人生のアウトラインを考えてみる

将来何が起こるか分からないし、将来自分が何に興味を持つか分からない。しかし、ポジションを取らないといけない。ポジションを取らないと始まらない。そのために、これからの人生のアウトラインを考えてみる。

アーティストステートメント

規則性と偶然性の間にある音楽性、即興性を探求する

漫才も音楽だと気づいたときに、自分の興味・関心に共通するものがあると思うようになった。ある程度は聞き手の期待通りに進行し、またある程度は聞き手を期待を(良い意味で)裏切る曲が良い曲だと本で読んだことがある。その通りだと思う。ある程度は期待通りに進行することで、聞き手に規則性を認識させる。そしてその規則性を上手いタイミングで裏切る。それが心地よい。漫才も同じである。サッカーの試合も同じで、戦術があって、予測があって、その上で意外性のあるプレーが生まれる。即興性とはそういうことだ。ただの偶然が即興ではない。規則性の上で発生する予想外が即興になる。そういう即興性は一纏めに音楽性と言ってもいい。
確率微分方程式も音楽だ。規則を表すドリフト項と、偶然性を表す拡散項。その塩梅が重要だ。

 理論物理学や人工生命研究の分野から、生命体の持つような複雑性が成立するのは、秩序からカオス(混沌)へと移り変わる「カオスの縁(ふち)」と呼ばれる狭い条件の下に限定されることが明らかになってきました。
・・・
つまり、規則性と偶発性のどちらに偏っても、それは「生きたもの」にはなり得ないのです。

泉谷閑示「本物の思考力を磨くための音楽学」

音楽性とは、つまり生命の条件のことかもしれない。そう考えると、自分のステートメントは自然で本質的なものだと思う。

ステートメントを受けて、成し遂げたいこと

金融モデルをより精緻にする

金融の世界においては、大統一理論の発見はまったく不可能なのである。
・・・
金融の世界においては、現実との近似以上のものを作り出すことはできない。
・・・
物理学の相手は神であり、神が自らの法則を変化させることはほとんどない。神を追い詰めた時には、神はそれを認めるだろう。一方、金融の世界の相手は、神の創造物である人間である。人間は、一過性の意見に基づいて試算を評価する。人間は、自分が敗北をした時にもそれに気づくことはなく、同じ過ちを繰り返すのである。

エマニュエル・ダーマン「物理学者、ウォール街を往く。」

たしかに金融のモデルは現実の近似に過ぎない。しかし、古典力学のモデルもまた近似に過ぎないのである。実在概念は近似概念なのだ。ならば、金融のモデルと古典力学のモデルが質的に異なるとは言い難い。さらには物理学と金融を区別するために神を持ち出さなければならない点もいかがなものか。ダーマンは上の引用の後に、自由意志も持ち出して物理学と金融の区別を試みているが、いずれにせよ西洋的で20世紀的な価値観に基づいた説明であり、21世紀の東洋に生きる自分には到底納得できないものである。
もちろん、人間の行動を予測するのは難しいし、ましてや予測する人間の行動を予測するのはとても難しい。しかし諦めるのはまだ早い。
確率微分方程式の形は音楽的であり、従って生命的であると言える。この形式の中で表現できることはまだたくさん残っているはずだ。一方で、より精緻なモデルを作るには全く違った形のモデルを生み出すことが必要になるかもしれない。例えば、時間は円環しているという仮定に基づくモデルや、そもそも時間の変数を用いないモデルが必要かもしれない。

金融やサッカーの因果関係を紐解く

「ボールを保持する戦い方でないとW杯優勝できない」とか、「代表監督は日本人の方がいい」とか、そんな議論を10年以上聞き続けている。サッカーに詳しい人の話をいろいろ聞いても、どうやら意見が割れたままである。いつまでも合意形成できないのは、一つには因果関係を誰も把握できていないからだと思う。データからわかるのは相関関係だけで、どういった因果が存在するかは人の解釈に依る。ゆえに意見が割れる。
金融の世界も同じで、どんな金融政策にどんな効果があるのかははっきりしない。そのため、話が進まない。
データだけを見て因果関係を想像して、尤もらしく議論しても埒が明かない。いかに説得力のある説明ができても仕方ない。説得力が図られている時点で全くファクトフルではない。数学の世界には説得力など存在しない。サッカーの(個々のプレーではなく、より俯瞰的な)議論も金融政策の議論も、何か理論めいたものがあるように一見思えるが、実際はカオスに近い。もう少し規則側に寄せたい。因果推論を使えばそれができるのではないか。
今はできると信じている。

もう少し偶然側に寄せた音楽を作る

ジャズみたいに、コード進行だけ決められていて、演奏者がその上で自由に即興で奏でるみたいな音楽をコンピュータにやらせると面白いんじゃないかと思っている。(もしかしたらもう誰かやってるかもしれない。)普段僕が聞いている音楽は、どれも再生すると毎回同じ音が聞こえる。そうではなくて、再生するたびに変化があると飽きなくていいなと思う。その変化も丁度いい塩梅がきっとあるはず。
確率音楽」というものを考えた人がいるらしい。掘っていけば面白いものが作れると思う。

グルーヴを生み出す

我々はサピエンスを切り離した人類に向かっている。
意味や意義は君に任せる。俺たちはグルーヴだけで生きていく。

落合陽一

音楽はグルーヴだし、お笑いもグルーヴだし、サッカーもグルーヴ。飲み会もグルーヴだし、金融もいずれグルーヴになる。確率微分方程式もグルーヴなんじゃないか。
グルーヴを感じると楽しい。他人の作ったグルーヴに乗っかるのもいいが、自分から生み出すことがあってもいいと思う。

アウトラインを書いてみて

結局全部グルーヴなんじゃないかと思えてきた。面倒くさいと思えることも、グルーヴが生まれると楽しい。面倒くさいことを楽しむのは難しいかもしれないが、グルーヴを見出すことならできそうな気がする。理解するのが難しいことも、手を動かしてやってみればいい。頭でうんうん唸って考えていてもグルーヴは生まれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?