真に無目的的な行為は存在しないのではないか

ほんとに何の目的もなくやってることってあるのだろうか。ツムツムに夢中になっているとき、初めは無目的にやっていると思い込んでいたが、どうやら違うことに気づいた。ツムを集めるため、コインを稼ぐため、ツムを消すためにやっていたのだ。

先週はゼルダの伝説BotWにハマっていたが、これも無目的にやっていたのではない。地図を広げるため、ストーリーを進めるため、強くなるため、敵を倒すためにやっている。毎秒嬉しいからやるのではなく、毎秒何かに期待しているからやるのだ。

言い方の問題に過ぎない気もするが、極論、すべての行為は、目的的で、フィードバックまでの時間が異なるに過ぎないと考えることができるのではないか。ハマるゲームはフィードバックが早い。すぐにコインがたまるし、ルピーがたまるし、敵が出てきて戦える。対して、ハマりにくいものはフィードバックが遅い。難しいことを勉強するのは、理解したり、問題を解けたりするまでに時間がかかる。

今まで自分は、無目的的な行為こそ至上だと考え、ゲームでもなんでもハマったもの(ハマりやすい)に長い時間を割いていた。しかしそれは、実は無目的的なものではなく、フィードバックが早いだけのものだったように思う。そう考えると、フィードバックが遅いものでも、自分が価値があると思っていることに意識的に取り組む必要がある気がしてくる。

フィードバックの早い遅いだけで優先順位を決めるのではなく、一つ一つの行為について、何のためにそれをやりたいと思うかを明確にし(つまり目的は何なのかをはっきりさせ)、それぞれの目的を比較し重要と感じるものに時間をかけるべきだと思う。

そう考えると、ツムを集めるより、もっと重要な達成したい事項があるはずなので、ツムツムに熱中している場合ではない。

見城徹の本を読みたくなってきた。

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