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Steve Albini逝去に寄せて、彼の美学を語る。および、音楽活動・受容における「現場主義」に対する、安易なる批判。(前編)

はじめに


 先日5月9日未明、衝撃的なニュースが音楽ファンの間にもたらされた。アメリカの著名な音楽プロデューサー・サウンドエンジニアであるSteve Albiniが、心臓発作により同月7日に命を落とした。この文章は彼の逝去に寄せて、彼の美学について筆者なりの見解を語るとともに、生前の彼のクラブ・カルチャーに関する発言を基に筆者の自論を展開するものである。だが、内容に先駆けて、まずは心から彼の死を悼み、冥福を祈りたい。Rest in peace,Mr. Steve Albini.今まで素晴らしいレコードをたくさん作ってくれて、本当にありがとう。どうか、安らかに。


Steve Albiniについて、筆者の認識など


 Steve Albini(以下、アルビニ)はShellacをはじめとする彼のバンド活動でも知られているが、やはり最も重要な仕事として筆頭に挙がるのはNirvanaのラスト・アルバムとなった『In Utero』だろう。前作『Nevermind』での爆発的な成功を受け、アンダーグラウンドへの回帰を目指して作られたこの作品は、ハイライトを挙げればキリがない。そしてその数あるハイライトのうちの一つに、アルビニの手がけた立体的なドラム・サウンドがある。この音にはロック・ファンの誰もが圧倒され、腕に覚えのあるバンドマンなら一度は「こんな音で録ってみたい!」と思ったことがあるのではないだろうか。

 ここで先に一つ断っておきたいが、筆者は必ずしもアルビニの熱心なリスナーではない。好きなエンジニアを挙げろと言われれば、彼とほぼ同時代(厳密には少し後だろうか)に活躍したDave Fridmann(以下、フリッドマン)の名前を出す。Weezerの傑作2ndアルバム『Pinkerton』のドラム・レコーディング(アルバム全体のプロデュースは彼ではない)や、後期NUMBER GIRLといったオルタナ・バンドから、MogwaiやSaxon Shoreといったポストロック/マスロック、The Flaming LipsやMGMT、初期のTame Imparaといったネオサイケ勢などのプロデュース仕事で知られるフリッドマンも、アルビニと同じく「立体的で迫力のあるドラム・サウンドを特徴とする」という点で一定の評価を得ている。

https://open.spotify.com/album/1mJFgPeuLhU1PzLNBURdJC?si=m4jUasKMRxK5g-JWEYoHYQ

https://open.spotify.com/album/7FBx85QTyuFgl2TpjroShR?si=peHXQbICSES2lMCAU_4Q5g

https://open.spotify.com/album/51K6a7FHtfA7MgTUuR8WRA?si=6yBa01ApS0WMJ5divo5qUA

https://open.spotify.com/album/6WAikvMX5QSFOitbv3IwfH?si=X3JzuzxxTRGdysLZemrvoA

https://open.spotify.com/album/18FRVXUyoW1QQfwzi9PRC4?si=WJ8fuoksQR2MD_ypjICiKQ

https://open.spotify.com/album/3C2MFZ2iHotUQOSBzdSvM7?si=FMguo-diSiaRPOFnL0hjiA

 しかし、この両者ーフリッドマンとアルビニーのエンジニアリングのやり口には(おそらく)大きな相違がある。ここから少し制作面での技術的な話題に移るが、筆者はまだGarageBand以外のDAWを触ったこともなければ、コード類の8の字巻きすらままならない程度のズブの素人だ(ちなみに、来る6月1日にソロ名義で配信シングルをリリースする予定です。お楽しみに)。彼らのインタビューなどの文献で読んだ記憶をつなぎ合わせて書いたものであり、おそらく間違っている部分が大いにあるであろうことを留意していただきたい。

アルビニとフリッドマン、大物プロデューサー2人の間の差異についてーその1


 フリッドマンの手がけるドラムは、耳にドスドス刺さってくるような太いバスドラムと、つんざくようにピーキーなスネアドラム・シンバル類の鳴りが特徴だ。

それに対してアルビニの手がけるドラムは、確かに「太い音」ではあるものの、フリッドマンの音のように耳を突き刺すような音ではなく、太鼓の胴鳴りやハイハット同士の軋みなどが強調されていて、どこか生の温かみのようなものがある。

ここには両者のレコーディングに関する美学の違いがはっきり表れていると筆者は考える。
 YouTubeに上がっている断片的なレコーディング風景を見る限り、フリッドマンにはデジタル機材などの新しいテクノロジーを導入することに対して衒いがない。MGMTのレコーディング風景では、彼らがクリックに合わせてキーボードをオーバーダビングする姿が確認できる(それぐらいはアナログ・レコーディングの世界でもあるのかもしれないが)。

また、ZAZEN BOYSとタッグを組んで制作した『ZAZEN BOYS 4』は、それまでの作風から一気にエレクトロニカに接近した内容で、ほぼ同じ時期に先に挙げたSaxon Shoreなどを手がけていた彼のプロデュースによる色がよく表れていると言える。

 それと比べて、アルビニのレコーディング美学はどうかというと、彼は偏執的と言えるまでにアナログ・テープによる録音やナマのアンビエンスにとことん拘っていたと言える。ドン・キャバレロのメンバーがインタビューで語っている内容(アルビニ本人不在のため、事実とは異なる可能性もある)によると、彼はDMM(ダイレクト・メタル・マスタリング)という手法を採用している。
 (余談だが、同インタビューではアルビニの凄まじいワーカホリックぶりについても語られている。その早すぎる死の一因に多忙による身体的・精神的負荷があったことは言うに及ばないだろう…。最大限の自戒も込めて、クリエイティブな活動をする人はほどほどに休みを作って、できるだけ規則正しい生活を心がけましょう。)

私は当然レコードのマスタリング工程など関わったことがないので、どういうことなのかわかるわけもないが、高音域のロスやカッティング工程で意図せず生じるエコーなどのノイズを軽減する効果があるらしい。「よりナマの音に近くなるための一手間をかけている」ぐらいの認識で合っているだろうか。

ともかくアルビニは「バンドから出た音をそのままの形で録音する」ことに異常なまでのこだわりを持っていた。

アルビニとフリッドマン、大物プロデューサー2人の間の差異についてーその2


 また、2人の志向の違いは制作プロセスにもよく表れている。フリッドマンが手がけたNUMBER GIRLのアルバムのレコーディング風景では、ギター・ボーカルを担当するバンドの司令塔である向井秀徳とフリッドマンの間で盛んにディスカッションが行われている(向井の拙い英語も相まってあまり噛み合ってないように見えるのが面白いのだが)ことが確認できる。特に高圧的なムードを出して主導権を握っているというわけではない(というかナンバガに関しては向井が完全にそれだが)ものの、彼のプロデュースが入ることで作風がガラリと様変わりしたバンドも多く(先に挙げたSaxon Shore(よく名前が出るな。良いバンドですよ)やZAZEN BOYSなど。まあアルビニの方にもCloud Nothings『Attack On Memory』などいわゆる「バンドを化けさせた」アルバムの例はあるっちゃあるので、そういう化学反応は往々にして起きることなのだとは思うが。というかそれがなかったらプロデューサーつける意味がないし)、彼の手が加わることで言うなれば「フリッドマン印」が加わる印象がアルビニと比べても強い。

https://open.spotify.com/album/1siXezO0rAWku1Aoi5vVMa?si=aKRTw-G1THuzeyorD84l6Q

 一方のアルビニはというと、確かに「アルビニ印」と呼べるものが結果的にはあるものの、彼自身は基本的にバンド側のアレンジや出音を最大限に尊重しており、首を突っ込むようなことは徹底的にしていない様子だ。一つの例として、先日アルビニの下でアルバム『世界』をレコーディングしたCRYAMYのギター・ボーカル、カワノの発言を見てみよう。

―アルバムを聴かせてもらって、一曲目の「THE WORLD」の冒頭のフィードバックノイズを聴いた時点で、「これは間違いないな」と思いました。カワノくんとしては出来上がったアルバムに対してどのような手応えを感じていますか?

カワノ:手応えというよりは、単純に喜びがすごかったですね。日本でやる僕らの作業っていうのは、レコーディングで音を録りました、でもこの素材としての音がどうしても耳で聴いた感じと違うから、ミックスで頑張っていじって聴覚上に近づけようという戦いだったんですけど、スティーヴのスタジオで録った音はもうまんまなんですよね。自分たちが演奏した音がまんま飛んでくる。僕の声に関しても、僕は声が人よりもちょっと大きいんですよ。だから、本当は一撃でバーッと歌いたいんですけど、リミッターに引っかかっちゃったりとかして、エンジニアさんが苦労しながら調整してるのを見てきたんですよね。でもスティーヴは「いいよ、そのままで」って感じで、ガーッて大きく歌えばどこまでも伸びるし、小さく歌ってもどこまでも沈んでいくしっていう、一番はその喜びが大きかったですね。

ローリング・ストーン・ジャパン誌インタビュー『CRYAMYが語る、アルビニに直アポで実現した極限の創作活動、インディペンデントの矜持』より引用

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/40407

https://open.spotify.com/album/5JiUJcFXcE3LHIgYuOoDDy?si=LBDjHSBvTXueExR4kwHyZg

 自分の声の大きさからエンジニアが苦労しているのを気の毒に思っていたカワノは、アルビニからは「そのままでいい」と言われ、それが嬉しかったのだという。バンドマンのクリエイティビティや本来の出音を尊重して「記録」するのが、アルビニの根本的な価値観なのだろう。筆者もこの記事を書く段階で調べて驚いたのだが、フリッドマンの方が一回り歳上(アルビニは61歳没、一方フリッドマンは2024年現在77歳)なのも面白い。てっきりフリッドマンの方が若いから柔軟なのかと思っていたが、逆のようだ。
 2019年にEarthQuakerDevicesのチャンネルにて公開された『Show Us Your Junk!』のエピソード(この動画を制作し、日本語字幕をつけてくれたEarthQuakerDevicesには心からの謝辞を贈りたい。そしてこんなに素晴らしい内容の動画が8,000回そこそこの再生数で止まっているのはどう考えてもおかしいと私は言いたい)にて彼は、「私の仕事はバンドの音を録音する事だ。音を作ってバンドに与えることではない」とはっきり宣言している(3:53〜「Recording aesthetic」の項にて)。フリッドマンは彼に言わせればどちらかというと後者のタイプで、筆者自身もプロデュース仕事をすることがもしあれば、そちら側のやり口になると思う。しかし、支持するか否かは置いておいても、このアルビニの語る美学は音楽制作におけるスタンスとしてあまりにも筋が通っていて、理にかなっていると考える。

かなり長くなりそうなので一旦ここで切ります。まだ本題に入ってすらいない。後半へ続く(CV.キートン山田)。

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