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「そんなの言われなくても分かってるわ」と思うことの大半は、言われないと分からない。

    • 関ジャム「BUMP OF CHICKEN特集」を観て感じたこと

      藤原さんのインタビューがあった。藤原さんはクールな印象がある。だけど語り出すと熱い。インタビュアーの質問に対して一つ一つ真摯に回答する。 「他の人がどう思ってくれるかには全く自信がない。若い頃から今に至るまでずっとそう。」 自分の作る音楽について、藤原さんはそう語る。じゃあなんで音楽やろうと思ったのかな。なんでやり続けられるのかな。その答えは後で分かる。 藤原さんが初めてオリジナルの曲(ガラスのブルース)を作ったとき、何人かの友達に聞かせたらしい。すると共通して「お前こん

      • 洞察と活動を区別する

        • 人類は躊躇する能力が高すぎる

        「そんなの言われなくても分かってるわ」と思うことの大半は、言われないと分からない。

          やりたいことはやらないといけない

          やりたいことはやらないといけない

          人生のアウトラインを考えてみる

          将来何が起こるか分からないし、将来自分が何に興味を持つか分からない。しかし、ポジションを取らないといけない。ポジションを取らないと始まらない。そのために、これからの人生のアウトラインを考えてみる。 アーティストステートメント規則性と偶然性の間にある音楽性、即興性を探求する 漫才も音楽だと気づいたときに、自分の興味・関心に共通するものがあると思うようになった。ある程度は聞き手の期待通りに進行し、またある程度は聞き手を期待を(良い意味で)裏切る曲が良い曲だと本で読んだことがあ

          人生のアウトラインを考えてみる

          未来を予測するのではなく、未来を考えることで今をより良く知る

          未来を予測するのではなく、未来を考えることで今をより良く知る

          何と何の間でバランスをとるかを意識しないとバランスはとれない

          何と何の間でバランスをとるかを意識しないとバランスはとれない

          やれば時間は余るし、やらなければ時間は足りなくなる

          やれば時間は余るし、やらなければ時間は足りなくなる

          アーティストステートメントと社会彫刻

          僕は音楽が好きで、お笑いが好きで、サッカーが好きである。また、数学(確率論)と金融にも関心がある。いつからか、これらの好きなものに共通するものは何だろうと考えていた。引いては、自分のアーティストステートメントは何だろうと考えていた。初めは、「偶然性」が共通する性質だと思っていた。音楽のライブは、歌や演奏を間違えるかもしれないという偶然性を常に抱えている。お笑いはフリートークの場で試されるアドリブに大きな魅力がある。サッカーの試合で偶然性が影響するのは言うまでもない。また、確率

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          まとまった時間を確保する

          「細切れの時間がいくらあっても研究は進まない」といった内容のツイートを時々目にする。僕は研究者じゃないが、この話は他人事とは思えない。研究に限らず、自分の認識や理解がまだ十分及んでいない領域においてあれこれ考えを巡らせるにはまとまった時間が必要だ。最低でも1時間は欲しい。 せっかくまとまった時間があるのに、細々したことを色々やって終わらせてしまうことがよくある。それをやっていては、いつまで経っても深い集中で物事を進めることはできない。

          まとまった時間を確保する

          言葉で欲望を維持する

          何日も人と(リモートですら)会わずに家に引きこもっていると、無気力状態に陥ってしまうことが度々ある。その状態から脱するには他人と会うしかないと思っていた。「欲望は他者の欲望である」というラカンの言葉通り、欲望は他人によって形作られると思っていたからだ。なので、誰ともコミュニケーションを交わさず一人で家にいる限りは、無気力に陥ることは免れ得ないという諦めがあった。実際、斎藤環先生の以下noteにそういった内容の記述がある。 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)|not

          言葉で欲望を維持する

          言語が思考のツールとして有用なのは、人間が社会的生物であるからだろうか

          人間は他者とのコミニケーションを通じて物事を学ぶ。とすれば、コミニケーションツールである言語が思考のツールとしても有用なのは正しい。それだけ。

          言語が思考のツールとして有用なのは、人間が社会的生物であるからだろうか

          脱ニヒリズム~ミメーシス・味わうこと・面倒くさいを歓迎すること~

          サピエンス全史を読んだあたりから、ニヒリストになっていた(陥っていた)。サッカーを観ていたら、ある日、「人間が集まって球を蹴っているのを、大勢の人間が集まって見ている不思議な現象」にしか見えなくなった。球を蹴り合って、何が嬉しいんだろう・・・。しかし、その時は、そんな虚無に包まれた状態が嫌ではなかった。むしろ、そんな自分がどこかかっこいいとすら思っていたかもしれない。そんな状態が2年ほど続いて、ある本に出会った。 その日は仕事に疲れて、いつもより早目に業務終了した。すごく疲

          脱ニヒリズム~ミメーシス・味わうこと・面倒くさいを歓迎すること~

          今答えが出ないとしても、問いは明確にする

          『イシューからはじめよ』で、よいイシューの条件の一つに「答えが出せる」が挙げられている。確かに今答えが出せない問題に時間をかけていても成果は出ない。僕はこれを読んで以降、いつも肝に銘じていたのだが、気づいたら「答えが出せそうにない領域については、問題を明確にすることすらしない」という思考に陥っていた。これだと、いつかは(自分のスキル等が向上することによって)その問題を解ける日が来たかもしれないのに、問題が何であるかが明確になっていないために解けないという事態になってしまう。こ

          今答えが出ないとしても、問いは明確にする

          真に無目的的な行為は存在しないのではないか

          ほんとに何の目的もなくやってることってあるのだろうか。ツムツムに夢中になっているとき、初めは無目的にやっていると思い込んでいたが、どうやら違うことに気づいた。ツムを集めるため、コインを稼ぐため、ツムを消すためにやっていたのだ。 先週はゼルダの伝説BotWにハマっていたが、これも無目的にやっていたのではない。地図を広げるため、ストーリーを進めるため、強くなるため、敵を倒すためにやっている。毎秒嬉しいからやるのではなく、毎秒何かに期待しているからやるのだ。 言い方の問題に過ぎ

          真に無目的的な行為は存在しないのではないか