNちゃんとことを好きなんだと自覚する決定的な出来事があった。課外授業のようなもので、「親にインタビューして自分の名前の由来を聞き、クラスのみんなの前で発表する」という授業があったのだ。

名簿順に発表することになり、僕は自分の番が来ると、親から聞いた自分自身の名前の由来を発表した。

「どこまでも遥か遠いところまで夢を追えるように、という意味を込めて『J』という名前をつけたらしいです。また、末広がりで縁起が良い漢字だそうです。」

普通に自分の発表を終えた。次はNちゃんの番だった。

Nちゃんは起立して、インタビュー用のプリントを眺めていた。その時、僕はNちゃんがいつもと様子が違うことに気づいた。いつも明るく笑っているのに、その時は全く笑顔がなく、表情がこわばっているように見えた。Nちゃんの発表が始まった。

「◯◯の…………△△、という意味でつけたそうです……。」

淡々と、漢字2文字の自分の名前を、ただその漢字の意味の通りに説明しただけで、すぐに発表を終えて着席してしまった。明らかに、少し様子が変だった。

「……素晴らしい、ですね! はい、では次の方、発表しましょうか!」

先生が言った。なんだそれは。明らかに様子が変だったじゃないか。小学生の僕が気づいて、先生が気づかないなんてありえない。周りのみんなだってなんかおかしいって思ったはずだ。なのに、触れなかった。フォローを入れたつもりなのか?僕は先生に対して少し怒りを覚えていた。

次の子の発表が始まってからも、僕はずっと横目でNちゃんの方を見ていた。発表が終わってからも、Nちゃんの様子は変だった。俯いていて、顔を真っ赤に紅潮させていた。

どうしたんだろう。色んなことを考えた。
Nちゃんの名前は漢字二文字で、綺麗な海を思わせる美しい名前だった。何か、親は願いを込めて名付けたはずだ。でもNちゃんは、漢字二文字のそのままの意味を説明しただけで、着席してしまった……。

Nちゃんは、もしかして、親に自分の名前の由来を教えてもらえなかったんじゃないだろうか。尋ねることすらできていなくて、親はこの課題のことを知らなかったりするんじゃないだろうか。それか、何か人に説明したくないような意味を教えられたんだろうか。色んな可能性を考えた。今まで、Nちゃんが自分の家でどんなふうに過ごしているのかとか、考えたことがなかったが、この時初めて想像した。もしかすると、Nちゃんは親とあまり仲が良くないのかもしれない。もしそうだとしたら、可哀想だ。Nちゃんが可哀想だと、辛い。なぜだか、自分が辛い。僕は、自分以外の他人の気持ちを想像して、それによって嬉しくなったり、悲しくなったりしたことがなかったが、その時初めてNちゃんの気持ちを想像して辛い気持ちになった。そして、もしNちゃんが辛いんだったら、僕はその辛さを取り除きたい、そういう力が欲しいと思った。その時はっきりと、自分がNちゃんに対して特別な感情を抱いていることを自覚したのだった。



放課後、帰る準備をする時に少しNちゃんと話した。Nちゃんは、もういつもの様子に戻っていた。明るく、フランクで、他愛もない会話をした。

「今日、名前の由来、授業中で話したじゃん。」

なんとなく、言ってみた。Nちゃんはきょとんとしていた。

「僕はNちゃんの名前、好きだよ。なんか、綺麗な海の景色が見えてくるような感じがしてさ。」

Nちゃんは目をまんまるに見開いて、しばらく黙っていた。なんか、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。何で今そんなことを言ったんだろう、自分でも良くわかっていなかった。

しばらくすると、Nちゃんはふふ、と笑って、笑顔になった。

「ありがとうね。じゃあ、ばいばい。」

Nちゃんは帰っていった。僕はしばらく呆然と突っ立っていたと思う。

頭の中で、Nちゃんの笑顔と、「ありがとうね」という言葉が何度もリフレインしていた。僕はなんだか堪らなく嬉しかった。笑ってくれた。変なことを言ってしまった気がするけど、笑ってくれて良かった。Nちゃんが嬉しそうにしていると、自分も嬉しい。僕はきっとNちゃんに良いことを言えた。そう思った。


そのことがきっかけだったんだろうか。元々僕とNちゃんは仲が良かったが、前よりももっと仲良くなっていった。休み時間はずっと二人で話していたし、放課後は家に帰らなきゃいけないギリギリの時間まで教室に残って、Nちゃんと話したり、遊んだりしていた。

給食当番も、必ずNちゃんと二人で協力してやるようになった。ある時、カレーやお味噌汁といった汁物が入っている一番重い「大食缶」と呼ばれている容器を、二人で協力して運んだ。

Nちゃんは左利きだった。Nちゃんが左手で大食缶の左側を持ち、僕が右側を持った。運んでいる時に、ふとNちゃんに言ってみた。

「自分が右利きで、Nちゃんが左利きで良かったよ。」

Nちゃんは笑った。

「私、左利きで良かった!」

毎日、なんだか幸せだった。



9月になった。運動会の季節だ。

僕は相変わらずNちゃんと仲良くしていて、運動会ではリレー競走で、僕からNちゃんにバトンを渡すことになっていた。

運動会当日、リレー競走が始まり、前の方の選手が走っているのを見ていた。
僕たちは走る順番に列に並んでいて、僕の後ろにはNちゃんが座っていた。
Nちゃんはずっと、僕の背中に小石や砂を投げたり、背中をつついたりして遊んでいた。

その時、クラスの男友達のK君が、Nちゃんに声をかけた。

「Nちゃんさあ、Jのこと好きなんだろ!」

ぎょっ、とした。いきなりなんてことを言うんだ。僕の頭の中はパニック状態になっていた。

僕はNちゃんのことが好きで、Nちゃんが僕のことを好きだったら、それはめちゃくちゃ嬉しい。嬉しい……けど、そうだったら一体何なんだろう。何か僕とNちゃんの関係は変わるんだろうか。いや、楽観的すぎるかもしれない。Nちゃんは僕のことをただの友達としか思っていなくて、全然好きじゃなかったりして……


「うん、好きだよ。」


Nちゃんが言った。

頭の中が真っ白になった。


どういうこと?僕とNちゃんは両思いだっていうこと?でも、だったらなんなんだろう。


僕の頭の中は完全にパニックに陥っていて、無意識に口から出た言葉は、

「それが、どうしたん?」

だった。

Nちゃんは黙りこくって俯いてしまった。ちょっかいをかけてきたK君は、気まずそうにしている。まずい、やってしまった、混乱して、なんか決定的に間違えている言葉が勝手に口から出てきてしまった。でも、僕がNちゃんのことを好きで、Nちゃんが僕のことを好きだったら、それが一体何?という気持ちは本物で、思い返してみると僕はまだ小学3年生で、恋愛なんてしたことがなく、「付き合う」といった概念やなんかも何も脳内に持っていなかった。本当に、「それが、なんなんだろう」という疑問が正直に口から出てしまった、ただそれだけだったように思う。


本当に長い沈黙の時間が流れた。僕の頭の中のパニックは収まっておらず、Nちゃんは相変わらず俯いて、今にも泣き出しそうな顔をしている。ああ、やってしまった、でも、なんて言葉をかければ良いのか分からない。一体どんな言葉を……


そうこうしているうちに自分の番が回ってきた。バトンが渡され、僕は走り始める。一旦、走ることに集中しよう。走るだけ。一生懸命走るだけ。それだけに集中しよう……。


グラウンドを一周回った。Nちゃんの背中が見える。僕はNちゃんにバトンを渡さなければいけない。どんどんNちゃんの背中が近づいてくる。

Nちゃんは一度も振り返らず、僕の顔を見なかった。練習の時は一度もそんなことはなかった。毎回、僕に応援の言葉を投げかけてくれて、僕の顔をずっと見てくれていた。でも今回は違った。僕は結局Nちゃんの顔を見ないまま、バトンを渡した。Nちゃんが走り出す。Nちゃんの背中が、遠ざかっていった……。



それから後のことは、何も覚えていなかった。気がついたら運動会は終わっていた。Nちゃんとはあれから一度も話してない。Nちゃんと話したい。でも、Nちゃんはもうどこかに行ってしまっていて、見つけることはできなかった。その日は、そのまま親と一緒に家に帰った。



その日を境に、Nちゃんは僕を避けるようになった。


今までは休み時間も、放課後もずっとNちゃんと話していたのに、Nちゃんが僕に話しかけてくれることはなくなり、無視されるようになった。時々目があっても、Nちゃんはすぐに目を逸らして、僕を見ないようにしていた。

辛い。Nちゃんと話せないことがこんなに辛くて悲しいことだとは。僕はその時生まれて初めて、ずっと心臓が冷たい何かで締め付けられているような苦しい気持ちを味わった。でも、僕のせいなんだ。あの時、「それがどうした」と言ったのは僕なんだ。僕が全部悪い。人生で初めて、自分で自分を責めていた。


「謝ろう。」


そう思った。混乱してしまって咄嗟に冷たい言葉を投げかけてしまったこと、Nちゃんの気持ちを踏み躙ってしまったこと、全部ちゃんと謝ろう。そして、僕の本当の気持ちを伝えよう。僕も、Nちゃんのことが好きなんだという気持ちを、正直に伝えよう。ずっと好きだったこと、一緒に話していた時間が幸せで楽しかったことを伝えよう。そう決めた。



「Nちゃん。」


本当に久々に、Nちゃんの名前を呼んだ。Nちゃんが振り返って、僕の顔を見る。

「何…………?」


Nちゃんは表情を変えずに問いかけてきた。目の中に、光がないように見えた。また、その態度はどこか冷淡な感じがした。怖かったけど、僕は言った。


「あの、Nちゃんに話さなきゃいけないことがあって、謝らなきゃいけないことがあって、だから…………」

生唾をごくん、と飲み込んだ。


「今日の放課後、僕と話してほしい……。」


Nちゃんはしばらく黙って突っ立っていた。一瞬俯いた後、返事をせずに、教室の外へ歩いていってしまった。


今日の放課後、全部話そう。でも、もしNちゃんが放課後残ってくれなかったら…………いや、その時はもう仕方がない。Nちゃんに謝る機会はもうない。機会を作ってはくれない。僕はそれくらい、彼女を傷つけるような酷いことを言った。だからその時は、もう仕方がない……。






授業が終わり、帰りの会が終わった。クラスのみんなは、談笑しながら、次々に教室を出て、家に帰っていった。僕はずっと自分の席に座って、目を閉じていた。Nちゃん、お願いだ。僕と話をしてくれ…………全部謝るから、全部、伝えるから。話をさせてくれ…………



何分経っただろうか。教室は静まり返っていた。僕はゆっくりと目を開いた。



窓際に、Nちゃんが立っていた。



Nちゃん!!


すぐに駆け寄りたくなった。泣き出しそうになった。Nちゃんは教室に残ってくれた。ありがとう…………全部、話すから。今話すからね。


「Nちゃん……」


彼女の名前を呼んだ。僕が好きな、綺麗な海を思わせるような美しい名前。何日振りに声に出して呼んだか分からなかった。


「J……くん……」


Nちゃんも、僕の名前を呼んだ。


僕は無意識に、Nちゃんに駆け寄って行った。




「Nちゃん、あのね、僕は、謝らなきゃいけなくて、僕は、本当は、…………」


その時だった。


視界が突然赤黒く塗りつぶされ、何も見えなくなった。何も聞こえなくなった。ただ、赤黒く底の見えない渦巻きのようなものが視界いっぱいに広がり、僕はその中に吸い込まれるように、奥の方へ、奥の方へと突き進んでいった。赤黒い渦巻きはどんどん暗い色になり、次第に壊れた機械のような甲高い金属音が鳴り響き、ギーーンと強い音を立て、突然、ぷつり、と意識を失った。





目を覚ました。


あれ、僕は、Nちゃんに駆け寄って、それで…………


ふと周りを見ると、真っ赤な血の海が広がっていた。


なんだこれは。



教室の床は大量の血液と、黒い髪の毛と、ばらばらになった肉片で埋め尽くされていた。僕は瞬時に、なぜかそれが元々Nちゃんだったものだということを理解していた。

温かく、生臭い匂いが鼻腔の奥をツンと刺激して、目から涙が溢れた。手で涙を拭おうとすると自分の腕はNちゃんの血で真っ赤に染まっていて、肉片がこびりついていて…………いや、それだけではなかった。

自分の腕は人間のそれではなくなっていた。多量の体毛でびっしりと覆われた腕が肩から虫のように細長く伸びており、手のひらを見ると、指がなかった。指の代わりに、2本の石のように硬そうな蹄(ひづめ)がついていた。

僕は両腕を眺めた。元々白かったであろう体毛は血で赤黒く染め上げられており、2メートルはあろうかという細長い腕の先端には蹄がついている。僕はこの鋭い蹄で、Nちゃんの服を、肉を、髪を引き裂いてしまったのだということを自然に理解した。

足元を見ると、血の海に自分の顔が映って見えた。ヤギの顔だった。瞳孔は不気味に細長く横向きに伸びており、頭からは禍々しく巨大な角が2本生えていた。口元はNちゃんの血で真っ赤に染まっており、それは僕がNちゃんの肉をこの口で食べ散らかしてしまったことを意味していた。

目から涙がぼろぼろと零れ落ちてきた。涙は顔の毛を濡らし、頬を伝ってNちゃんの血の海へぽたぽたと落ちていった。僕は泣き叫んだが、僕の口から出る声はもはや人間の声ではなく、どすの効いた野太い異形のヤギの鳴き声であった。



「evil……」



無意識にそう呟いていた。


Nちゃんの血は教室の床をゆっくりと伝って広がってゆき、視界は赤黒い色で埋め尽くされていった。まるで、真っ赤な血の海に沈んでゆくような気分だった。



















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