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邦人作曲家シリーズvol.19:刀根康尚(text:高見一樹)

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載


刀根康尚
システムのカスタマイズ!?

INTERVIEW・WORDS/高見一樹
*musée 2000年11月20日(#28)掲載

42-43邦人作曲家-

刀根康尚。60年に、小杉武久らとグループ音楽という即興演奏の集団に参加。フルクサスに参加し、65年には、日本初のコンピューター・アートのコンサートを企画する。71年、美術手帖の編集顧問をつとめ、一級の資料と今でもその価値が高く評価されている『現代美術の50年』と題された400ページにおよぶ年表を作成し、同誌上にて(72年4、5月号)に発表する。72年に渡米、ニューヨークを中心に活動し、93年、ロバート・アシュレイが主催するLOVELY MUSICより、初のアルバム『MUSICA ICONOLOGOS』を発表、96年ジョン・ゾーンが主催するTZADIKから『SOLO FORWOUNDED CD』をリリースする。2001年1月、38年ぶりに、彼のコンサートが日本で企画される。打ち合わせで来日された刀根氏に、2枚のアルバムについて、そして現在進行しているプロジェクトを中心にお話を伺った。

***

──MUSICA ICONOLOGOS、はそもそもどういうプロジェクトだったのですか?

「中国の詩なんですが。詩経というね、中国の非常に古い詩のアンソロジーがあるでしょ。四書五経のうちのひとつなんですけど、その詩経からふたつ、CDの第一部は「椒聊之実」という比較的短いものを、二部にはね「十月之交」という、之交という語は、太陽と月が重なって月が日を覆うこと、日食のことですね。このふたつの漢詩の漢字を分析して、イメージに変換するわけ。文字をイメージにするには、古い字を見てみると、今の楷書に比べて、ずっと絵に近いと言うことを利用するわけです。まず、金文、甲骨文など、つまり殷周時代の青銅器の刻印や、亀甲とか牛骨に占いのために彫り付けた古い字を辿っていって、今のその字の意味と、その使用法を比較していく。そして、たとえばね、方向の「方」の字はどういう字かというと、部族と部族の境界線に、敵の部族の一人を殺してその死体を磔にして、部族と部族の境界線にたてるんですね。それが方のもとの形なんです。これによって古代の習俗で異敵の悪霊が侵入するのを防ぐと考えられていた。だけどイメージだけみると、方向の「方」とどんな関係があるのかと思うでしょう?。「方」の字は地方の方つまり、辺鄙な所ね。「方」というのは辺境(邊境)と言う言葉の「邊」の一部でもあるんですよ。あれもね、まあ、しんにゅうは交差した道ですよね。いちばんめ上は、みずからの「自」なんです。「自」というのは古い字は鼻の形なんですね。その鼻も下から見た鼻の形で、死骸の鼻です。その下に「丙」という字があって、これは秤の形、欧米では司法のシンボルで中国も法や刑罰を象徴するをあらわす字です。その下に「方」の字が入ってくる。文字全体でやはり方と似た意味をもってくる。だから、邊境とは英語でフロンティアですが、異族との境界の周辺をいうわけですが、そう言う場所には、境界を守護する為に掲げた磔がその文字のリファレンスになる。だから、いま挙げたイメージの一つずつを書き順にならべていくと、邊という字をイメージで表わしたことになる。その字のイメージにそのイメージをスキャンして、コンピューターに入力しデジタイズする。要するに、バイナリーコード(二進法のコード)に変換される。つまり、絵全体が1.0.1.0.という数字で表わされるわけです。それを一行ずつ縦からと横からと全部の列を加算させるんですよ。それをグラフに変えそのグラフを他のプログラムで、音の波形として読ませる。それがもとの音になるんですよ。短いんですけどね。それで(ふたつの詩)全部の文字を音に変換して録音したのが、最初のアルバムです。此の作品は純粋なデジタルミュージックなんですよ」

──いつごろから始められたんですか?

「漢字を変換していくというはね。1976年からニューヨークでやってるんです。それはね、テクスチュアル・ミュージック、というジャンルの一つです。その時はテキストは唐詩撰を使った。さっき言ったよな手続きでイメージ文字をイメージに変え、アニメーション・フィルムみたいに、そのイメージをひとこまづつ撮るんですよ。つまり朗読する時間にシンクロさせるように。それをね、会場で映し、それに合わせて中国語で朗読するんです」

──音は朗読の声だけですか?

「そう。漢字を映して朗読する。それが第一部。第二部はどうやってイメージと文字が結びついたかをパフォーマンスで示すという作品でね。それは非常に背の高い三脚を使って、上から下に向けてクローズドサーキットのカメラで、テーブルの上を写して、テーブルの上に黒い紙を置いといて、僕が白い墨でお習字する。漢詩をね。そうすると、モニターのほうには黒に白で映すでしょ。それに重ねて、スライドに撮った漢字のイメージをかぶせるんですよ。普通の楷書だとまったく関係ない風にみえるでしょ。今度、例えば古い、殷とかね周時代の字にすると、イメージに近いから、ちょうど文字をイメージが重なる。そこでイメージと文字の関係が了解される。非常に原始的なイメージ・シンセサイザーだね。これがね漢字を使った最初なんです」

──どうして漢字を?漢字文化圏の人間だからですか?

「いや。僕はアメリカに行って間もない頃はよくアメリカに勉強に来たのかと聞かれた。それが気に食わなかったから、アメリカ人に彼等の知らないことを教えに来たんだ、と言うためにそうゆう事をやった。第二部のクローズドサーキットのカメラを使ってやったパフォーマンスのときに、音響としてテキストの朗読を使ったんだ。たまたまあるパーティで知り合った女の子がヴァンセンヌの留学から帰ったばかりで、デリダの愛読者だった。それで、デリダの本を読んでくれる?ってお願いしたら、乗り気になっちゃって。グラマトロジーもガヤトリ・スピヴァックの英訳が出る前で、原典しかない。いっそ翻訳せずに全部フランス語で行こうと、また、アメリカに入ったばかりの「グラ一弔鐘」も使おう、言うことになった。デリダの本4、5冊の抜粋を作ってくれて、それを朗読してもらった。当時アメリカでもデリダなんて誰も知らなくて、記号学者か?なんて聞かれたね。彼女はデリダを紹介する短い文章を書いて脱構築とは何か、解説してましたが。(そういうことをやった)ひとつの理由としては、エスノセンチュリズム(西欧中心主義)に対する批判がある。つまりデリダはプラトーからフッサールにいたる西洋哲学の歴史は現前の形而上学をもとにしたロゴスとフォネーの共犯の歴史であると言っている。その為常に文字を軽く見て、声に特権をあたえてきた。だから、アルファベットによる音声中心主義と論理中心主義とはエスノセンチュリズムだといってる訳ね。だから、文字を使ってやると言うことに意味があった。それに、フリードリッヒ・キトラーが「グラモフォン、フィルム、タイプライター」という本の中で、西洋音楽の音の体系はアルファベットのサブシステムだ、というわけだ。だから、西欧の音楽あるいは、西欧中心主義的音楽というのは、アルファベット中心主義でもあるわけで、そういう伝統のまったく外部にある音楽を作るという究極の目的のためにアルファベットと全く違った書字のシステムである漢字を使ったわけです」

──今の音響系のやりかたはどうですか?出音中心主義なんでしょうが、疑問がありませんか?音だけが問題なんてことはないですよね。

「そうです。彼らにはコンセプトも何もありません。音だけが進んでいるなんてありえない、すぐ行き詰まる。一緒にされたら困るんですが、。メゴというオーストリアのレーベルがあるんですが、そこから出したフロリアン・ヘッカーのリミックスのコンピレーションに、フランシスコ・ロペス、ファーマーズ・マニュアル、ジム・オルーク、イルポ・ヴァイゼーネン、大友良英なんかといっしょに入っています。彼らとは楽しくやってますが。1993年のアルバムは、ラジオでも沢山かかってかますし、「キッズがあれでいろんなリミックスしてるよ」なんて、あるラジオ局のDJは、言ってました。シアトルのDJからプレイリストが送られてきて、僕の最初のアルバムの「椒聊之実」を、取り上げてたんですね。番組のテーマは特殊な楽器と言うことで、その解説によれば、コンピューターでイメージデータから音響えの変換を産みだすこのアルバムはノートブックを使って音楽やる連中には必携だと言われているイメージーシンセサイズのソフト、メタシンスやコアギュアの出現の5年以上まえにすでに、これらのソフトの前兆になっている、といってます。76年からはじめた仕事がだんだん後から追い付いてきたから用心しなければいけないと思いましたね」

──そのあとの二枚目のアルバムについてですが、一枚目とは、全く異なるアプローチでした。

「このアルバムはね、(もとになっている一枚目のアルバムのディスク)の表面にテープの断片ををいっぱい張り付けてね、全く別の作品にしちゃうんです」

──基本的にはデジタルの、バイナリーコードを使った...。

「そうです。これもバイナリーコードを、セロテープの細切れでブロックして、別なインフォメーションに変えてしまう、というアイデアだね」

──あとは解説を読めば、誰でもできる?

「85年に初めて演奏してから10年ぶりということで、自分のアルバムを使ってやったんですけど。ところが最近は誰でも出来なくなってきてるんです。つまりね、プレイヤーのエラーコレクションがすごくシビアになってきて。だから入れるとすぐ止まっちゃうんですよ。僕がもってるのは84年、85年、86年の機械なんですよ。今ではCDバナーも出て自家製で簡単にCDを作れちゃうからもう他人のCDをつかう必要はない。自分でディジタル・ミュージックを作曲してそれをCDに焼いてからセロテープでまた加工するわけだ。PS1と言うクィーンズにある美術館で、MOMAの支部のようなところなんだけれど。去年、その美術館が企画したウォームアップシリーズの最終日に演奏したんだけど。ウィリアム・パーカーのバンドと、エリオット・シャープのバンドとかと同じ日にぶつかったんですよ。僕ががんがん音だしてやってたら、若い連中が踊ってるんだね。そしたら彼らが、すげー音だしてるやつがいたと思ったらおじさんだってびっくりしてるんだ(笑)。今度コンサートではそういうこともやりますよ」

──でもこれは踊れますよね。デジタルな信号のエラーがデジタルに処理されて、規則的に音が出てきてますからね。

「そう、そういうところを、小杉(武久)は批判するんだよね。これはけしからん!だって(笑)」

──改善の余地はないですよね、しかしこれは。

「そう、基本的にはエラーの発生でああいう音が出てくるわけだし。コントロールできないというのがアイデアのひとつですから。いつ終わるかもわからない、予測できない。どうするかというと軽く振動を与えたりするとちょっとレイザービームがずれて、進む。また戻ったりするもしますが。情報が全く変わってしまうのだから、普段、耳に入いんない音が聞こえてくるわけで」

──日本のコンサートでは、ヤマタカアイさんとかと共演されるんですね。

「僕みたいな年寄りだけじゃあ、どうかということで(笑)。彼は小杉、ジョン・ゾーンともやってるからね。この間、いっしょに食事でもということで会ったんだけど。彼に向いてると思って、危険な音楽をやらせようかな、なんて話てたんだけど(笑)。デンジャー・ミュージックというジャンルがフルクサスのカテゴリーにあってね。それをやってもらおうということだったんだけど。一つの例を挙げれば、"CREEP INTO WHALE`S VAGINA"一(鯨のヴァギナにもぐり込め)というナム・ジュン・パイクの作品とか、いろいろあるんですよ。僕のもある程度、危険だからかわいそうでやめたけどね」

──出音を比較しても仕方がありませんが、チュードアさんの音楽と刀根さんの音楽とは、とてもよく似ていると思うのですが。

「いやーあんまり考えてなかったけれど、そうかもしれない。僕はチュードアの音楽は大好きだけど、誰かに似るのはしかし、まずいんじゃないかな(笑)」

──次の予定なんですが、来日の予定以外でレコーディンングなど、進んでいること、ありますか?

「そう簡単に次つぎといわれても。 クラブ系の連中とちがって、シュチュエーションが変わっただけで、違うアルバムができるというわけではないから。ジョン(・ゾーン)はまた出せっていうけど、だってもう出す理由がないから自分からは出さない。最初のアルバムは出す必然性があった。つまりCDというメディアを使ってCDでなければ作れない音楽作るという目的だね。だってあのアルバムは、外に出た音を録音せずに、コンピューターから発生させた音をそのままCDに移しただけだ。たまたま90年にはそのアイデアがあったんだけど、金がなかった。そしたらノンサッチのプロデューサーがコミッションしてくれたんだ。最初は、そのプロデューサーから、ケージとチュードア、小杉、マーチン・カルビが演奏している、マース・カニングハムのダンスのために書いた作品があって、それを中心に、LPを出さないかと言われてた。ケージのマネージャーはケージにもう頼んであるし、君はチュードアと仲いいから、じかに頼んだらって言われていたんだ。考えた挙句、どの作品も音響だけが中心でわないのでUNCOMFORTABLEだからやめるよって言った。じゃあ、UNCOMFORTABLEじゃないのはあるのか、と聞かれて、あるけど時間もお金もかかるよ、と言ったのね。それはこれから作るから話 せ、って言われてアイデアを話した。そしたらノンサッチは無理だけど、ラブリーならまあいいじゃないか、ということでお金貰って、カナダのマッギル大学の電子音楽スタディオで作ったんだ。まあこの作品はCDが楽器なわけで。CDに情報入れて、ディスクプレイヤーが演奏するという、CDがメディアなわけですよ。そういう作品だから出す理由がある。二枚目は、CDの情報をセロテープを貼って変換するとういことを、CDを使ってやった。ライナーノートに作り方を書いて誰でもできるということも言って出したから、これも必然性がある。次にCDを出す必然性がない」

──次に構想されているプロジェクトはどうですか?

「今作ってる非常にクレイジーな長い曲があるんですよ。これは万葉集が素材で万葉集はもともと仮名が出来る前に成立しているから、漢字を使って歌すべてを表記している。ね。万葉集は4516首あって全部漢字だから、前に言ったイメージを音響に変換するシステムで全部音楽にしちゃうというわけだ(笑)。CDにすれば500枚以上になる。だからCD-ROMにする。もう作ってあるんですけどね。プログラムを書いて、それから音のファイル、つまり4516首全部の共通する音をだぶらないように収めて、それから後で、プログラムで、各々の詩の文字の配列の通りに音をひっぱり出してきて、それをその場で、そのとおりの音が出てくるというね。これをね、僕は1996年からやってます。コンピュータにね万葉集を全部漢字で入力して、今度はそれを分析し、それから分析した漢字の要素をひとつひとつアルファアベットのコードに変換してまた、コンピューターに入れるのね。そういう手前の作業がすごくあるわけ。それから漢字を音に直す。非常に厳密にやってたんだけど。ところが漢字が多くなってくると、音が似て来ちゃう。差異があまり区別つかない。記号学的に言うと、言葉というのは差異のシステムだから、 差異がなかったら言葉として成立しない。それでこれはちょっと差異を強調しなければならないということになった。だから音のディテールを拡大しながら、いろいろと変えていったんですよ。そうするとまた時間くっちゃう。まる5年かかってますよ。まあ、でも何千曲かをまる五年だったら、いいかなっ(笑)。出すところも決まっていて、ハーベストワークスというメディアのオーガニゼーションなんですけどね」


●蛇足のインタヴューおまけ!
──音色が変わったりもするのですか?

「そりゃ当然、基本のバイナリーが変わるわけだから」

──じゃあやってみよ。

「古いプレイヤーじゃないとだめだよ。もってる?」

──ありますよ。

「えっ、じゃあ売って」

「わたしが理解している限りでは、テクスト性の概念には、書き込まれていないと想定される領地での、世界の世界化の概念に関係づけられるべきです。わたしがこう言うとき、その領有化した土地は実際には以前書き込まれていなかった、と仮定しなくてはならなかった帝国主義者の計画について基本的には語っているのです。そんなわけで製図法の単純な次元で、世界は書き込まれてないと想定されていたものを、書き込んだのでありました。さてこうした世界化は、実際には、テクストにすること、テクスト化であり、技術化であり、理解されるための客体化です」

──ガヤトリ・スピヴァクーインタビュー集/サラ・ハラシム編『ポスト植民地主義の思想』(彩流社)所収「批評、制度、フェミニズム」より


■プロフィール
1935年生まれ。60年に即興演奏集団「グループ・音楽」を結成。その後フルクサスに合流。日本の前衛芸術に大きな足跡を残し72年渡米。以降ニューヨークを拠点に活動し、J.ケージやD.テュードアらとともに、フルクサスやM.カニングハム舞踊団などのイベントに参加。85年からはプリペアされたCDを用いた演奏を開始し、サウンドアートや音響派の文脈からも高く評価される。02年アルスエレクトロニカ、デジタ ルミュージック部門金賞。代表作に、万葉集4500首余を素材にした「Wounded Man’yo」などがある。
https://clubberia.com/ja/artists/2035/


MUSICA ICONOLOGOS
YASUNAO TONE
[LOVELY MUSIC LCD 3041(廃盤)]
SOLO FOR WOUNDED CD
YASUNAO TONE
[TZADIK TZ 7212]

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