「自殺したい」人に読んでほしい、私の体験記。

こんにちは。

昨今、芸能人の自殺ニュースを目にすることが多く、心を痛めている人も多いのではないでしょうか。

「自殺するしかない」
そのような気持ちになることはあるでしょうし、本人の「死ぬ選択」を責めることは誰にもできないと思います。

だけど、生きていればこそ。

今、生きるのが辛くて、「自殺したい」と思っている方の目に止まり、
少しでも「死ぬ選択」から「生きる選択」の後押しになってくれれば幸いです。

※当時の日記を見ながら記載しています。約1年半に渡る嫌がらせの記録、自殺を決意したこと、そしてその後の話なので、かなり長いです
※特定を避けるために複数フェイクいれています。


死のうと思ったときがありました。

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新卒で入社した企業はアウトソーシング事業で業績を伸ばし、業界でも有名な企業の完全子会社。
安定した業績と地元雇用につられ入社したそこは、地獄でした。

安定した業績は、社員の犠牲の上に成り立っていました。
過度な残業、休日出勤、火消し対応を課される一部の社員…。
新卒で配属された部署でのOJTを終え、やっと一人前として働けるぞ!と気合充分のときに、まさかの異動要請。
地元で働きたいと希望していたのに、地元から遠く離れた東京への転勤を言い渡されました。

忘れもしない9月の金曜日、16:00に異動を打診され、週明け月曜日の夜には東京にいました。
会社の用意したマンスリーマンションに1ヶ月のみ滞在し、その間に住む場所を決めるよう言われました。

向かった受託元は外資系の大企業。誰もが知っている大企業です。
しかし受託した業務は会社の強みであるコールセンター事業ではなく、「なぜこれを受諾した?!」と疑いたくなるくらい畑違い。ネームバリューにつられて無理なプロジェクトを営業が軽々しく受け、その弊害が様々な現場の社員に起きるのでした。
幸いにも、私と同じく新卒同期が同じように異動の打診を受け、一足先に同じプロジェクトに着任していました。「一緒に新卒研修を乗り越えた同期がいる」それだけが心の支えでした。

地獄の始まり

後ほど知ったのですが、受託した業務のプロジェクトリーダーが、受託元の責任者に叱責され飛んだことが異動の原因でした。
「正社員を連れてこい!!」と言われた会社は、入社してまだ3ヶ月の新卒2人を送り込んで、これで良しとしていたのです。
業務レクチャーを直接受けていたプロジェクトリーダーが飛んでしまったため、イチからのスタート。
右も左もわからない状態で、伝言リレーのように業務のレクチャーを受け始めました。
火を吹くように忙しかったそのプロジェクト、昼休憩も取れず帰宅はいつも22:00を過ぎていました。
加えて自分で住む場所も見つけなければならず、休日出勤の合間を縫って、親戚を頼りながらやっと住居を見つけ…など、目まぐるしく日々が過ぎていきました。

雰囲気の悪さにはすぐ気づきました。
受託元の責任者Aさん、その部下のBさん。どちらも女性の方でした。
Aさんは厳しくも正しく、公平な方でしたが、Bさんは精神的にとても不安定な方でした。
今思うと、受託した企業の使えないプロジェクトリーダーが、一生懸命業務を教えたにも関わらず飛ぶし、また新人を指導しないといけないし…といっぱいいっぱいだったんだと思います。

しかし、それでも『いつキレるか』わからないBさんに教わるのは、新卒の私にとっては恐怖でしかありませんでした。
また、Bさん自身、私達受託先の新卒の区別がついていないのか「ついさっき言ったでしょ!!!!」と、身に覚えのないことでキレることもしばしば。言われたこと習ったことはすべてメモをしていたので、その理不尽さに憤りを感じつつも「仕事だから」と自分を慰めていました。

このBさん、びっくりするくらい声が小さいんです。
朝礼で重要な周知をしているのですが、全く聞こえない。聞こえないとわからなくて質問するとまたキレられる。そう思って朝礼時に良く聞くために近くに行くと「嫌味ですか?」とキレられる。
どうすればいいんだと思ってました。

同期の離脱

朝も昼も夜も、終わらない業務とプレッシャー、いつキレるかわからない受託元の上司。
そんな張り詰めた空気の中で、とうとう同期がうつ病と診断され求職することになりました。
新卒入社し、半年程度での求職でした。

うつになってしまった同期を責める気持ちは当時も、もちろん今もありません。
「新卒をうつ病にしてしまった」ことに対して、然るべき対応をしなかった会社にはずっと怒りしかありません。

残った社員の業務量はもちろん増え、よりピリピリとした状態が続きました。
Bさんは日増しに言動がきつくなり、「いじめじゃないか?」と思うようなこともたくさんされました。  


・共有事項を私にだけ共有してくれない
・使用ツールを私だけ使用許可してくれない
 →エクセルで代替品を作りました
・なにかミスがあったらとりあえず私のせい
・フロア中に聞こえる声で(このときだけ)みんなの前で名指しで叱責
 →これも私起因のものではなかったのですが、言い返す勇気はありませんでした
・業務についてをまとめているメモ帳を隠される、捨てられる
 →毎日ゴミ箱から見つかるので、最後は笑ってしまいました

上げるときりがないのですが、これ以上のこともたくさんされました。
共有されるべきことを私だけされないので、中には「あなたがちゃんと聞いてないから」と言う人も中にはいました。
Bさんは「この人は仕事ができない」と周りに印象づけるのに必死になっていたので、一部の人には成功していました。

いよいよ体に異変が出る

最初の異変は朝に起きました。
脳は起きても、体が起き上がれない。金縛りのように動けないのです。
這いずるようにして身支度をして、足をまち針で刺して反射で動いたときに周りのものに捕まって立ち上がり、やっとの思いで出勤していました。
夜は鼻血が止まらない、顎全体に赤紫の吹き出物ができる、眉毛が全部抜け落ちるなど、それ以外にも体に異変が起こりました。
眉毛が抜け落ちたときに「白血病では…?」と不安になり病院に受診。
結論、ストレスが原因と診断され、特に治療を受けることはできませんでした。
顎の吹き出物を見られるのが嫌でずっとマスクを付けていました。

精神的にもギリギリになっていた当時は、出社する電車の中で涙が止まらなくなり、過呼吸になったことも数え切れないほど。
やっと休めるようになった土日に、東京で働いている友達や同期と遊ぶのが唯一の楽しみでした。
しかし徐々に、土日も思うように体が動かず、ずっと横になって過ごしていました。
耳鳴りが激しく、音に過敏になってしまっていたので、にぎやかな都会にいることが辛かったのです。

なんでこんなことしてるんだろう、どうしてこんなに辛いんだろうと毎日生きるのが辛いと思っていました。

自殺を決意する

どうにか自分を鼓舞して仕事しても、度重なる嫌がらせに耐えかね、

「この状態から逃れるには死ぬしかない」「Bさんから離れるには死ぬしかない」と考えるようになりました。
今思えば、仕事をやめて実家に戻ればよかったのです。
しかし当時は仕事を辞めると残される人(Bさん以外)に申し訳ない、家族に申し訳ない、奨学金を返すために働かなければならない、と、仕事をやめるではなく人生をやめる、方に思いがいってしまっていたのです。

その後しばらく、死ぬことばかり考えていました。
アパートで自殺したら事故物件になっちゃうから、親に請求が行くかもしれないなぁ、電車も同じだなぁ、でも飛び降りは死体がグロいからなぁ…。
など、嫌に具体的に考えていたのを覚えています。

遺書を書きながら「親が悲しむなぁ」と思い、情けなさと申し訳なさでわんわん泣いたこともありました。
それでも「死ぬしかない」と思っていた私は、会社の屋上から飛び降りようと決めました。
会社から受けた傷を、会社に知ってほしかったのです。

自殺しようと思った当日の出来事

金曜日、遺書を自室のテーブルに置いて出勤しました。
その日もBさんは私に嫌がらせばかり。「まぁ今日で死ぬからいいやぁ」と思っていました。

昼休憩直前になって業務のやり方(13:00までに完了しないといけないデータ納品の方法)が変わっていたことを知らされ、焦って一生懸命終わらせました。
昼休憩残り10分のところでやっと終わり、コンビニで買っていたパンを食べていたところ、Bさんにこんなことを言われました。
「食べれないとなると、ちゃんと仕事するんですね」
カーっと顔が熱くなりました。悔しくて悲しくて、何の反応もできずにただ席を立ちトイレに行きました。
食べたばかりのパンを吐いてしまい、口をゆすいでいるときにふと鏡を見ると、
ストレスで抜け落ちた眉毛、顎を覆う吹き出物、泣きはらした目。
そんな自分の姿を見て「あぁ、23歳なんて、若くて楽しいはずなのになんでこんな風になっちゃんたんだろう」とポロポロと涙が流れてきました。

そのときに、受託元の別部署の方がトイレにやってきました。
Aさんと仲の良い派遣社員のCさんです。
「◯◯ちゃん、Bさんがやってることはおかしい」そう言って泣いている私にハンカチを渡してくれました。
そのまま泣き続ける私をオフィスのビルから連れ出し、カフェに連れて行ってくれました。
CさんからAさんに、「◯◯ちゃんがBさんからちゃんと連携受けていないせいで休憩取れなかったから、今から私と休憩に入ります」と言ってくれていたのです。

Cさんから「◯◯ちゃんが泣いているの見て、やっぱりおかしいって思った。他にもそう思っている人はたくさんいるけど、周りが余計なことをしないほうがいいのかなと思って何もできなかった。ごめんね」と謝られ、そうだったんだと思いました。
当時Bさんは、うちの会社の上層部に依頼され、受託元企業からうちの会社に社員として雇用されていました。
そのため、別企業の社員に対して、受託元の他の社員さんから言いづらかったそうでした。
また、私はどんなことをされても人前で泣きませんでした。なので、Cさん達は「周りがあまり大事にしないほうがいいのでは…」と話していたそうです。

Bさんにされてきたこと、自分の体の異変、自殺しようと思っていることをすべてCさんに話ました。
Cさんは、すぐにAさんとの面談を組んでくれ、必要であれば自分も同席するし、他にもBさんの私に対する言動を問題視している人たちは大勢いるから、その人たちにも同席してもらうように言おうかと提案してくれました。
あまり大事にしたくなかった(報復が怖かった)ので、その他の方の同席は断りましたが、心細さからCさんには同席をお願いしました。

休憩後そのまま面談を組んでくれたので、その日はお昼以降、Bさんに関わらずに済みました。

Aさんとの面談、そしてその後

Cさんに同席してもらい、約1年半に渡るBさんからの嫌がらせをすべてAさんにお伝えしました。
時折泣いてしまいましたが、Aさんはずっと話を聞いてくれました。Cさんも合間合間に「私も見てます」「☓☓さんからも聞いています」と援護をしてくれました。

2時間ほど話をしました。1年半の嫌がらせを2時間にまとめることは難しかったですが、Aさんはすべて理解してくれたように感じました。

「まず、私の監督不行き届きです。ごめんなさい」と深々と頭を下げていただきました。
正直Aさんは悪くないので謝らないでくださいと言いましたが、「今は違うとはいえ、私の部下が人様の社員さんにこんな思いをさせてしまっていることは事実なので」と真摯に謝ってくださいました。
その上で、「◯◯さんは今後どうしたい?」と聞いてくれました。
「Bはすでに◯◯さんの会社の人間だから、私が評価や査定をすることができない。その上で、どうしたいかを教えてほしい。できるだけ希望の沿った内容になるように尽力する」とおっしゃってくださいました。
私は迷わず「関わりを絶ちたい」とお伝えしました。
謝ってほしいでも、みんなの誤解を解いてほしいでもなく、とにかくBさんとの関わりを絶ちたかったのです。

Aさんはすぐに行動してくださりました。
転勤で地元に戻る前に知ったのですが、うちの上層部(取締役含め)にも注意をしてくれていたそうです。

まずはじめに、業務上必要な連携を怠ったこと、正当な理由なく私にのみツールの使用を許可しなかったことを会社対会社として注意をしてくださり、私もツールを使えるようになりました。
そして、毎日の朝礼・終礼にAさんも参加し、周知事項はBさんからではなくAさんから実施していただけるようになりました。
手前の人にしか聞こえないような共有がなくなったので、業務でのミスや漏れが減り、『責められる原因』をなくすことができました。

一番大きな変化は『味方がたくさんいる』と気づけたことです。
Cさんが声をかけてくださったことをきっかけに、とても多くの方から休憩中や業務前後にコミュニケーションを取ってくださり、「守られている」と感じる場面がありました。
自社の派遣社員さんやアルバイトさんからも「◯◯ちゃんが間違ってないこと、私、派遣先に言ってる!」などのお言葉を頂いたこともありました。

営業さんからの依頼を、大事な部分を故意に伏せた上で業務指示をされ、納期に間に合わない自体が発生したことがありました。
その時に営業さん、プロジェクトメンバーの前で「◯◯さんがこれこれをこうしてしまったので、皆さん納期に間に合わせるため申し訳ないですが協力してください」と言われたときに営業さんがすごい剣幕で
「俺はBに頼んだんだよ。それを◯◯ちゃんに依頼するときに、連携ミスってるだろ?(傍目で見てもそれを言わなきゃ…という内容だったので感づいていたそうです)◯◯ちゃんのせいじゃないだろ、私が正しく報連相できていなかったので、だろ」と訂正してくれました。

Aさんの目を盗んでBさんから嫌がらせを受けることはありましたが、積極的に周りの方が意見してくれ、転勤で地元に戻る前にはほとんど嫌がらせを受けることがなくなりました。

そしていよいよ、再度転勤で地元に戻れることになりました。「関わりを絶ちたい」が物理でも業務でもすべて実現したのです。
嬉しくて嬉しくて、そのときに「あぁ死ななくてよかった」と心から思いました。

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自殺をしなくてよかったと、心から思っています

地元に帰りまたも炎上プロジェクトに着任させられ、業務上の負荷は大きかったですが、「嫌がらせ」をする社員は1人もおらず精神的にとても楽になりました。

今は転職し、福利厚生もワークライフバランスも整った職場で日々元気に働けています。

あの時、Cさんが声をかけてくれなければ、自殺していたと思います。
そして自殺していたら、過去10年間で経験した素晴らしいことも経験することなく、出会えた素敵な人々とも出会うことなく死んでいたんだ。と思うとゾッとします。

最後に、遺書を用意するまで自殺をしようとしていた私から、
自殺をする前に試してほしいことや、考えてほしいことをアドバイスさせてください。

1.とにかく誰かに相談してください
自分で「限界だ」と思っても、他の人が解決の糸口を持っていることがあります
そして、誰かに吐き出すことで冷静になれることもあります
知り合いに相談できる人がいない、と思ったら相談窓口などにも相談してみてください
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000188968.html

2.環境を変えてください
できる範囲でいいです。転職できるなら転職を、転校できるなら転校をするなど、『悪い環境』から自分を守るために『別の良い環境』に物理で変えちゃいましょう

3.その人のために死ぬ必要は100%ありません
自殺の原因になるようなくだらない、人として未熟な人間のために、あなたの大切な命を失う価値はありません。100%ありません。

4.死ぬ勇気があれば、何でもできます
私はCさんと話、Aさんと面談したことをきっかけにこう思うようになりました。
嫌がらせを受け、今までだったら何も言えなかったですが、Bさんにも「正しいこと」を言い返せるようになりました。
「一度は死ぬつもりだったんだから」と自分を強く持つことができました。


長々と書きましたが、これだけは心に留めてください。

あなたの命は大切です。あなたは大切な人間です。あなたはこの世に必要です。
あなたの未来には、希望があります。
私は、あなたに生きてほしい。

近くても遠くても、もしかしたら出会うかもしれない。
まだ出会っていないけど、私はあなたが大切です。

生きてこそ。


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