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邦人作曲家シリーズvol.6:一柳慧 (text:片山杜秀)

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載

一柳慧インタヴュー

text:片山杜秀
*musée 1998年5月20日(#13)掲載

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一柳慧が1984年の『音を聴く』(岩波書店)に続く2冊目の著作を世に送った。『音楽という営み』がそれだ。彼は、21世紀を目前としながら、あまりに混乱し、時代の行方が見定めがたくなっている今、これからの音楽をどう方向づけるべきか、自らの立場を明らかにしておく必要を痛切に感じ、この書物を編んだという。そこで一柳に音楽のあるべき未来についてを軸に語って貰った。まず、一柳の本でも触れられている、このごろ話題の絶対音感の話から……。

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—絶対音感について

「絶対音感を、音楽をやるうえでオールマイティのように考える人々がいる。が、絶対音感は、近代の限られた時期の西洋音楽のシステムと完全にリンクしている。つまりドレミファの組織でしか音楽を考えられぬようにしてしまいかねないのが絶対音感だ。それは、西洋近代以外の地域や時代に根ざす音楽には役に立たない。現代音楽というものを考えても、そこでは電子音や現実音や人間の多様な声を使うのが当たり前になっている。つまりそれはドレミファにはまらない音程をも自由に使いこなす音楽だ。ところが、絶対音感べったりで育てられた演奏家は、現代音楽やその他、非ドレミファの音楽に対応できない。そういう演奏家はもはや時代にそぐわない。絶対音感は、ドレミファの音楽に接するためには意味があるけれども、その価値はあくまで相対的なものに過ぎない。ちなみに私は絶対音感を持っている。それは作曲の際には便利な能力ではある。ピアノがなくともとりあえず作曲できるから。」

—絶対音感の習得方法について

「特別な訓練をした覚えはない。音楽をやっていて、自然に身に付いたと思う。ただ、複雑な不協和音の構成音を聴き分ける訓練は、アメリカに留学したあとやった。」

—アメリカ留学に関する余談

「戦争が終わって、とにかく新しい音楽がやりたくて、情報に飢えていた。が、終戦直後の混乱期の日本では、なかなか海外の事情が見えない。そこで外国に出たいと考えた。私のその頃のピアノの師は原智恵子、理論の師は平尾貴四男で、つまりフランス系だった。よって留学の候補地としてまずパリを考えた。が、パリも第2次大戦の傷跡がひどく、かつての輝きはないらしい……。そんなときアメリカ留学の話が出た。私は進駐軍のクラブでピアノを弾くアルバイトをしていたが、そこで知り合ったアメリカ人がいろいろ面倒を見てくれると言ってくれたのだ。そこでアメリカに行き、ジュリアード音楽院に入った。ジュリアードは作曲の勉強をするには必ずしもよいところではなかった。新しい音楽に理解のある教授がいなかった。だから学校に籍を置きつつ勝手にやるという感じだった。ケージを知るまで、作曲の師と呼べるほどの人には出会わなかった。」

—話は戻り、ドレミファの音楽について

「私は絶対音感を特別視することに否定的だけれども、といって、ドレミファの音楽がこれからの作曲に意味がないとは思わない。そもそも日本には新しい価値観やスタイルが入るとき、それに伴い過去のものを全否定する傾向が強すぎるように思う。たとえば、ヨーロッパのレコード店を回るとLPがまだ40パーセントくらい残っているのに、日本では全部CDがあたりまえ。作曲でも日本では、前衛の時代だとなったら、その前の伝統的スタイルを全否定した……。現在の私はそういう考え方を誤りと思う。過去のものを生かしながら、その上に新しいものが付け加わってゆく……、それが正しい文化のありようだ。よってドレミファの音楽に非ドレミファの音楽が足される格好で、今後の音楽はすすんでゆくべきだろう。」

—これからの作曲の理想的方向について

「絶対音感の問題とも関係するけれども、ともかく西洋近代の音楽は演奏家を徹底的に拘束することばかり考えてきた。正しい音程、正しいリズム、正しい強度……、楽譜にあらゆる音楽情報が細々と記載され、演奏家はその忠実な再現を求められる……。かくて演奏家は機械のようになってしまい、自らの創造的な領分を奪われ、演奏の喜びが失われていって、それが西洋音楽に行き詰まりをもたらしている。そこで当然、楽譜に依存せず、演奏者のイマジネーションが奔放に発揮されうる、即興性の強い音楽——たとえばアフリカやインドや日本の伝統音楽を再評価するという話になる。が、といって楽譜が駄目だから即興でという、2項対立的なひっくり返しに行っては、極端すぎて不毛だ。私がこれから書いてゆきたいのは、演奏者の即興性も保証される部分があるような、楽譜に書かれた音楽だ。楽譜と即興、確定的な要素と不確定的な要素とのバランスのとれた音楽だ。」

—そのための方法について

「そこで再評価されるべきなのは、ケージやフェルドマンによるグラフィックなノーテーション(図形楽譜)ではないか。つまり、作曲家が図形によっておおよその音楽のイメージを演奏家に伝達し、それをもとに演奏家が具体的な響きを創造してゆくやり方……、そういうやり方を活用することで作曲家と演奏家の双方の創造性が保証されるような音楽を展開してゆくことが可能と考えている。」

—図形楽譜と演奏家の問題について

「現段階に於いて、グラフィックな楽譜を日本で西洋音楽の教育を受けてきた演奏家相手に活用することは、かなり無理がある。それはもちろん、5線譜に書かれたものの忠実な再現がイコール演奏だという西洋近代音楽の教育法に原因がある。これに対し、日本では伝統音楽の演奏家の方が、グラフィックな楽譜への対応能力が一般的に言って遥かに高い。これは、伝統音楽の記譜法が演奏家の裁量の幅をある程度認めることを前提としていることと関係があるだろう。とにかく5線をよめないお坊さんなどが、グラフィックな譜から、その譜の意図しているだろう音のイメージをたちどころに引き出し、平然とうたってしまうなんてケースに、私は度々遭遇している。というわけで、今の日本でグラフィックな楽譜を活かすためには、伝統音楽の演奏家と共同作業するのが現実的だ。」

—これからの作曲の具体的方向について

「具体的には私は、グラフィックな楽譜による、あるいはグラフィックな楽譜と5線の楽譜の使い分けによる、伝統音楽の演奏家のための音楽や、5線の楽譜による確定的な要素の勝った響きを西洋音楽の演奏家に、グラフィックな楽譜による不確定的な要素の勝った響きを伝統音楽の演奏家にそれぞれ主に割り振り、両者を協業させるような音楽などを、近年いろいろ試みてきたし、これからも作ってゆきたい。特に、日本ならではの21世紀の音楽を切り開いてゆくには、即興による自由な精神の開放に重きを置いた、しかし社会的には依然日本の内側に向かって閉ざされた印象のある伝統音楽の演奏家と、楽譜の正確な再現に重きを置き、その意味で不自由な、しかし社会的には日本の外側に向かって開かれた印象のある西洋音楽の演奏家との出会いと混じり合いの場を増やすことが不可欠と考える。たとえば1996年秋に発表したチェロ独奏と伝統楽器、及び仏教声明のための《心の視界》などは、そういう方向での創作での実例だ。」

—今後のインフォメーション

「小林健次のヴァイオリンと私のピアノによるデュオ・リサイタルをかつて継続していたが、それを再開しようと準備している。あと、今秋には1995年に初演したオペラ『モモ』を改訂して横浜で上演する。」

(取材協力:NTT出版)


■プロフィール
作曲家、ピアニスト。1933年生まれ。ジュリアード音楽院卒。58年ジョン・ケージに出会い、彼に師事する。61年帰国。66、68年武満徹と「現代音楽祭オーケストラル・スペース」を開催。フランス芸術文化勲章、尾高賞(4回)、毎日芸術賞、京都音楽賞大賞など受賞。日本の現代音楽の水準を30年以上にわたって作りつづけ、国際的にも高い評価を得ている。
https://www.tokyo-concerts.co.jp/artists/toshi-ichiyanagi/



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音楽という営み
一柳 慧著
NTT出版 


P22-差替

COSMOS OF TOSHI ICHIYANAGI I/II
[カメラータ 30CM52/53]

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一柳 慧作品集 I/II/III
[フォンテック FOCD3126/3138/3160]






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