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ド素人なりに仏教について調べてみた③

今回は②でまとめた鎌倉仏教の中から『浄土系・禅宗系の宗派』について書いてゆこうと思います。


1.浄土系宗派

鎌倉新仏教の二大宗祖は法然と親鸞です。
二人共天台宗出身で、親鸞は法然の弟子なのでもとは浄土宗の僧侶です。法然は浄土宗の開祖、親鸞は浄土真宗の開祖です。

親鸞はあくまで法然の一生涯の弟子であると自認しています。なので、新たな宗派の宗祖になるつもりはありませんでした。

1-1.浄土宗

開祖:法然(1133年~1212年)
総本山:知恩院(京都、東山)

法然は比叡山で修行していましたが、当時、乱れた生活をしていた天台宗の僧侶を批判して、天台宗を去ります。
天台宗を去って浄土宗を開いたとき「民衆にも届く仏教」を目指しました。

また、天台宗の教えが濃ゆかったのを、法然がもっと簡素化し『専修念仏』という形にしました。
『専修念仏』とは「念仏のみ、厳しい修行や教育を受けなくともいい」というものです。

法然は念仏以外の行為は、阿弥陀仏の本願を妨げるとして、念仏以外は禁止しました。
法然は、それまで女人禁制だったのを、女性にも門戸を広げました。

1-2.浄土真宗

開祖:親鸞(1173年~1263年)
総本山:本願寺が分裂しているので、西本願寺(京都、堀川七条)・東本願寺(京都、烏丸七条)の2つある


西本願寺(龍谷山本願寺)・・・浄土真宗本願寺派
東本願寺(真宗本廟)・・・真宗大谷派


※なぜ分裂したのか?
織田信長VS石山本願寺(現在の大阪城がある場所)の石山合戦により、のちに西本願寺は豊臣秀吉に土地をもらい、東本願寺は徳川家康に寺をもらったことからとなります。


親鸞も法然と同じく、比叡山で20年間修行しましたが、天台宗の僧侶に絶望して法然のもとへ行きました。
しかし、専修念仏が既存宗派からの弾圧を受け、法然と親鸞はともに流罪になりました。これにより2人は、一生離れることとなります。

法然が女性に門戸を開いたため、それが親鸞に影響を与えたことで親鸞は妻帯者になりました。

浄土真宗では法然の教えをより強くして『絶対他力』を説きました。

法然が何度も念仏を唱えることを重視するのに対し、親鸞は「ただ一回の念仏で救われる」としました。これが絶対他力の特徴です。

1-3.時宗

開祖:一遍(1239年~1289年)
総本山:遊行寺(神奈川)

※一遍の“遍”は“あまねく”“一回”という意味で、一回の念仏を重視した

一遍は、法然や親鸞に比べると後の人物です。
比叡山で10歳から3年間学び、その後、法然の孫弟子にあたる浄土宗の聖達の弟子になりました。なので天台宗からというより浄土宗からの流れになります。

時宗の元は、決まった時間に念仏を唱える僧侶(時衆)です。

時宗の特徴は『念仏自体に力がある』つまり『念仏さえ唱えていれば、阿弥陀如来への信心は必要ない』という考えです。

また、一般大衆に広めるため『踊り念仏』で支持を得ました。
ちなみに踊り念仏は盆踊りの由来だといわれています。

晩年の一遍は時衆といわれる弟子たちを連れて、布教活動をします。これを『遊行』といい、空海もおこなっていました。

1-4.融通念仏宗

開祖:良忍(1073年?~1132年)
総本山:大念佛寺(大阪市平野区)

『融通』とは「すべての者に融(と)け合い、隔たりなく相通じる」つまり「一人の人が唱えた念仏が他の人の念仏と融け合い、大きな功徳となる。その功徳が自分に返ってきて、極楽浄土へ往生できる」というものです。

元は拠点を持たずに僧侶が各地で布教していました。

2.禅宗派

前回②の記事でも書いたとおり、中国(宋)で7つの宗派に分かれて、そのうち2つが日本に伝わったことが始まりです。
その2つが臨済宗・曹洞宗でした。

2-1.臨済宗

開祖:栄西(1141年~1215年)
総本山:本山は宗派内にそれぞれ存在していますが、栄西が開山したのは建仁寺(京都、東山)となります。

栄西は、比叡山で天台教学を学び、その後、宋で臨済禅を学びます。それは、天台宗に禅を取り入れて立て直したかったという思いからでした。
ですが、帰国後に天台宗の復興を唱えるものの、異端とされました。
さらに朝廷も禅を禁止にしました。

しかし、幕府に呼ばれて鎌倉入りを果たし、京都の公家文化が嫌いな武士たちに歓迎を受けました。

これにより臨済宗は武士階級の宗派となりました。

臨済宗の特徴は『禅を組みながら師から与えられた公衆を説く』というもの。
禅は「座禅」(禅問答)。公衆は謎解きのようなもので、真理を追求するものです。ちなみにアニメの一休さんがそれです。

2-2.曹洞宗

開祖:道元(1200年~1253年)
総本山:永平寺(神奈川県) ※曹洞宗も迫害を受けて京都を去っています。

道元は栄西より60年後に開山しました。
15歳のときに比叡山で天台教学を学び、その後、建仁寺にて修行しました。道元は栄西の孫弟子となります。
のちに宋に渡って、日本に曹洞宗を持ち帰りました。

曹洞宗の特徴は、公衆禅を用いない純粋禅というものです。
栄西の看話禅に対し、『黙照禅』を取り入れました。

黙照禅とは『黙って禅を組むことで、知恵の光で心を照らす』という、黙々と禅をするものです。

まとめ

この記事では浄土系・禅宗系の宗派についてまとめてみました。
なんかえらく長々と書いてしまってスミマセンんん!
臨済宗の禅の特徴が、あの一休さんのアレだったのか!と思うとより身近に感じますね。
ここまででも、様々な宗派を紹介しましたが、いかに日本文化の礎になったのかが伺えます。
おうっふ、楽しい・・・

次回は④「黄檗宗」「日蓮さんについて」、また、そのあとの記事で閑話休題として、わたしが調べた限りの「日蓮正宗と創価学会の違い」をまとめてみようと思います!

あわてない、あわてない~


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