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占いとメンタリティ

占いを信じる方だと自分でも思う。昔は占い師さんによく観てもらったし、占い師という職業に興味があった。占い師は創造力豊かで、人に興味を持つことができる人が向いている、と雑誌の占い師特集で読んだ。ただし名前が売れるまでは生活の不安定さは覚悟しなくてはならないし、イベントなどに積極的に参加したり、自分で営業活動したりして、地道に実績を積まなくてはならない、とも書かれていた。通訳者になるために勉強中だった私は、占い師と通訳者のキャリアパスの共通点をそこに見いだした。
 

占いなんて、誰にでも当てはまること、何とでも解釈できることを言っているだけだよ、という意見もあろう。そもそも迷いや悩みがあって、何かにすがりたくて占い師に観てもらうのだから、それらしい言葉をかけられたら自分に都合の良いように解釈して、簡単に信じてしまうのだ。自分に自信が無いから、占いに行くんでしょう?と、言われたこともある。
 

世の中には様々な占いがあるし、当たり外れだけを求める人ばかりではないだろう。おみくじと一緒で、ごく当たり前のことを指摘されて、ふと我が身を省みる機会になっていることもある。先入観を持たない全くの他人の目に今の自分がどう映るのかも分かる。私はのんびりとそんなことを思っていた。
 
その後少しずつ私の占い熱は冷めていった。雑誌の星占い程度はつらつら読むが、ページを送る頃には内容を忘れている。そこそこに良いことが書かれてたような満足感だけがおぼろげに残っているだけだ。
 
しかし最近になって「今日の運勢」を見るのが怖くなっていることに気づいた。朝のテレビや、駅のコンコースの電光掲示板で流れているような、星座ごとの今日の運勢である。
 

あるとき仕事で失敗した。通訳パフォーマンスで大きなミスをしてしまい、クライアントにも指摘された。エージェントからもその連絡を受けた後、ふと思い出した。今朝の射手座、12位だった・・・。
 
それ以来、仕事の前は絶対に占いの類いは見なくなった。12位になる確率は12分の1だが、10位や11位だって、そう言われたら1日それを引きずってしまう。私は決して験を担ぐ人間でも、おまじないを信じる人間でもない。しかし自分のパフォーマンスに影響するような気持ちの上での不安要因は少しでも取り除いておきたいのだ。
 

今では「今日の運勢」が流れていたら、下を向いて足早に通り過ぎるようにしている。(雑誌にあるような月単位、年単位の大まかな占いは相変わらず見ているが。)我ながら気が小さいし、少しばかり神経質なのも分かっている。思い起こすのは、占い師に多少ネガティブなことを言われても平気だった昔の私である。自信がなくて占いにすがるどころか、占いを受け止める心の余裕はあったわけだ。メンタルの強さ、取り戻したい。

執筆者:川井 円(かわい まどか)
インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。
意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。

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