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「米津玄師さんという指針」/第7回 友人インタビュー

(米津米さん 2020年5月下旬)

インタビュアー田中友人インタビューシリーズの第7回。シンガーソングライター米津玄師さんの大ファンである友人、米津米(よねづまい)さんにお話を聞きました。中でも米津米さんが絶賛する、米津玄師さんの「歌詞」のことを中心に記事にまとめました。

出会いー「アイネクライネ」

──米津玄師さんの音楽との出会いを教えてください。

米津米さん(以下、ヨ) 最初の出会いは2014年の秋に見た、堀北真希さんが出ていた東京メトロのCMです。テレビを見ていたらふとCMの歌が耳に入ってきて、聞いた瞬間に「めちゃくちゃいい!この歌を歌っている人、誰だろう。天才だ!」って思った。それが米津さんの曲を初めて聞いた時で、今でもはっきり覚えています。
 そのCMで使われていた曲が「アイネクライネ」。初期の代表曲です。まずメロディラインがすごく美しくて耳に残ったっていうのがあったんですけど、さらに歌詞がいいんです。
 そのCMが流れるたびに、なんて歌ってるんだろうって、耳をそばだてて全部の歌詞を聞き取ろうとしていました(笑)。

 私は、今回のインタビューで米津さんの曲の「歌詞のよさ」を掘り下げていきたいと思っています。

 東京メトロのCMにはいろんなバージョンがあって、私が最初に聞いたのは、

産まれてきたその瞬間にあたし
「消えてしまいたい」って泣き喚いたんだ
それからずっと探していたんだ
いつか出会える あなたのことを

消えない悲しみも綻びもあなたといれば
それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか
目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような
奇跡であふれて足りないや
あたしの名前を呼んでくれた
あなたの名前を呼んでいいかな             

(米津玄師「アイネクライネ」より。注;上記はCM用に編集された詞順かと思われます。神保町バージョンでこの詞順でした)

のところだったと思うんですけど、普通、産まれてきた赤ちゃんが「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣いているのは元気な証拠、喜びとして受け取られるものだけど、実際赤ちゃんを見ると顔をゆがめて泣いていますよね。それを、

“生まれてきた瞬間に「消えてしまたい」と泣き喚いたんだ”

という風にとらえる米津さんのセンスがまずすごい。

 そしてそういう苦しい気持ちで生まれてきたけれど、

“消えない悲しみも綻びもあなたといれれば
それでよかったねと笑いあえるような誰かをずっと探していて
それがどんなに嬉しいことか”

って歌っている。
 笑い合えるような誰かに出会えるっていうことこそが、人生の喜びであったり、人生の美しさなんじゃないかっていう歌詞はすごいです。短い歌詞の中で人生の美しい部分を切り取って伝える言葉選びのセンスが天才的だなって感じたんです。

──米津米さんにとっての一曲目でこれはすごい、と?

ヨ 本当に、CMをふっと聞いた瞬間にすごい、すごい人がいる!って思いました。

 そのあとにある


目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような
…(米津玄師「アイネクライネ」より)

っていうところ、それは、そういう人に出会えて嬉しくて、うれし涙で目が曇ることの表現だと思うんですけど、そのあとが
「涙があふれて足りないや」だったら全然普通の言い方なんだけど、そこを


奇跡であふれて足りないや
…(米津玄師「アイネクライネ」より)

とするセンスが秀逸。
 喜びで涙があふれるという意味と、そんな人に出会えることが奇跡であふれてるってことを一行で的確に表現してる。一文ですごい!
 そして


あたしの名前を呼んでくれた
あなたの名前を呼んでいいかな
…(米津玄師「アイネクライネ」より)

っていうのも、
 名前っていうのはその人固有のものであって、名前を呼んでくれた人がその人を必要としてるってことを表している。名前を呼ぶっていうのは「あなたを必要としてますよ」っていうメッセージ。そして自分もその相手の名前を呼んでいいかな、って言って、自分もその人を必要としていることを表現している。
 人は一人では生きていけなくて、誰かに必要とされたいとか、自分も誰かを必要とするっていうのは人間の普遍的な感情でしょう。米津さんは、そういう普遍的なものを歌詞に込められるところが文学的に優れていると思うんです。

 私がなんでそういうのが好きかって考えてみると、私は、ちっちゃい頃からずっと本が好きで、外に遊びに行くよりずっと本を読んでるような、文学に傾倒した人間でした。
 たくさんの本を読んできて思うのは、物語に普遍性、つまり、すべての人々に通じるような、人々の感情の最大公約数みたいなものが物語の底辺に流れていて、その作品を読んだ読み手の人生に何らかの影響を与えうるのが本当に優れた文学作品だということ。
 まさに、米津さんの歌っていうのはそれに当てはまる。っていうのを感じたんですね。

 米津さんの歌の歌詞っていうのは、一見何を言ってるのかわからないとか、難しいととらえる人もいるかもしれない。特に初期の歌の歌詞は難解なものが多いです。だけど歌詞を一つ一つひも解いて考えていってみると、すごく普遍的なことを歌っていたりして、味わい深い。
 米津さんが音楽的に優れているっていうのは、音楽評論家の人たちにもすごく言われているんだけど、私は歌詞がすばらしくて、文学的に味わえること、それが米津さんの曲の一番の魅力だと思っています。

──「アイネクライネ」をCMで聞いたときはもう(‘ハチ’名義ではなく)米津さん?
 ※米津玄師さんは2009〜2011年、クリエイター’ハチ’名義でボーカロイド(=VOCALOID。ヤマハが開発した音声合成技術、およびその応用製品の総称。Wikipediaより)を使用し楽曲を制作。

ヨ もう米津玄師さん名義ですね。でも、私がCMを見た時、歌手名がクレジットされてなかった気がするんですよね。この人誰なんだろう?と思って、歌詞を一生懸命耳コピしてその歌詞をGoogleに入れて検索して、「ああ、よねづ…なんて読む人なんだろ」って感じで(笑)。

──そして他の曲も聴いてみた?

ヨ それでハマって、YouTubeでいろいろ聞いたら曲が全部良くて、その時既に出ていた『diorama(ジオラマ)』と『YANKEE(ヤンキー)』っていうアルバムを買って、ずっと聞いていました。

『diorama』から『YANKEE』へー普遍性への文脈

ヨ ただ、その頃の米津さんの歌って、ちょっと癖があるんです。
 例えば、「花に嵐」とか「海と山椒魚」っていう題名の歌があるんですけど。わかる人はタイトルを聞いて「井伏鱒二!」ってピンと来ると思います。
 「花に嵐」は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という、井伏鱒二による漢詩の名訳から多分とっていて、「海と山椒魚」は井伏鱒二の代表作の、体が大きくなりすぎて岩屋から出られなくなった山椒魚の話「山椒魚」からだと思います。曲名を見た瞬間、文学オタクの私はおおおーってなりました(笑)。
 それを知ってて聞くのと知らないで聞くのとでは、曲の理解度が全然違うと思うんですね。文学好きにはたまらなくて、この曲は奥が深い!となるだろうけど、わからない人にはなんのこっちゃかもしれない。その頃の曲は、感性が米津さんに似ている人にとっては非常に美しいものと感じられるけれど、聞く人を選ぶというか、万人受けするものではないかもしれないと思うんです。

 特にファーストアルバムの『diorama』は、米津さんが美しいと思うもの、自分の中で一番素晴らしいと思うものをギュッと詰めたアルバムなんですって。米津さんがその時一番いいと思うこだわりをつめた最高のものだから、きっとみんなにもそれが受け入れられて、そのアルバムはオリコン1位になるだろうと、米津さんは思っていたらしいです。
 でも、結果はオリコン6位だった。6位でも十分すごいんですけど、米津さんは自分の中にある最高の美しさが世の中に受け入れられなかったとショックを受けて、何か月も何にもやる気が起きないような日々を送ったらしい。

 そういうときに、自分がいいと思う音楽を理解しない社会が悪いとか、自分の感性に世間が追いついてないんだ、とすねてしまってもおかしくはないと思うんだけど、米津さんはそうはならなかった。自分の中にある美しいもの、閉じられた世界の中だけで曲を作っていてもだめだと思って、他者との接点を持つようになった。悪い意味ではなく「わかりやすい、相手に伝わりやすい」ものを作ろうと、そこで普遍性のある、みんなに受け入れられるものについて深く考えて曲を作るようになった

 もともと米津さんは、自分のため、もしくは限られたコミュニティの中に向けてだけボーカロイド(以下、ボカロ)楽曲を作っていたんですね。
 でも、米津さんは「ポップミュージックを作りたい。国民的音楽家になりたい、ジブリの映画のように子供も楽しめるし、大人が見ても面白い、そういうことを音楽でやりたい」という希望をもっていたから、そうなるためには閉じられた世界だけでなく、開かれた社会に踏み出していく必要があった。

 『diorama』は全部自分で作ってて、人に編曲されるとか、音を一音でもずらされるのが嫌だったんですって。
 だけど、その次の『YANKEE』で初めてバンド体制を組んで収録して、「アイネクライネ」では蔦屋好位置っていう有名な編曲家が参加したり、他者との関わりの中で音楽を作っていくっていうことを初めてやった。
 “YANKEE(=移民)”のタイトルの由来は、自分は歌わないで初音ミク(ボカロのキャラクター)を使って曲を作ってた、その世界から来た移民みたいな意味でタイトルにしたらしいです。そうやって他者との関わりと、自分の世界から持ってきたもの半分半分で作ったのが『YANKEE』で、オリコン2位という成果につながった。

 そういう、米津さんの歌と音楽には文脈がある、というのも、私が好きなところです。

──米津さんの歴史は、アイネクライネで発見してからすぐに調べ始めた?

ヨ そうですね。「アイネクライネ」ってシングルカットされてないから、
聞きたかったら『YANKEE』を買うしかなかったから買って、その前の『diorama』も聞いて、過去のインタビュー記事とか、特集を組んでる雑誌とか全部読んで(笑)。

 曲を聞いてると、何でこの人はこういう風に曲を作ったんだろうとか、自分なりに「アイネクライネ」の歌詞を1つ1つ読解していたから、米津さんの考えが知りたくなって調べていましたね。

信じられる音楽

──曲だけじゃなくて、米津さんの歴史とか人生とかも含めて読解して、それ全てが好きというか、面白い?

ヨ 「歌」って、作った人の思考がすごく表れると思うんです。音楽好きの中には、曲が良ければそれを作ってる人の人間性は気にしないっていう人もいると思うんだけど、私は作った人の思考がその歌に関わっていると思うから、それが自分が共感できる考えであってほしいと思うんですね。
 例えば実際の社会で不倫とかしてる人が、「人を傷つけちゃいけない」っていう歌を歌ってたら、それは欺瞞でしょう。自分は不倫をしてて、最悪な人間ですって歌ってる方がまだ正直であると言えるんだけど、だとしても、不倫をしてて最悪な人間ですっていう歌には私は別に共感できないわけです。

 米津さんは、「音楽に対して真摯でありたい」とか「正直でありたい」と言ってたりするんだけど、それって結構難しいことだと私は思ってて、音楽に正直であるっていうことは、結局はその人の生き方も正直でないといけない。
 だから米津さんの人柄も気になるっていうか、話したその言葉と一致した人なんだろうかって考える。今のところ米津さんは音楽について自身が発したメッセージに対して、真摯な人であると私は思っています。

 だからと言って、米津さんが聖人君子であってほしいとかは全然思っていないんですよ。米津さんの、汚い、醜いような考えや、怒りのような感情を正直に歌にしてる曲もあったりして、でもそれも歌にして表すっていうことが音楽に対して真摯であるっていうことなんじゃないかなと思っていて、そういう人を私は他に知らない。いろんな人の音楽を聞いて、そこまで思う人は他にいないです。

「LOSER」ー踏み出す勇気

──まず歌から米津さんの人間が見えてきて、取材など発信してるものと照らし合わせても重なり合ってる、と。

ヨ 例えば2016年に出した「LOSER(ルーザー)」、“負け犬”っていう意味の歌。その曲は『YANKEE』の頃から2年ぐらい経っていて、自分の中の音楽っていうことじゃなくて、他者に向けてのメッセージ性がある曲の中でも、ある種突き抜けた1曲です。そのミュージックビデオの中で、米津さんは初めてダンスを踊ってるんです。
 米津さんはそれまでダンスをやってたわけじゃなくて、初めてダンスの先生に就いて何ヶ月か練習して、踊って、歌を発表してる。元々ボカロで曲を作っていて自分の声ですら歌わず、ネットの世界だけで活躍してた人が新たにダンスに挑戦して、自らの肉体を使って表現するとか、すごい挑戦をしている曲で。

 そして歌詞の中でどういうメッセージがあるかというと、例えば


イアンもカートも昔の人よ 中指立ててもしょうがないの
… (米津玄師「LOSER」より

って歌詞があるんですけど、イアンとカートっていうのは、イアン・カーティスとカート・コバーンっていう昔のロックスターで、20代で自殺してしまった人たち。昔って、社会に反抗するとか、厭世する、自ら死を選ぶ、それがロックでかっこいいんだって風潮がありませんでした? でもそういう風に中指立てる=相手を侮蔑するようなことをしてもしょうがないよ、社会に反抗して自ら死を選んだってしょうがないじゃん、って歌っているんです。

 あとの方で


アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう
もう一回もう一回行こうぜ 僕らの声

愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね
永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうのほうへ
ああわかってるって 深く転がる 俺は負け犬
ただどこでもいいから遠くへ行きたいんだ それだけなんだ 
…(米津玄師「LOSER」より)

とあるんだけど、これは、もともと自分たちは何者でもない負け犬のような存在かもしれないけど、かっこ悪くてもいいから、遠吠えしよう=声を上げていこう。愛されたい=世間に認めてもらいたいんならそう言おう、行動しようと、今何者でもない人たちに伝えているんだと思います。

 米津さんがダンスをして世間に出すなんて、もともとは恥ずかしがり屋さんだから(笑)、すごく恥ずかしかったかもしれないんだけど、そうやって常に自分が挑戦をしていって、変わり続けることで世間に認められていくんだっていうのを体現している、強いメッセージ性を持った曲です。

 「遠くへ行きたい」というフレーズは、米津さんの歌によく出てきます。徳島に生まれて、自分の音楽の才能を認めてくれる土壌が小さい頃は全然なくて、遠くへ行きたい、ここから出ていきたいという思いが強くあった。
 ボカロ楽曲制作から始まり、最初は自分のエゴみたいなものだけで音楽を作ってたんだけどそれじゃだめだってなって、普遍的なものっていうのは何かっていうのを考えて曲を作って、ライブをして他者と関わるようになって。
 たどってみると、本人がこうありたいと歌ってることと本人が行動してることがちゃんとリンクしてる。だから私は、米津さんの歌を信じられるんだと思います。

 「LOSER」を聞いて、勇気を出してここではない何処かへ踏み出したことによって米津さんは成功を手に入れたんだ、自分も米津さんみたいに、別にかっこ悪くても何でもいいから何か始めよう、って前向きな気持ちになりました。
 それで何か自分の身になるようなことをしたいと思って、何をしていいかわからなかったからとりあえずTOEICの勉強を始めて、目標の800点には届かなかったけど700点ちょっとぐらいは取れました。米津さんの歌がきっかけで自分も1歩踏み出す勇気をもらいましたね。

「Lemon」ー契機と出発

──米津さんの曲は、米津米さんの人生にも影響を与えているんですね。

ヨ そうですね。米津さんの歌と行動をずっと見ているから、本当に成長しててすごいって思います。
 この頃米津さんはよく、変わり続けることが美しいことだって言ってて、2017年に出した『BOOTLEG(ブートレグ)』っていうアルバムでは、言ったとおり、「打上花火」をDAOKOと一緒に歌ったり、他の曲でも菅田将暉や池田エライザと歌ったりとか、ボカロ時代では考えられなかったような、米津さんとしてはかなり踏み込んだようなことをしていて。
 そういう挑戦を続けていくことによって、ドラマや映画のタイアップ曲もすごくたくさんオファーされるようになって、2018年にドラマ『アンナチュラル』の主題歌の「Lemon(レモン)」が大ヒットした。そこまでの経緯があるからこそ、ああ、本当によかったね、って思いました。

──「Lemon」のヒットや、世間での大きな盛り上がりについてどう見ていますか。

ヨ 自分の中にあるものだけでは限界があるということで、米津さんが他者との普遍性を追い求めてきた結果の集大成が「Lemon」かなと思います。米津さんは、あるテーマの中から人々が共感できるものを見つけ出してそれを音楽にするのがものすごくうまい。「Lemon」は、大切な人を失った時の悲しみに対する人々の感情の中にある普遍性、例えば失われたものに思いを馳せる恋しい気持ち、ノスタルジーをすくい上げている歌。もうこれは説明不要の名曲といえると思う。
 やってきたことが実になってよかったね、本当にうれしいっていうのがまず思った1つ。

 その1年間、「Lemon」が大ヒットして、米津さんがその年の紅白歌合戦に出たんですよね。それを見てる時に、本当にすごく遠くに行ったんだな、と。
 私が初めて米津さんのライブに行ったのが、2015年の4月(ワンマンツアー「花ゆり落ちる」)、渋谷のO-EAST(オーイースト)っていうキャパ1000人ぐらいの会場で、その時本当に目の前で歌ってた人が、今は何千万人もの人が見るテレビで歌ってて、公言通り国民的歌手の仲間入りをしたっていうのが本当にすごいなって思う一方、翻って自分を不甲斐なく思ったんです。
 なんていうんだろう、米津さんが遠くへ行っちゃったことが寂しいとかじゃなくて、米津さんにいろいろ勇気をもらってたはずなのに自分は全然前に進めてない気がして、紅白歌合戦を見終わった後に私はベッドで号泣していました(笑)。
 だって、この数年の間に米津さんはものすごい進化を遂げているのに私は!?と。比べるべくもないんだけども。

 年明け1月になって、自分が本当は何がやりたいのかって考えて、やりたかったことに再挑戦しようと決めました。私は新卒から9年間勤めた会社の仕事があまりにも大変すぎて、最後は結婚と同時に辞めたんですが、それが自分の中に挫折感としてあったんです。だからもう一度同じ業種にチャレンジしようと就職活動をして、正社員になった。
 だからこの1年は必死で働いたし、大変だったけど本当に充実してて、自分も少しは変われたかな、それは米津さんのおかげだなと思って感謝しています。
 きっかけがなくても頑張れる人は頑張れると思うんだけど、私は米津さんの曲を聞いてなかったら、前職をのんべんだらりと続けてたかもしれないです(笑)。

──紅白に出ている米津さんを見て、実際頑張れたっていうのはすごいですね。

ヨ そんなこと思って紅白見てる人いないでしょうね(笑)。号泣してた私を見て家族がすごくひいてたもん。怖いんですけど、って(笑)。米津さんは紅白まで出ているのに、私は何もしていない〜(泣)って、そんなの元が違うんだから何言っちゃってんのって感じだったけど、私は私の中での最大の頑張りをしたい。って思った。

──そんな風に人の人生を照らしている存在ってすごいですね。

ヨ 米津さんの歌が私の生きる指針になってる。自分でも宗教っぽいなと思ってる。米津教みたいな(笑)。

「でしょましょ」ーこの時代のための歌

──今好きな曲は何ですか?って言われたらパッと浮かぶのは?

ヨ 「花に嵐」とー…、最近の曲で結構好きなのは、「馬と鹿」のカップリングの「でしょましょ」っていう曲があるんですけど、それが米津流令和ソングでねえ。またそれがすごいんですよ。
 令和ソングっていうと、元号が変わる辺りにいろんな人が出していましたが、大体は平成を回顧している歌とか、新しい時代の幕明けだイエー!的なものとかで。まず米津さんが令和ソング的なものを歌うはずないと思ってたんですけど、「でしょましょ」っていうのはある意味令和ソングなんです。が、全然令和を賛美していない


異常な世界で凡に生きるのがとても難しい
令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ

非常にやるせないことばかりで全部嫌になっちゃうな
…(米津玄師「でしょましょ」より)

 令和になって京アニの事件とか、通り魔事件とか子供の虐待問題もあり、とんでもない時代に突入していますが、的確にそんな時代感を切り取っていると思います。
 SNSでも、事件の犯人とかに対して誹謗中傷がすごいじゃないですか。全く顔の見えないSNSの世界の中で、一見正義のようだけど、並んでいるのは、あんな犯人は生まれてこない方が良かったとか、責め苦の果てに殺してやるとか、常軌を逸した恐ろしい言葉。
 令和っていう元号のせいではないけど、狂った時代に突入してるんじゃないかみたいな危機感、だからこそ平凡に正気を保って生きていかなきゃいけないっていう歌なんだけど、それを聞いてて、ああ今は本当に異常な世界だよな、って思ってたら、さらにコロナの世界になって、そしてつい最近番組の出演者がSNSの誹謗中傷で自殺したとかもあって……顔を見せずして正義を振りかざして誹謗中傷してる人たちにこそ、米津さんの音楽を聴いてほしい

ラブソングは歌わない・最後に

──米津さんの曲は、タイアップ曲はオファーに合わせて作られているんだと思うんですが、ドラマやCMの雰囲気に合いながらも商業的っぽすぎず心に響くような詞で、っていうのがうまいバランスですよね。

ヨ すごい才能ですよ。
 米津さん、愛だの恋だの歌わないのもいいんじゃないでしょうか。
 「アイネクライネ」はおそらくラブソングに近いのでしょうけど、それを親子関係とか友人関係に当てはめたとしても、そう聞こえるような言葉選びをしていると思います。
 米津さんの歌は恋愛だけじゃなくて、みんながどこかで共感できるような普遍的なものを歌ってる。最初からそうだったわけではなくて、米津さんは意図してそれをやってますね。だから、こうして今すごく幅広い年代に支持されているんでしょうね。

 あ、考えてみたらちょっと前から「愛してる」とかいう言葉は使うなあ。でも恋愛だけの愛にはとどまらない感じはする。広くあまねくの愛、みたいな。



──最後に何かありますか?

 あと5時間くらいしゃべれる(笑)。アートワークや音楽性の話は今回時間が足りず全然できませんでした。いつか米津玄師の研究論文でも書きたいな。
 もし米津さんに会えることがあったら、あなたのおかげで私も変わり続けることができましたって言えるように、これからもどんどんいろんなことにチャレンジしていきたい
 早くまたライブに行けるような世の中に戻ってほしいです。

(終わり)

++おまけ付き++
ファン必読!?「米津米的ベストセットリスト!!」を考えていただきました!脳内ライブをどうぞお楽しみください!→

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米津米(よねづまい)さん 
Twitterアカウント:米津米@yonezumai
「お米と米津さんとお茶で育った日本人です。最早、幻のライブとなった HYPE 2月15日横アリ参戦!」(Twitterプロフィールより)

※インタビュアー田中の発言の前には──が付いています。
※個人的な経験と感想に基づいたお話です。
※今回はご本人の同意のもと、Twitterユーザー名を記載しています。(普段は匿名、仮名での記事を基本としています。)

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