不登校だった頃の話

最近昔のことをよく思い出すので、今回は不登校だった頃のことを書いてみようと思う。

私が学校に行けなくなり始めたのは中学1年生の終わりの頃だった。学校に行かなきゃいけないのは分かっている。でも毎朝いざ家を出ようとすると体が動かない。制服に着替えて、鞄をもって、靴を履く。そこから先に進めない。

玄関で座り込んですすり泣く私に、「早く行きなさい」「休みが続いたらどんどん行きにくくなっちゃうよ」と声をかけ続ける母。毎朝これが続いていた。

分かっている。休めば休むほど次に登校した時の周りの目が気になることも、授業についていけなくなることも。でも体は登校することを拒否していた。

半泣きで家を出て、途中で気分が悪くなって吐いたからと嘘をついて家に帰ったこともあった。それくらい学校に行きたくないという意思がはっきりと芽生えていた。今思えば、あの時母は嘘に気付いていたんじゃないかと思う。そういう嘘をつき始めてから、学校に行きなさいと言われなくなった。

親からも先生からも学校で何かあったのかと聞かれたが、「私は何も無いよ」「自分でも何で学校に行けないのか分からない」と答えていた。でも本当は理由があった。

当時バスケ部に所属していたが、その顧問の先生はそれまでずっと柔道部の顧問をやっていて生活指導の担当もしているような、言ってみれば昭和の鬼教師のような人だった。その顧問の先生はバスケのプレーでミスをしたり、挨拶や礼儀がなっていない時などに頭を小突いてきた。殴られる訳ではないが、怖い顔をした先生が怒鳴りながら拳を自分の顔に向けてくる。ゆっくりとした動作であってもそれは私にとって相当な恐怖だった。

小学生の頃から続けていたバスケ。仲の良い友達もみんなバスケ部だった。私の学校生活はバスケ部が全てだった。だからこそ私は部活を辞めるという選択もできなかったし、そこに原因があると言うこともできなかった。

頭を小突かれるのはみんなもやられていること。自分だけが弱音を吐く訳にはいかない。先生が原因だと明かしてしまうとバスケ部が活動できなくなってしまうんじゃないかという不安。色々考えた結果私は何も言えなかった。

大人になった今思い返せば、そういう理由ならきちんと親や先生に説明した方がよかったんだと思う。でも中学生の私にはそれができなかった。勇気が無かったのか、小さなプライドが邪魔をしたのか…。

元不登校の人も今現在不登校の人もその理由は様々だと思う。他の人からすればそんな小さな事でと言われるような理由かもしれない。でもきっとみんなそれぞれ苦しんだんだろうと思う。毎日毎日とてもしんどい思いをしているんだろうと思う。

学校に行かないという選択はある意味自分を守る行為だ。学校というストレス源から離れたことで今の自分がいる。だから私は不登校になった過去の自分を褒めてあげたいと思っている。

そして今、学校に行かないという選択をしている若者がいるとしたら応援してあげたいと思う。あなたは逃げているんじゃないんだよ、未来の自分の為に戦っているんだよと言ってあげたい。頭をなでて抱きしめて褒めてあげたい。

当時は不登校になりパニック障害も発症し、このままいくと良くてフリーター、悪くてニートとして一生を終えるんだろうなと漠然と考えていた。

そんな私でもなんだかんだ生きている中で色々な人と出会い助けられて、今は中小企業で平均的な給料を貰いまぁまぁ平凡に暮らしている。

学校生活という狭い世界の中で生きているうちは不登校になった時点で「人生終わった…」と思ったけれど、意外とどうにかなるもんだなぁというのが30年近く生きてきた私の感想。

これからも欲張らず平凡に、なるようになるさの精神で生きていければそれでいいのかなと思っている。


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