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ツァラトゥストラの好きな文章まとめ①

読んだ本を繰り返し読むことは滅多にないのですが、こうしてnoteにまとめて置くと、何度も目を通すので役に立つなと感じています。

そこからですが、自分の愛読書のひとつであるニーチェのツァラトゥストラかく語りきの中で、個人的に面白いと思った一文を箇条書きでまとめていきます。

今回の記事では1-50になります。

このペースで行くと10回以上になりそうですが。

(1)贈りたい。分け与えたい。世の知者たちがふたたびおのれの無知に、貧者たちがふたたびおのれの豊かさに、気づいてよろこぶに至るまで。
(2)ツァラトゥストラは聖者と別れ、おのれの心にこう言った「この年老いた聖者は森のなかにいて、まだ何も聞いてはいない。神は死んだということを」
(3)わたしは諸君に超人を教える。人間は克服されなければならない何かだ。人間にとって猿とは何か。もの笑いの種か痛みを感じるほどの恥辱である。ならば超人にとって人間とはこのようなものであるはずだ。
(4)人間がみずから、おのれの目標を定めるべき時がきた。人間がその最高の希望の芽を植えるべき時がきた。
(5)天に向かって叫んでいるのは君たちの罪ではない、叫んでいるのは諸君の節度だ。罪においてもケチな、君たちのせせこましさが叫んでいるのだ。
(6)人間は綱だ、動物と超人のあいだに掛け渡された、深淵の上に掛かる、一本の綱だ。
(7)わたしは愛する。自らの徳をやむにやまれぬ性癖や悲運にしてしまう者を。だから彼はその徳のために生き、また死のうとする。
(8)僕らは幸福を発明した、人間はそういってまばたきをする。彼らは生きるに苦しい土地を見捨てる。温もりがいるから。やはり隣人を愛し、その身をこすりつける。温もりがいるから。
(9)彼らは自らを正しい信仰を持った信心深い者と称している。彼らが最も憎むのは誰か。彼らの価値を刻んだ石版を打ち砕く者であり、それは彼らにとって破壊者であり犯罪者である。だが、これこそが創造する者なのだ。
(10)創造する者は道連れを求める、亡骸ではなく、畜群でも信者でもなく、創造する者は創造する者を求める、新たな価値を新たな石版に刻む者たちを。
(11)創造する者は道連れを求める、共に収穫する者を。創造者の前では一切が熟して、刈り入れを待っている。なのに百本の鎌がない、だから穂をむしり散らかし苛立つしかない。
(12)創造する者は道連れを求める、鎌を研ぐことを知っている者を。彼は善悪を破壊し、侮辱する者と呼ばれるだろう。しかし彼らこそが収穫をし、共に祝う者なのだ。
(13)創造する者、収穫する者、祝う者を仲間にしよう。私は彼らに虹を示そう。超人へと昇っていく全ての階段を。
(14)私は私の目標をめざす。私は私の道を行く。ためらい、間だるい者を飛び越えていく。私の歩みが、彼らの没落となるがいい。
(15)もっと賢くなりたい。私の蛇のように、大地に拠って賢くなりたい。だがそれは不可能な願いだ。ならば私の賢さが、いつも誇りを見失わないように願おう。そしていつか私の賢さに見捨てられそうなことがあったら(ああ、賢さは喜んで飛び去ってしまう者だ)、そのときは私の愚かさが、誇りをもって空を翔けてくれればいい。
(16)強く、重荷に耐え、畏れを宿している精神には、多くの重いものが与えられる。その強さこそが、もっと重いものを、もっとも重いものを求めるのだ。
(17)もっとも重いものとは何か。おのれの傲慢に痛みを与えるために、自らを卑しめることか、おのれの知恵をあざけるために、みずからの愚劣を明るみに出すことか、目指してきた勝利をおさめて祝おうとするその時に、それを捨て去ることか、誘惑してくる者に誘惑されるために高い山を登ることか。
(18)あるいはこうか。病気だというのに、慰めにきた友人を追い払い、君の望みを何一つ聞かない、耳が聞こえない人たちを友人にすることか。真理がそこにあるのなら、汚れた水の中に入っていき、冷たい蛙や熱いガマ蛙がいても嫌がらないことか。我々を侮辱するものを愛し、我々を脅かそうとする鬼に手を差し伸べることか。
(19)忍耐強い精神は、このような重いものを担う。重荷を背負って砂漠に急ぐラクダのように、忍耐強い精神もみずからの砂漠に急ぐ。
(20)忍耐強い精神は、荒涼とした人影のない砂漠のなかで、獅子となり自由を獲得しようとし、おのれ自身の砂漠の主になろうとする。新たな価値を創造すること、それは獅子にすらできない。だが新しい価値のために自由を手に入れることは、獅子の力にしかできない。
(21)自由を手に入れ、義務にたいして聖なる「否(ナイン/No)」を言うこと、そのためには獅子が必要なのだ。
(22)幼子は無垢だ。忘れる。新たな始まりだ。自ら遊ぶ回る輪であり、最初の運動だ。そうだ、我が兄弟たちよ、創造という遊びのためには聖なる「然り(ヤー/Yes)」を言うことが必要だ。ここで精神は自分の意志を意志することができる。世界から見捨てられていた者が、自分の世界を獲得する。
(23)いかにして精神はラクダになったか、いかにしてラクダは獅子となったか、いかにして獅子は幼子になったか。ツァラトゥストラはこう語った。
(24)ある賢者は語る、服従しなさい、お上が曲がり間違っていても、よく眠りために。神と争わず、隣人とも争わないこと、よく眠るために。眠ることを誇り、眠らぬことを恥ずかしく思うがいい。これこそ何よりも大事なことだ。
(25)賢者がこのように語るのを聞くとツァラトゥストラは思った。わたしが無意味を選ばなくてはならないとしたら、これは私にとっても最も選ぶに値する無意味だということになる。若者達がこの徳の説教者の講義を聞いたのは無駄ではなかった。
(26)人々が徳の教師を求めたとき、何よりも求めたのはなんだったのか。それはよい眠りを求めたのであり、そのために罌粟(ケシ)の花の香りがする徳を求めた。
(27)名声高いこれらの賢者達にとっては、夢も見ない眠りこそが知恵であり、彼らはそれ以上の生の意味を知らなかった。
(28)この世界は、永遠に不完全であり、永遠に矛盾しているものの反映であって、しかもまたその反映も不完全な反映にすぎないものであるが、自らもまた不完全な創造主にとっては、それは陶酔的な楽しみだ。
(29)苦悩と無能、これがあらゆる世界の向こう側を作り出した。苦しみ抜いたものだけが知る、あの束の間の幸福の錯乱こそが、世界の向こう側をつくり出した。
(30)ひと飛びで、一回の命がけの跳躍だけで、究極のものに到達しようとすること。これは疲労のなせる技だ。もはや意欲することを意欲しない、みじめで無知なこの疲労こそが、神と世界の向こう側をつくり出した。
(31)あの世とは人間に見つからぬよう隠されている。あの人間味がない、非人間的世界、これは天国という虚無なのだ。
(32)本当にあらゆるものは証明しがたく、語らせがたい。だが兄弟たちよ、あらゆる物のなかで最も奇妙なものが、もっともよく証明されているではないか。そうだ、それはこの自我(Ich)だ。
(33)肉体と大地を軽蔑して、天国だの救済のために流す血だのを発明したのは、病人や瀕死の人々なのだ。彼らは己の悲惨から逃れようとした。だが星はあまりに遠かった。そこで彼らは天国という抜け道と血の飲み物を発明した。
(34)ツァラトゥストラは病人に寛大だ。彼らがこのように自らを慰め、このように恩を忘れる、その仕方に怒ろうとは思わない。願っている。この病人たちが回復し、克服し、より高い肉体を我がものにすることを。
(35)ツァラトゥストラは回復しつつあるものにも怒りはしない。みずからの妄想を愛しんで振り返り、夜中に神の墓のそばを忍んで行くことがあるとしても。だが、その時に流す涙もやはり病であり、病んだ肉体によるものであることに変わりはない。
(36)詩をつくり神を渇望する者のなかには、多くの病的な人々がいた。彼らが激しく憎悪するのは、認識者と、数ある徳のなかで最も若い徳、すなわち正直であるという徳である。彼らは信じられることを願い、疑うことは罪だと思いたい。
(37)我が兄弟たちよ、健康な肉体の声を聞け。もっと正直で、純粋な声だ。
(38)我が兄弟たちよ、君が精神と呼んでいる君の小さい理性は、君の肉体の道具である。君の大いなる理性の小さな道具であり、玩具である。
(39)感覚は感じ、精神は認識する。だがそれは決してそれ自体のうちに完結することがない。だが、感覚と精神は自らにおいて全てのものは完結していると、君をかき口説こうとする。
(40)自己こそが己のために価値と意志を創造した。快楽と苦痛を創造した。自らの意思の手先のために。
(41)肉体を軽蔑する者たちよ、諸君の自己は没落を欲している、だから肉体を軽蔑する。君たちはもう自らを超えて創造することができなくなっている。君たちが生と大地に向かって憤怒するその白眼視には、無意識の嫉妬がある。
(42)君がひとつの徳をもっていて、それが君自身の徳であるならば、それは何者とも共有できないはずだ。むろん君はその徳に名前をつけて愛撫したいと思うだろう。だが君が名前をつければ、それを群衆と共有することになる。そしておのれ自身の徳を持ちながら、群衆や畜群になってしまう。
(43)むしろ君はこういうべきだ。「私の魂にとって苦痛であり甘美であるもの、また我が内臓の飢えであるものは、言い表しがたく名もない」と。
(44)君の徳は、なれなれしい名前で呼ばれるには高貴すぎるものであって欲しい。それについて語らねばならぬときは、口ごもりながら語ることを恥じるな。
(45)「これが私の善だ。私はこれを愛する。すっかり気に入っている。私の欲する善は、こういうものだけだ」私の欲する善はこういうものだけだ。
(46)私はそれが神の掟であって欲しくない。人間の規約でも、必需品であって欲しくない。大地の彼方にある天の楽園のための道しるべにしたくはない。
(47)もし幸運に恵まれたら、君はひとつの徳を持つだけでいい。ならばもっと軽やかに橋を渡って行ける。
(48)立派なことだ、多くの徳を持つということは。だが重い宿命だ。それにより砂漠へと行き自らを殺した者もいた。
(49)嫉妬の炎に押しつつまれて、ついにはサソリのように自らを毒針で刺しつらぬく。君はまだ、ひとつの徳が自らを誹謗し、おのれを刺し殺すのを見たことがないのか。
(50)人間とは、乗り越えられるべき何かだ。だからこそみずからの徳を愛さなければならない。でなければそれらの徳は、君を破滅させるだろうから。

続き(51-100)はこちら。

一般的には非常に偏っている内容のはずなのですが、現代の様々な思想や文化に多大な影響を与えている本なので、もし興味が湧いたら是非読んでみてくださいね。






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