ドロップアウトなのか、小休憩なのか

就活の記事を書いているくせに、本当は全くと言っていいほど就活に手をつけていない。家にいない引きこもり。
今日だって、新しくできたカフェに行って、昨日の午前中ずっとテレビ電話(ってもう言わないか)していたNYの友人と話したように、10年ずっと持っているWish listを黙々とアップデートして、書き加えてた。(昨日の私の一番重要事項は、友達と話すことだった。)Wish listの仕事面で書いたことは、怖いくらいにほぼ全て達成した。これからまた新しいフェーズのことを書いたはず。書いたこと、もう忘れた。

朝散歩して(遅刻しそうで結局猛ダッシュして)ワクチン接種をして、Wish listを書いて、外でランチして、本屋に行って、韓国語のレッスンに行って、ドラマ(トッケビ)をようやく見終えて、今日が終わる。いつもだと、筋トレとランニングが入る。

何もしていない。
わけではないけど、社会の歯車として、何かに貢献しているわけではない、と思ってしまう。もっと言えば、何かの対価でお金を得ていない。

本当はもっと焦らなきゃいけない気もする。
やりたいことはやっぱり変わらなくて、それをやるためのポジションを勝ち取ることは、10年前の未経験のポジションに行くくらい、大変なことだと理性的な頭では、思っている。
なのに。
私はまだ、何もしていないし、したくないから、こんな選択肢を毎日選んでいるのだろう。冷静な自分は、自分ヤバいな、とも思っている。

ふと、約10年前に1社目を辞めた時に、Facebook上で共有した記事を思い出した。当時の私の状況を相似拡大させたような記事で、すごくすごく共感した。今回は会社を辞めた経緯は記事とはだいぶ違うのだけれど、今何もしない、というところが似ている。記事を書いた人は、パンを焼いたりビーチを歩いたりしている。貯金は減るけど、自由を感じている。そして、どうやら幸せそうだ。

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オリジナルの英語記事

私は、自由になりたかったのかな。
忙しい、仕事だらけの毎日から、仕事しかない自分から。
本当は仕事がしたいんだけど、自信がないから、逃げてるだけなのかな。
ポジションを勝ち取る自信も、仕事をやり切る自信も、続ける自信も、なくなっちゃったのかな。
今までの人生、いい言葉を見つけたり、自分の中から発したりして、自分自身を必死に鼓舞してきた。
自分を信じろ、なんだってできる、やりたいことはやるためにある、諦めるな、努力は絶対裏切らない、きっとなるようになる、云々。

今もその言葉たちが私を支えている。
でも、急ブレーキをかけた今の自分は、眩しすぎる強い圧の言葉を自分に向けるよりも、もう少しだけこの不毛とも思える時間を味わいたいのかもしれない。

大きな本屋に行きたい。
ただただ川沿いや海沿いをぼーっと真っ昼間から一人で歩いて、怪しい人だな、自分何やってんだろって思いたい。
国内旅行くらいなら、行けちゃうかも。九州あたりに行ってみたいな。
いい加減強力粉も使い切りたいから、パンを焼く。
体重を落としたいから、走って、筋トレを続けて、なかなか上手くならない料理をする。
ゴルフだって、本当に本当にもっと上手くなりたい。テニスもしたい。
昼間、暇そうにしている人、ゆっくりランチをしている人に、憧れてた。今は、それができる。ランチの時にすれ違うスーツの人に少し羨ましさを覚えながら。

今、本当は私が死ぬほど働いてたであろう大会期間中で、ものすごく執着してSNSを追っている。きっとそれは手放したからで、大きな目で見れば、多分そこだけじゃなくて、もっとInclusiveな目でスポーツを捉えて、競技を超えて、もっと大きなテーマで関わりたいとも思う。女性や子どもを、スポーツの力で勇気づけたい。それは、一つのスポーツに拘らなくても、できること。自分がやっていたからって固執するのは違うかもしれない。でも、今はまだ悔しくて仕方がないから。

このまま私は社会復帰しないんだろうか。
そんなわけない。
だから、ドロップアウトじゃないんだから。ちょっとくらい上手くいかなかったからって、諦めんなよって、自分に言いたい。
Facebookの自分の過去からのポストがいろんなスポーツのことで割と埋め尽くされていることを、自分らしさだと思いたい。

退屈な毎日に溺れるよりも、選んだ自由に傷つく方がいい。
退屈じゃなくて、忙しい毎日に溺れるよりも、か。

絶対戻ってやるんだから。

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