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私の経験したジゴク① -3歳- #011

私が3歳だったころ、練馬区の南蔵院という所に住んでいて、毎朝5:30頃に起きては母親を起こしていた。チャーちゃんおっき!と言いながら熟睡中の母親をゆすって起こすとたまに起きてくれる。ドン・チャック物語っていうビーバーの男の子が主人公の早朝に放映されているテレビアニメとを母と一緒に見たくて。

7色虹のクレヨンで
君の名前を書いてごらん
ドンチャクぅ〜!
て歌。
ドンチャック物語op

母はたいていは起きてくれないので、朝焼けの中1人でドン・チャックを見る。
たまに年子の妹が起きてきて、小枝ちゃんと木のおうちというおもちゃで一緒に遊びながら一緒にドン・チャックを見て遊んだ。


その頃のイントラ家はかなり貧しくて、空き地に生えているハコベっていう草を取ってきて茹でておひたしにして食べるみたいな暮らしだった。
野っ原の草を取って食う生活っていうのは1970年代の東京でもかなり貧しい感じだ。
みんな超合金の合体ロボとかを公園の砂場で飛ばして遊んでいるんだけど、そんなおもちゃなんて持ってないから近くで捕まえたバッタを鉄棒に乗っけて遊んだ。
貧しすぎるだろ…。

何故貧しかったかというと、親父が帰ってこない、とにかく家へ帰ってこない、家に金を入れない、子供を育てない、家族に手を上げる、パチンコと競馬で擦って来るという六段構えでまるでダメな男だったからだ。
そして昭和の時代はそういったダメ男がわりと多かった。


ある日の夕方、年子の妹にじゃれつく駄目親父。嫌がる妹を見た私が親父に「(ビートたけし風に)バカヤロゥ」と言って妹を彼から引き剥がそうとしたら、親父が「親に向かってバカヤロゥとはなに事だ」と怒って、私の両足首を掴んでアントニオ猪木さながらのホンキ大車輪をして、私は頭から壁に打ち付けられて呼吸困難になった。

その時の事を今も鮮明に覚えている。大車輪をされた後に見えた光景。防火用のオレンジ色の三角コーナーのタンク。集成材を曲げて作られた座面が緑色の木製のスツール。黄緑色の冷蔵庫。木目調の内装壁。オレンジ色で独特な模様のビニール床。

3歳だった私にはそれがあまりにショック過ぎて、なにも考えられずただ呆然とその光景を見続けるしかなかった。
この経験が後々フラッシュバックしながらずっと私を苛む事になる。

翌朝、そのクソ親父はまるで昨日の事などなかったかの様に「おう、イントラ!今日は近くの寺に行くか?」と私を抱き抱えて寺に行って私を楽しませようとした。

…なんだそれ?
昨日理不尽だった親父が今朝になっていい親父ぶって、一体なんなんだ…?この人…。

それ以来、3歳だった私はこの男を「この男は何をするか分からない。この男は信用してはいけない」
と思うようになった。
その日から、私の中から信頼できる父親がいなくなった。
ろくに家へ帰ってこない、帰ってくれば家族に手を上げる、なにかよく分からなくて信用できない「誰か」になった。

私は今まで彼のような人間には絶対になりたくないと思って生きてきた。
父性を拒否して怒りを持たない子供として育つことになり、それが原因で先々色々なジゴクを見ることになる。ジゴクの始まりだ。

私が生まれて初めて経験したジゴクはその日1日だけだったけど、その記憶がこんな歳になった今でもシャワーを浴びるたびにフラッシュバックしていた。

なので、今のお父さんお母さんたちへ、一度でも子供に手を上げたら、その子に生涯にわたって思いの外深ーい傷を負わせてしまうことになるよ。だから手を上げたくなっても我慢して。
不意に一言でも子供が傷つく事を言ってしまったら、その子に深ーい心の傷を負わせてしまうことになるかもしれない。だから、言いたくなってしまったらよく考えて。
って言ってあげたい。
そういう意味で、親って我慢だなと思う。
もし自分が親の立場であったとしても「難しい」と思うだろう。


それから、3歳の私はかなり変なひとり遊びをするようになった。
親が買い物などで出払っていて、かつウン子がしたくなったタイミングでトイレに駆け込み便座に座って独り言を言うという遊び。
何故かみなしごという謎設定。
「ぼく、ひとりぼっちなんだ…お父さんも死んで(当時健在)、お母さんも死んで(今も健在)…。」
そこでウン子が便器の水面に着水してポットーン!と音を立てる瞬間に一発シャウトをキメる。
「ぼく…、これからどうすればいいのーー!!!」
シャウトした後の独特な爽快感。

自分の事ながら3歳児の遊びっていうのは本当によく分からない。
でもよく考えると、当時3歳だった自分は、多分遊びながらこういう事をしたかったんだと思う。
それは「父母などの頼れる人がいない中でも1人で生きることを楽しむ事」だ。孤独を楽しむということ。
いや、あの時の自分は明らかに孤独を楽しんでいた。

孤独っていうと悪いイメージだけど、その反面人間関係の不自由さからも解放された自由も手に入る。人目を気にせず自己責任で好き勝手やっていいのって爽快だよね。
あのポットーン時に感じていた爽快感はきっとそういうものだったんだろうと思う。
ただ1人遊びの手法としては明らかにおかしい。ポットーン


昔から親しく付き合いのある友達がある日、詩人の茨城のり子の詩を教えてくれた時に、そうやって1人遊びをしていた自分を思い出した。

一人は賑やか  茨木のり子
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ


のり子、あんたカッコいいよ…

ひとりが寂しくて、誰でもいいから側にいて欲しいくらい辛い時ってある。
でもそういう時をひとりで楽しく、バカなことでもしながら賑やかに過ごす。

ひとりでも楽しく過ごせるよ。
ひとりの楽しい時間を過ごそう。

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