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読書の春

急に本が読みたくなって、図書館で借りて読んでいる。
私は基本図書館で借りてしまう。もしくは電子書籍でたまにポチったり。無尽蔵に買えるお金と、しまっておけるスペースがあったら、其れはもちろん紙の書籍を買いたい。でも、どっちも無い。だから、私は図書館で借りる。
究極の税金の使い道だと思っている。このために私は納めて、回収してる。きっと。

で、最近読んだ本。備忘録。


「逆転美人」藤崎翔

ルッキズムに関する本だと思ってた。なんなら、あー超美人に生まれなくて良かったー、かわいい子ってのも結構大変なのね、くらいに思ってた。ら。
おい。これミステリーかよ。トリック小説的な?私、事件が起こる的な本は苦手なので、びっくりして、電車の中でしか読めなかった。でも、よくこんな風に文を書ける、構成できるよなーって思った。筒井康隆の「残像に口紅を」を思い出した、なんとなく。

「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

私は自分自身フェミニストとは思っていなかったけど、でももしかしたらそうなのかもな、少し、って思った。いい意味で。究極の、とまではいかないかもだけど、平等性を語る上では欠かせないものの見方?だとも思うし、基本的に男社会である企業体に何年もいる身としては、こういうことを考えさせられる場面はとっても多い。もちろん会社にもよるし、自分はかなりラッキーにもフェミニスト、とかそういうのに鈍感でいられる環境=男女差別の少ない環境で働いてはきている。でも、今の業界に入ってから、また、男女差は、感じる。どうしても扱い商材が性差があるものなのでしょうがない部分はあれど、会社の中の固定観念も、女性はなぜか「女子」「女の子」と、どれだけ歳をくってもみられる不思議。キモい、意味わからんって初めは思ってた。今も、思う。業界の潮流を変える自分になれるだろうか。

「急に具合が悪くなる」宮野真生子・磯野真穂

哲学者と人類学者による往復書簡。私はなぜこの本に興味を持ったのか、全く覚えていないし、往復書簡の体裁の本を読んだことはあまりない。少なくとも最近は全くない。エッセイのような、意見交換のような、不思議なジャンル。合理性ってなんだろう。私は、大学の卒論を行動経済学について書こうかと思ったくらい、合理性ということに少なからず興味がある。病気という状況での、合理的な判断。そんなこと、できる?ねぇ。自分や自分の家族に病が降りかかったら、合理的なことなんか考えられないかもしれない。確率も統計も、全部どうでも良くなるかもしれない。「今」ってなんだろう。
’制限があっても、不運に見舞われていても、自分の人生を手放していないという意味で、私は不幸ではありません’
’不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まるような気がするのです’
希望じゃない?希望がある文章は大好きだ。
そのアイデンティティを受け入れると、そのアイデンティティらしくなる。これみたいなことが書いてあるんだけど、私が前回くらいに書いた内容もまさにこれだと思ってる。
’唯々諾々と不運を受け入れて、「腑に落とす」必要なんてあるのでしょうか。わかんない、理不尽だと怒ればいい。そんなものは受け入れたくないともがけばいい’’わからないことに怒り、問う力を、自分の人生を取り返す強さを、哲学は教えてくれたのです’
’不運は点、不幸は線’
なんだろう、この二人の文体は。湿度がとっても低く軽やかなんだけど、重たい。強い。そしてギラギラとキラキラの間のようにも感じる。そして、根底にはもちろん病の話があるから、中盤以降は特に、くっと苦しくなる箇所が多い。でも、どこか理知的で、そういう考え方、向き合い方があるのか、とハッともする。
’余分なものは、余計なものじゃなくて、会話の広がる余地を作る’
ある程度だらっと話して、話の中身とかじゃなくて、いろんな要素から相手を知っていく。なるほど。確かに。
使えない定型文。確かに。病気の人に、かけられない言葉。傷つけたくないから、その相手にはかけられない言葉。会話の中の、暗黙のルール。1:1の関係性だと特に顕著にある、何かしらの、ルール。独身、既婚、無職、近親者との関係性、いろいろな違い、タブー、傷つけちゃいけない、傷つけたくないから、のいろんな掛け合い。
偶然、とは「あり難いものがある」「無いことのできる存在」「にもかかわらずある」
多様性は、点と点が連結された、平面的な何かではない。’関係性を作り上げるとは、握手をして立ち止まることでも、受け止めることでもなく、運動の中でラインを描き続けながら、共に世界を通り抜け、その動きの中で、互いにとって心地よい言葉や身振りを見つけ出し、それを踏み跡として、次の一歩を一歩を踏み出してゆく。そういう近くの伴った運動なのではないでしょうか。’
’徒歩旅行によるラインを描き、世界を通り抜け続けている最中と言えるでしょう’ ’未来に向けて他者と共に何かを生成しようというその動きをその人が手放さなければ、人間はこんなにも美しいラインを描き続けられる’
ショーシャンクが頭に浮かぶ。
’自分にラインを描く力が残っている限り、世界を知覚し、それと親密に関わり合いながらラインを描き、その中で出会うラインと新しいラインを紡ぐことのできる存在でありたい’
なんとなく、なんで自分がこの本を読みたかったか、わかった。

’人は自らが紡ぎ出した意味の網の目の中で生きる動物である’
Man is an animal suspended in webs of significance he himself has spun.; Clifford Geertz
’もし運命というものがあるのなら、それは生きる過程で降りかかるよくわからない現象を引き受け、連結器と化すことに抵抗をしながら、その中で出会う人々と誠実に向き合い、共に踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気
’偶然と運命を通じて、他者と生きる始まりに充ちた世界を愛する’

偶然のタイミング
生きる希望、力強さ、出会いや偶然。
出会いと別れが同時にやってくるとは。

なんて本だ。
一気に読んじゃったよ。
まとまらないけど、私は確か、このそれぞれの学者の研究内容に興味があって、この本を選んだ。偶然に。偶然に開いた、本のサービスのメルマガにおすすめされてたんじゃなかったかな。確か。

小さなことで悩んだり、悲しくなったりしたら、この本をまた開きたい、かもしれない。二人で書かれた本独特の、二つの見方が、層になって自分に降りかかってくる感じが、すごく良かった。

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