【エッセイ】ありがとうの使い方。
「ありがとう。」
この言葉を見て、あなたはどう感じますか?
気を悪くする方は、おそらくいないでしょう。
感謝の気持ちを伝えることは大事。
ただ、noteを書いてみて、一つ思ったことがある。
・・・
しっかりした文章は、型がある。
これは、文章を書く上で大切なことの一つで、「伝えたいこと」ははっきりする。
しかし、どうしても「冷たさ」が出てきてしまう。
しっかりしているからこそ、文章が堅苦しく感じられ、「温かみ」を求めてしまうのかもしれない。
いろいろな工夫がなされてきた。
絵文字を追加してみたり、口語の割合を増やしたり…。
「ありがとう」を使うのもこの工夫の一つだろう。
書き手と読み手の距離感が近いnoteだからこそ、「読み手への感謝」ができる。
その気持ちを全面に出した文章を書くことは、リアルタイムで感情を共有できるnoteならではのいい文化。
ただ、文章の温かみを求めて「ありがとう。」を何度も使ってしまうのは、本来の言葉の重みが薄れているんじゃないか。
「~でありがとう。~もありがとう。~で本当にありがとう。」
この文章では、なぜ感謝しているのか? がぼやけている。
感謝したい! という書き手の気持ちが強すぎて、読みずらく感じてしまう。
私はこれを 頂いたコメント でやってしまうことがある。
送信後に、「気持ちが先行しちゃったな…」と思うことも。
・・・
これは、「ごめんなさい。」の理論と同じだと思う。
会話の中で何度も謝罪をしてしまうと、
「本当に反省しているのか?」
「謝ればいいと思っているのか?」
という印象を相手に与えてしまう。
このとき、「ごめんなさい。」を何度も使うために、1つ1つの謝罪の意味が薄れる。
その人の発する気持ちに「重み」がなくなってしまう。
では、どうすれば読み手に気持ちを伝えることができるのか。
私が意識していることは、「喜び」の表現を使うことで、感謝との線引きをすることだ。
「~嬉しいです。」
これでも、自分の感情は読み手に伝わる。
その最後に「ありがとう。」と添えるくらいでいい。
そのほうが、最後の感謝に重みができる。
読み手にちょっと無愛想なくらいが、文章としてはいいのかもしれない。
・・・
とはいえ、私の文章はいつも無愛想である。
特にエッセイは、誰かを突き放しているような…そんなおはなしが多い。
愛想を振りまくのは好きじゃない。
だからこそ、エッセイ以外では、感謝の気持ちを 最後の5文字 に込める。
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