純文学シナリオ『神様にしか解けない智慧の輪』試し読み
『神様にしか解けない智慧の輪』あらすじ
わたしが昔、住んでいた町。通りかかった空き地で、同い年の美しい「有実」に出会う。降ったり止んだりの俄か雨みたいな蝉の声が降り注ぐ、真夜中の空き地。当時近所で起きた凄惨な少女の死。今はもうなくなってしまった黄色い道。ピンク色のビーチサンダル…。絶望的な真実を思い出すまでの、つかのまの物語。
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1
黄色い道(回想)
赤い、重たいランドセルをしょっていた。
延々につづいているかのような線路沿いの道。後ろから、前から、踏切の声が聞こえる。電車が大きな音を立てて追い越していく。ちょうど正面に夕焼けがあって、ゴム跳びをする女の子たちの輪郭が逆光にきらきらして綺麗だった。まぶしくて、うつむいて通りすぎる。
脇に逸れると「黄色い道」と呼ばれている道があって、左から強く陽射しが照りつけて、家並みから伸びた影の中を選んで歩いた。
少し前を、知らない大人の男の人が歩いている。
他には誰もいない。
一歩踏み出す毎に、歩く震動でランドセルがガタガタ鳴った。
目の前の男が立ち止まる。
二人以外、誰もいない道。
男はゆっくりこちらを振り返った。
目が合う。
2
夏の空き地(夕方)
膝の高さまで生長した雑草。
乱暴なくらい蝉の叫びが鳴っている。
まるで水の中にいるように、視界全部を青い夕方が浸している。
わたしは空き地の中央までやって来る。きみどり色の手提げ鞄を提げている。
そちこちに無造作に落ちているコンクリートのブロック。
立ち止まり、静かにスキップの練習を始める。スキップが上手にできないわたしは、かつてこの町で体験した、子供の頃を思い出す。拭おうとしても拭いきれないみじめな気持ち。
*
空き地の外。
自転車を押してくる人影が立ち止まり、フェンス越しにわたしの姿を見つける。彼女は自転車をそこに止め、前かごの中からビニール袋を持ち上げる。かすかにガラスのぶつかりあう音がする。
*
気配を感じ、わたしが後ろを振り向くと、大きなビニール袋を提げた同い年くらいの、知らない女の子が立っている。
彼女 何してんの?
沈黙。
彼女 あんた、誰?
わたし ……。
彼女 何してんの?
わたし ……スキップ。
彼女は落ちているコンクリートのブロックをざっと見渡す。
彼女 このブロック、動かしてないよね?
わたし うん。
彼女は美人で、わたしは半分見惚れるようにその場に突っ立っていた。
彼女はしゃがみこみ、ビニール袋の中からガラスのビンを次々と取り出し、コンクリートブロックの上へ並べていく。ひとつひとつのビンの中には、さまざまなものがそれぞれ丁寧に収まっている。
ビン詰めの十円玉。
ビン詰めの枯れ葉。
ビン詰めの土。
ビン詰めのビスケット。
ビン詰めの蝉の抜け殻。
ビン詰めの鉛筆。
「透明」のなかに収まった、「茶色」が並ぶ。
わたし わぁ、すごいね。
触れようとして手を伸ばすと、
彼女 さわらないで。
その声はさして怒っているでもなく、ビンをさっとよけた。
わたし ね、この近所に住んでるの?
彼女は無視する。
配置にはルールがあるみたいだった。彼女だけが分かるルール。コンクリートブロックの向きをかえたり、ビンのふたを少しゆるめたりしながら、彼女はそれぞれをあるべき位置へ配置していく。
わたし 何してるの?
彼女 おまじないだよ。
わたし おまじない?
彼女 うん。
わたし 何のおまじない?
彼女 しあわせになれるおまじない。
わたし あはっ、しあわせになれるおまじない。
わざとちょっと馬鹿にするようなニュアンスを混ぜた。
彼女は真顔で言う。
彼女 そうだよ。
わたし どうするの?
彼女 いろいろ向きとかあるんだよ。毎日少しずつ違うんだ。
わたし 毎日こんなことしてるの?
彼女 うん。日が沈む時間には来るよ。毎日。
わたし 昼間は何してる人?
彼女 おまじないの準備してるよ。
わたし え?
彼女 けっこう大変なんだから。ビンを拭いて、材料選んで、量って。
わたし ……材料も日によって違うんだ?
彼女 当たり前じゃない。
振り返った彼女の端正な顔。
わたしは気後れする。
わたし 大学生?
彼女 違うよ。
わたし 働いてるの。
彼女 んーん。
わたし フリーター?
彼女 ……。
わたし 職業は? 無職? ニート。
彼女 ばかばかしい。
わたし ……。
彼女 一緒に、おまじないする?
わたしは二十歳で、現役で大学入学しててアルバイトもしてそれなりにおしゃれもして、まっとうな人間よ。見た目は良くないけど、不細工っていじめられるほどじゃない。ふつうの顔。
わたし それ、したら、誰でもしあわせになれるの?
彼女 さあ。私はなれるけど他の人は知らない。
彼女は無表情に、まるでどうでもいいというふうに答える。彼女は堂々としている。ニートのくせに。
わたし しあわせになれるっていう根拠はあるの?
彼女 え、コンキョ?
あまりに純粋に訊き返されたので、わたしはたちまち、自分の口にした言葉がどれだけくだらなく安っぽい響きだったか分かり、恥ずかしくなる。それでも強気なふりをして
わたし 私はとっても幸せだけれど、もっとしあわせになることにするから一緒におまじないさせて!
彼女 じゃあ、こっちに来て。
言われた場所へ行く。
彼女 二人だと、またやり方が違うんだよ。手をこうして。
わたしと彼女は向かい合って立つ。お腹の高さで手のひらを上に向け、右手と左手を、わたしと彼女が交互に重ね、層になって重なり合う四枚の手のひら。
彼女 目をつむって。いいって言うまで、何も喋っちゃだめだよ。
わたしはうなずく。
青い夕方は、しだいに濃さを増している。蝉たちがまた鳴き始める。わたしと彼女は黙り込み、静かにしあわせを祈る。
とても長い時間が流れた。
(本当は五分か十分ほどだったのかもしれないけれど、とても長く感じた。)
そっと、重なり合った手のひらから、彼女の手が抜け出した。どうすればいいのか分からず、わたしは目をつむったままでいた。
しばらくしておそるおそる目を開けると、コンクリートブロックの一つに腰掛けた彼女が、空をじっと見上げている。
わたし ……何してるの?
彼女 金星の観察。
わたし おまじないは?
彼女 何?
わたし しあわせになれるおまじない。
彼女 あー……。終わった。
わたし 終わったの?
彼女 うん。
わたし いつのまに終わったの?
彼女は金星の観察に集中している。
わたしは馬鹿にされたんだ。胸の奥が苦しくなる。こんな自分が嫌になる。わたしはいつも自分に自信がない。
またスキップの練習を始める。おかしなスキップ。片足を上げて、ジャンプする。それで着地の瞬間、上げる足をもう片方の足に変えて、またジャンプする。これをテンポ良く。他の子のスキップを見て、教えてもらって、昔必死で練習をした。頭では分かっていても、できない。
空を見上げていた彼女は、わたしのほうに目をやると、立ち上がって言う。
彼女 こうだよ。スキップ。
その場で少しやって見せる。
わたし え?
彼女 それじゃけんけんぱだよ。
わたし だから練習してるんだよ。
彼女 そっか。
わたし もっとちゃんとやって見せてよ。
彼女、雑草を踏みつけながら、空き地じゅうスキップで駆け回る。
わたしは急に嬉しくなる。涙がでそうなくらいに、物凄く。
彼女 分かった?
わたし 雑草が、イタイ、イタイ、言ってるよ。
彼女 あんたがやれってゆったんでしょ。
わたし あー。
彼女 大丈夫だよ。踏まれたって。雑草なんだから。
わたし ゆき!
わたしは自分の名前を叫んだ。
彼女 え?
わたし 私の名前はゆきです! 右利きです!
彼女の関心がわたしに向いたことが、なんだか泣けるくらい嬉しくなって笑う。テンション撥ね上がって、わけわかんなくなって、泣きながら情緒不安定みたいにげらげら笑う。
彼女 ……あんた、今何か、やってんの?
わたし 今はやってない! 昔、そろばん習ってたけど!
彼女 そゆんじゃなくて。
わたし え?
彼女 クスリとか。
やばい。引かれてる。わたしは不安定をととのえる。呼吸をゆっくりする。必死で気持ちを落ち着かせる。
わたし やってない。
彼女 ごめん。
わたしは首を横に振る。ほほ笑みかける。まっとうな人間として。
わたし はじめましてだよね。名前なんていうの?
彼女 ……ゆみ。
わたし ゆみ?
彼女 うん。
わたし 私、ゆきだから一字違いだね。
彼女 そうだね。
わたし どんな字?
わたしの携帯が震える。
彼女 有る無しの有るに、木の実の実。実りが有るって書くの。
わたしは携帯に出る。
わたし どうした? うん、そっかー、でもやめとく。えっ?……えっと空き地。んーん違う。……うん。あ! ごめん、日曜バイト入ったんだった。なんか代わったげたの忘れてた、ごめん。じゃあさ、ちょっと待って。
鞄の中を探る。
わたし 空いてる日探すから、うーん、だからちょっと待ってって!
手帳を開く。
わたし あーだめだ、ん、火曜日は?
わたしは電話をしながら有実の様子を見る。
またブロックの一つに腰掛けて有実は「金星の観察」をつづけている。その横顔を見詰めている、わたし。
わたし なんかカレーの匂いする。
有実がわたしのほうを振り返る。
わたし ははっ違うって! どっかから匂いがすんの。違うよ! じゃあ水曜日? うん、分かった。うん、またね、うん、バイバーイ。はーい。
有実がわたしに話しかけようとする。
切りぎわ電話の相手が何かを喋る。わたしは有実と目を合わせている。
わたし え? えっと、ジュンク堂? かな、……の、就職関係んとこに置いてた。うん、なぜか。はい。はーい。
わたしは携帯電話の通話を切る。
有実 カレー。
わたし うん、するね。
有実 ……どの家からだと思う。
わたし どこだろ。
有実 うちだよ。
わたし へ?
有実 うち、今日、カレーだから。
わたしは空き地を取り囲む住宅を見渡す。
わたし どの家?
有実 この家の、奥。
わたし へー。
有実 ……ゆきの、家は?
有実に名前を呼ばれたのが嬉しい。
わたし あー、あたし、このへんじゃないんだ。もっと、とおくの、……遠くの家。
フェンスの外に停められた自転車が目につく。
わたし 自転車……。
有実 あたしのだよ。
わたし こんなに近くなのに自転車。
有実 好きだから、自転車。
わたし あたしは歩くほうが好き。
有実 とおくから歩いてきて
わたし 電車で来た。
有実 電車で来て、なんでこんな空き地でスキップしてんの?
わたし 昔、この近所に住んでたことがあるんだ。それで、なんとなくふらっと。さっき見てきたら、私が住んでた家、取り壊されて、今は売れてなさそうな空っぽの分譲住宅が並んでた。保育園はどうなってんだろう。公園は。
有実 「黄色い道」って知ってる?
わたし 知ってる! 線路沿いの少し入ったところだよね。あの辺りもどうなってんだろ。
有実 黄色い道はもうないんだよ。
わたし え! どういうこと?
有実 ただの道になってる。黄色くなくなってるの。
わたし ……そうなんだ。
有実 黄色い道で、昔、女の子がさらわれたの知ってる?
わたし 知らない。
有実 小学一年の時、同じ学年の子だった。
わたし ……。
有実 その子はね、花模様のついたピンクのビーチサンダルがお気に入りだったの。でも校則でサンダルは禁止だったから、家で履き替えてから遊びに行くことにしてた。そこの児童公園で、私、よく一緒に遊んでたんだ。ある夜中、黄色い道で男にさらわれて、次の日の朝、その子は、いつもの児童公園の公衆トイレの貯水タンクの中から発見された。
わたし ……殺されたの?
有実 すごく仲良かった。……でも、あの子の名前が思い出せない。
有実は冷静に話す。
わたし しあわせのおまじない。
有実 ……。
わたし 叶うといいね。
有実、うなずく。
わたし 金星の観察、あたしもしようっと!
たくさんあるコンクリートブロックの一つにわたしも腰掛ける。
有実 気をつけて。
すわったまま、ビンを指して有実は言った。
わたし どうしたらいいの?
有実 まだそのままにしておいて。
わたし うん。
もう辺りは夕闇に近くなっている。いつのまにか街灯が点っている。
空を見上げる有実とわたし。
わたし どれ? 金星。
有実 知らない。
わたし え! 知らないの!
有実 うん。
わたし マジかよ。
有実 西の空の低いところにあるはずなんだけど、どのくらい低いのかとか、全然分かんないし。
わたし 何それ! 意味ない!
またわたしは一人で笑った。有実は相変わらずポーカーフェイスで空を見る。
有実 ハンカチが降ってくる。
わたし え?
有実 それが合図だよ。おまじないが叶ったっていう。まっ白な、木綿の、無数のハンカチ。夜の空から降ってくるんだよ。
わたし ロマンチックだね。
有実 ……この空き地、子供のころ何だったか覚えてる?
わたし ……分かんない。
有実 けっこう前から空き地なんだよ。昔は何かが建ってた気がするのに。親に聞いても忘れたって言う。そんなもんだね。
沈黙。
有実 黄色い道の女の子ね、貯水タンクの中から発見された時、女の子の体は沈んでたけど、ビーチサンダルは浮いてたんだって……。あたしもスキップしよっと。
立ち上がり、その場でスキップする有実。
わたしはガスの匂いに気づく。
わたし ねぇ、ガス臭くない?
有実、スキップをやめる。いろんなほうを向いて鼻で息をしてみるが、分からない。首を傾げる。
わたし ガス漏れかな。
有実 誰か自殺してんじゃない。
わたし なんかどんどんひどくなってない?
わたしはパニックになる。
有実 天然ガスじゃ自殺はできないから大丈夫だよ。
わたし やばいよ、これ!
有実 匂いなんてしないよ。
わたし こんなにガス臭いのに? 気づかないわけないでしょ!
わたしは金切り声で有実を責める。
有実 そんなにするの?
わたし どこからだろ?
有実 どこから?
辺りを見回す。
わたし 分からない。
有実 見てくる。
有実は空き地の外へ出ていく。
わたし 待って! あたしも行く。
追いかけるが、携帯電話が震えて立ち止まる。
有実は先に行ってしまう。
電話をとる。
わたし はい。
さっきとはまた違う相手。わたしは空き地に戻りコンクリートブロックに腰掛け、夢中になって喋りだす。
空き地じゅうにガスの匂いが充満する。
めまい。
オルガンの音。
わたしは楽しくてげらげら笑ってお喋りをしている。
わたしは幸せで幸せで仕方ない。涙が滲み出てくる。
空間がねじれる。
黄色い道(回想)
あの頃の記憶。
黄色い道がぽかんと浮かんでいる。
欲張りなくらい、夕焼けに焼けた道。
どこかの家からオルガンの音が聞こえる。
男がひとり歩いている。ビニール傘を引きずって、黄色い道を歩いていく。
(続く)
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