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タイムマネジメントにおける潔さ

通訳者は仕事の準備にどのくらい時間をかけているものなのか。案件によっては事前情報がほとんど無く、(やむをえず)準備なしで現場に向かうこともあれば、たった1時間の会議のために何日もかかってしまうほど資料が多いこともある。多くの場合、もう少し時間があればもっと読み込めるのに!という消化不良のまま時間切れとなる。たとえば丸一日の社内会議で議題が5本あったとする。資料の束(実際にはPDFなどのデータで送られてくるが)も5本、更に開会挨拶や閉会挨拶、進行シナリオもあって合計8本だったとする。1本読み込むのに2~3時間かかってしまったとしたら、1日では終わらない。ちなみにこの「読み込む」には、内容を把握する、英語版と日本語を見て訳語を照合する、両言語で揃っていない場合は必要なところだけでも訳語を書き込む、頻繁に出てくるキーワードや略語を抜き出して別紙にまとめておく・・・等が含まれている。土日の2日間、徹夜するか。しかし眠かったり疲れていたりすると格段に集中力も反応も悪くなるので、通訳の質を保つためにも睡眠は削りたくない。たとえこの会議が週の半ば以降だったとしても、睡眠不足からリカバリーできずに当日を迎えるリスクは減らしたい・・・。

そんなジレンマを抱えているときに思い出すのが、通訳者になる前の仕事でクライアントに言われた言葉だ。見積書を提出したが、競合他社の出してきた見積もりにも、クライアントの希望単価よりもまだ高い。何度計算し直しても、見積書の上から下まで、どの原料もどの工程もこれ以上単価を下げることはできない。うちはもうこれで限界です・・・と何度目かの修正見積もりを出した時に言われたのだ。積み上げ計算してたらいつまで経っても同じでしょ。まず絶対この単価にする、って見積書に書き込んで、その数字にするためには原料と工程がいくらでなければならないか逆算できるでしょ。それを購買とか生産管理に持っていって、話をつけるんだよ・・・。

結局このコンペがどうなったのかは覚えていないのだが、この時の会話を今になってよく思い出す。準備に費やせるのが1日しかないとしたら、8時間と考える。資料は8本なので、1時間ずつだ。1時間で読み込める粒度・・・となると、太字だけ追って流れを把握する、重要単語のみチェックする、訳せない自信(という言い方も変だが)があるものだけ訳語を確認する、くらいしかできない。そんないい加減なやり方で良いのか、気が小さい私は忸怩たる思いである。しかしここは割り切るしかない。1時間経過したら、未練を捨て次の資料に移る。しっかり読んだものと全く読めなかったものがあるよりは、広く薄く、全体を見る方がいいと自分自身に言い聞かせる。しっかり読んで納得したい気持ち、完璧を求める気持ちは一旦捨てる。その潔さを持てるかどうかが、タイムマネジメントの鍵のような気がする。



執筆者:川井 円(かわい まどか)
インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。