見出し画像

ツァラトゥストラの好きな文章まとめ②

前回(1-50)の続きです。

ーーーーーー

(51)彼らが徳を備えているのは、ただ長生きをするため、みじめな安穏のなかで生きるためだ。
(52)わたしは読んでいるだけの怠惰な者を憎む。万人が読むことを覚えるのは、長い目で見れば書くことだけでなく考えることも損ねてしまう。
(53)愛のなかにはつねにいくらかの狂気がある。狂気のなかにもつねにいくらかの理性がある。
(54)わたしは生きることを好ましく思っている。そのわたしから見て、蝶やシャボン玉や、それらに似ている人間たちこそが、幸福について最もよく知っていると思われる。
(55)わたしは歩くことを覚えた。それから気の向くままに歩いている。わたしは飛ぶことを覚えた。それから飛ぶために、人から背中を押される必要はなくなった。
(56)木は高みへ明るみへ上へと伸びていこうとするほどに、その根は強く向かっていく。地へ、下へ、暗みへ、深みへ。
(57)君はまだ自由ではない。自由を追い求めているのだ。追い求めるからこそ、君はそうして疲れ果て、覚めすぎている。
(58)君はまだ捕われている。自由を心に思い描いているだけだ。そして捕われている魂は利口になる。しかし悪賢く、低劣にもなる。
(59)まだ君は、みずからの高潔さを感じている。君を恨み、悪意のある眼を向ける他人達も、やはりまだ君の高潔さを感じているのだ。知るがいい、誰にとっても高潔な者は邪魔なのだ。
(60)善良な人々にとっても、高潔な者は邪魔になる。高潔な者は新たなものを、新たな徳を創造しようとする。善人は古いものを求め、古いものを維持しようとする。
(61)高潔なる者のあやうさは、ひとりの善人になることではない。むしろ、傲慢な者、冷笑する者、何もかも否定するものになってしまうことだ。
(62)わたしの愛と希望にかけて願う。君のなかの英雄を投げ捨てるな。君の最高の希望を聖なるものとして持ち続けよ。
(63)彼らのなかには魂の結核にかかった者たちがいる。生まれた途端に死にはじめ、倦怠感と諦念の教えに憧れる。
(64)彼らは屍になろうとする。その意思を認めようではないか。死人たちが生ける棺桶をうち壊さないように用心しようではないか。
(65)諸君の勤勉は逃避であり、自分自身を忘れようとする意思なのだ。
(66)諸君が生を信じていたら、今という連続に身を委ねることはあるまい。だが諸君は、待つことができるほどに自らのうちに充実した内容を持っていない。だから怠惰にすらなれない。
(67)我々は最高の好敵手から手加減されたくない。心の底から愛する者たちからもそうされたくない。だから諸君に真実を語ることを許してくれ。
(68)わたしは諸君の心の憎しみと妬みを知っている。君たちは憎しみも妬みも知らぬほど偉大ではない。だから、それらを恥じぬほどには偉大であれ。
(69)兵士は大勢いる。だがわたしが見たいのは戦士だ。彼ら(兵士)が着ているものは一律の制服だ。だがそのなかに包まれている者まで一律であって欲しくはない。
(70)君たちの敵を探さなくてはならない。君たちの戦いを戦わなければならない。おのれの思想のために。君たちの思想が敗北する時にも、その時の誠実さが勝利の声を上げなくてはならない。
(71)わたしが諸君に勧めるのは労働ではない、戦いだ。平和ではない、勝利だ。君たちの労働は戦いであれ、平和は勝利であれ。
(72)人は弓矢を構えているときのみ沈黙して静かに座していることができる。そうでないときは、ただ無駄口を叩いてはいがみ合う。君たちの平和は勝利であれ。
(73)戦いと勇気は、隣人愛よりも多くの偉大なことを成し遂げた。今まで多くの困窮した人々を救ってきたのは、君たちの同情よりもその勇敢さだ。
(74)何が善いことなのかと君たちは問う。勇敢であることが善い。かわいくて心に染みるものがいいとは、小娘たちに言わせておけばいい。
(75)悪意という点で、傲慢な者と意気地のない者とが手を結ぶことがある。わたしは君たちをよく知っている。
(76)反抗心とは奴隷が抱く高貴さだ。忠実であることこそが諸君の高貴さであれ。君たち自身が命令することに忠実であるように。
(77)戦士の耳には「われ欲す」よりも「汝なすべし」のほうが快く響く。諸君は好ましい一切の事柄を、まず命令されたものとして受け取らなければならない。
(78)君たちの生への愛が、君たちの最高の希望への愛であれ。そして最高の希望は、生をめぐる最高の思想であれ。
(79)国家とは冷たい怪物のなかで最も冷たい。冷ややかに嘘をつく。「わたし、すなわち国家は民族である」という嘘をつく。
(80)国家を創出し、その上にひとつの愛とひとつの信仰を掲げたのは創造者たちだった。こうして彼らは生に奉仕した。
(81)国家は善と悪について、あらゆる言葉を使って嘘をつく。国家が何を語ってもそれは嘘だ。国家が何を持っていても、それは盗品だ。
(82)国家は君たちに全てを与える。君たちが国家を崇めるのならば。こうして国家は諸君の徳の輝きと気高い眼差しを買い取る。
(83)善い者も悪い者もみな毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。善い者も悪い者もみずからを失うところ、それが国家だ。全ての者たちが緩慢な自殺をし、それが「生」と呼ばれるところ、それが国家だ。
(84) この余計な人間たちを見るがいい。彼らは常に病んでいる。創始者たちの作品や賢者たちの宝を盗み、この窃盗を教養と呼んでいる。苦い胆汁を吐き出したものを新聞と呼んでいる。彼らは互いにむさぼり合うが、消化することさえできない。
(85)みな王座に就こうとする、これが彼らの狂気だ。あたかも幸福が王座にあるかのように。だが往々にして王座には泥しかない。また往々にして王座は泥の上にある。
(86)大いなる魂たちに、大地は今も開かれている。一人きりの孤独な者たち、二人きりの孤独な者たちに、まだたくさんの居場所がある。
(87)本当に偉大なのは、創造することだ。大衆はほとんどこれを理解しない。演出家や役者がすることには共感ができるのに。
(88)役者には精神はあるが良心がない。彼が信じるものは、多くの人に彼を信じさせる力だけである。
(89)市場はもったいぶった道化ばかりだ。そして大衆はこの道化を大物だと褒めそやす。大衆にとって、彼らは時代の支配者だからだ。
(90)逃れよ、君の孤独のなかへ。君は卑小で惨めな者たちの、あまりに近くに生きていた。彼らの目には見えぬ復讐から逃れよ。彼らが君になすことは、復讐しかない。
(91)もう彼らに腕を上げるな。キリがない。ハエ叩きになることは君の宿命ではない。
(92)彼らも君に愛想よくしてみせることがある。だがそれは腰抜けの小賢しさに過ぎない。そう、腰抜けは小賢しいものだ。
(93)彼らは君のあらゆる徳をとがめて罰する。彼らが心のそこから許すのは、君の失敗だけだ。
(94)君は寛大で公正なこころ持っているから、彼らが小さな存在なのはとかめるべきではないという。だが彼らの魂はこういうのだ「大きな存在はすべてとがめられるべき罪である」と。
(95)君が彼らに寛大であっても、彼らは君から軽蔑されていると感じる。だから君の親切にたいして仕返しをしようとする。
(96)我々がある人の一点を認識するということは、そこに火をつけるということだ。だから卑小な人間に気をつけよ。
(97)君は気づかなかったか、君が現れると彼らがよく口ごもっていたことを。そして消えゆく火から煙が昇るように、彼らから力が抜けていったことを。
(98)そうだ、我が友よ。君は隣人にとって良心の呵責そのものだ。彼らは君の隣人に値しない。だから君を憎み、君の血を吸いたがる。
(99)君の隣人はいつも毒バエとなろう。君が偉大であること、それ自体が彼らをもっと有毒にしてしまう。
(100)我が友よ、逃れよ。強い風が吹き荒ぶところへ、ハエ叩きになることは君の宿命ではない。

続き(101-150)はコチラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?