随筆(2020/2/6):欲求が満たされなくて、努力の報酬を欲しがって、不平不満ばかり言う人を、安易に非難するの、やめた方がいいですよ

頑張ってキツい時には、それまで投入したコストや今の苦痛を上回るほどの報酬や快楽が欲しくなる。

で、そういう時に、よりにもよって、新たにキツイことが起きた場合、

「は? これが報酬ですか? 何も快くないんだが? どいつもこいつもお天道様も、恩を仇で返しやがって。頑張ったら罰がある? ふーざけんじゃねーぞボゲェー」

となるんですよ。


***


もちろん、その新たなキツイことは、それまでの努力に対する報酬とは何も関係ないんです。

でも、それまで頑張り続けてきた人は、今すぐにでも報酬が欲しいんだから、そりゃあ降って湧いてくる全ての物事に対して

「今目の前のこれは、報酬か、そうでないか」

という軸で判断するでしょうよ。

で、「報酬とは言い難いもの」が来る限り、そんなもん「いい加減にしろよ」になるの、かなり当たり前なんですよね。


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そういう成り行きを、単に「その思考の歪みはおかしい」という外野の人、やめた方がいいですよ。

それは、報酬が与えられていない、報酬を欲しがっている人から、ごちゃごちゃ言いながら要するに報酬を遠ざけようとしているに等しい。

まあ、そりゃあ、相手は怒るでしょうね。


報酬がどうとか「以外の」意図で言っているのだとしても(というか、だからこそ)、それは当然「報酬とは言い難いもの」でしかない。

「報酬を欲しがった」ら、「報酬以外の何かよく分からない理屈を振りかざされた」。

当然、それは、「報酬を与えるどころか、遠ざけようとしている」ということにしかなってない。

「今目の前のこれは、報酬か、そうでないか」という判断基準を採用している人は、そりゃあ怒るでしょうねえ。


要は「報酬を寄越さない」と言っている人に、「いい加減にしろよ」以外の回答があると、なぜ思った?

相手が「何に」困っているのか、本当にちゃんと「見てる」か?

相手「と」会話をしているだろうか?



***


報酬が与えられていない、報酬を欲しがっている人に、自分からは報酬が与えられないのは、まあしょうがない。そういう原資もなければ謂れもないんだから。そこはまあいいだろう。

だが、じゃあ、せめて、そういう人に、「お前はそこで乾いてゆけ。」と塩対応するの、どう考えても本当にやめた方がいいですよ。鬼畜の所業でしょう。そんなもん。

相手にとっちゃ、「今目の前のこれは、報酬か、そうでないか」という観点からは、こんなん「報酬とは言い難いもの」どころか、明確に泥団子やんけ。なぜ飲む謂れがあると思った?


なお、極めて汚らしい話ですが、

「「今目の前のこれは、報酬か、そうでないか」という観点自体が、「余裕がなくて」「存在論的に醜い」から、「人間としての地位が低い」。

自分は相対的に「人間としての地位が高い」ので、「人間としての地位が低い」やつの、「存在論的な醜さ」に、それが醜く不快であるから、「抵抗する権利がある」。

それが嫌なら、報酬でないものが来たからって、いちいち苛立つな。みっともない」


という感性の持ち主、今まで佃煮にするほど見てきました。


当然の話なんですが、これ、相手の立場になってみたら、直ちに「それ、僕に何のメリットがあるの?」という話にしかならんやろ。

これを丁寧に守ると、「報酬じゃないものを拒めず、そういう端的に言ってガラクタに包まれて、餓死する」しかなくないですか。

要するに、「あなたは報酬じゃないものを拒まず、ガラクタに包まれて、餓死して下さい。私はそれを善いことだと思っており、非難されるなど論外であり、ふざけるな」と言っている訳ですよ。

ふつう、こんなの、通ると思うか? 無理でしょ。どう考えても。「お前の方こそなんだ。ふざけるな」と返されても、まあなーんもしょうがないかな…

そんなことも分からなくなっちゃうの、正直に言うと、かなりゾッとしますね。


正直、「私は報酬を与える原資がなく、その立場にもないが、あなたにいつか報酬があることを祈る」程度のことしか言えなくないですか。

何で「お前の欲しがりは卑しい、そんな卑しさを近づけるな」だなどという、「虫を見るような目をした虫」みたいな無の発想が、無からポップアップしてくるんでしょうか。無のプロセスでは?

私はそっちの方がよっぽど怖いよ。


***


欲求が満たされなくて、理屈がバグること、ふつうにいっぱいありますよ。

人の脳にとっては、欲求の方が生存に便利なのであって、理屈はそれほど生存に便利ではないのだから、理屈を維持するのは、生き物としては贅沢品ということですらある。

何というか、色々考えているうちに、腹が減りすぎて死んだら、生き物としては端的にアホではないですか。


で、欲求が満たされなくて、理屈などという贅沢品を維持できなくなった相手を、「卑しい」と言うの、実にインテリ殿しぐさであるなあ、と思っちゃいますね。

で、そういう人は、同じ立場になったら、同じようにバグる可能性について、何も考えてないんだろうなあ。

そういう思考が「出来ない」人が、他人の思考をとやかく言うの、めちゃくちゃみっともないですよ。そんなことやらかしてしまっている時点で、もうインテリ殿でも何でもないんだから。


***


欲求は大事です。

それに沿った努力も報酬も尊重されるべきです。

それが満たされないために他のことが考えられないからって、そんなことは当たり前に起きることなのであり、ましてそれを非難するなど、悪い冗談にも程があるというものだ。



自分に欲求や努力や報酬のセンスがないなら、それもしょうがないのかもしれんが、そんなんで、欲求や努力や報酬について、相手に何らかの価値のある説得など出来る訳がない。

まして、自分にはそれらはあるのに、他人のそれを鼻で笑っている訳だ。この場合、他人は自分のことを軽蔑するに決まっているし、相手に何の説得もできないに決まってる。

いずれにせよ、これらの方面の路線、「悪い」。やめといた方がいいですよ。

せいぜい、「私は報酬を与える原資がなく、その立場にもないが、あなたにいつか報酬があることを祈る」くらいで済ませておきましょうね。


(いじょうです)

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