”企画力”というスキルの偶像
サラリーマン企業家である「レニー」が中途半端に成熟した日本企業においての気づきを書き溜める備忘録だ。
さて、表題の件について本書を書き進める。
本日は『”企画力”というスキルの偶像』というお話。
まずは本書の内容を要約する。
企画力なんていう曖昧なスキルは存在しない。スキルとして切り取ろうとしてはダメだ。スキルではなく、複合的な要素を織り込んだ”状態”に居たという事以上でも以下でもない。
「発想力」「共感力」「行動力」を高いレベルで持ち合わせた人材が居て、チームの構成員の特性がかみ合っている状態であり、始動した企画の想定した価値の検証が完了できる、状態にあるかどうかだと考えている。
企画力をスキルと勘違いするとどうなるのか。
うまくいかなかった要因を企画力に押し付けてしまう。
外部の”優秀な”人材を獲得すれば企画が進むと思ってしまう。
自分の”会社では”この企画はうまくいかないと考えてしまう。
少し噛み砕いて解説していく。
抽象度が高い表現になってしまったので、詳細に説明を付け加えていく。
まずは「1」についてだ。
1) うまくいかなかった要因を個人の企画力に押し付けてしまう。
企業の中で企画を進めていこうとなると、ほとんどが属人化してしまう。これは避けられないし、船頭が居ない船は進まないので属人化は宿命だ。それ故に、停滞期または撤退判断時期において、この偶像に失敗を擦り付けてしまう。
企画力と呼称して、属人を非難する際に指し示したいスキルは、おそらく「発想力」「共感力」「行動力」の3つを混同して指し示している。
いや、それ以外の要素もあるだろ?と思った貴方は鋭い。が、それは恐らくスキルではなく環境だ。2)で詳しく触れたいと思う。
話は脱線したが、3つのスキルをもう少し丁寧に説明しておこう。
「発想力」
→ ”Connecting the dots” である。アウトプットの品質を決めるのは、①「点の数」②「点の深さ」③「つなぐ線の太刀筋」の3つを併せた力。
「共感力」
→ 誰のどんな困りごとを解決したいのか。に対して、定性的に捉え自分ごとに転換できる力。
「行動力」
→ 達成したい目的を設定し、実行タスクをスケジュールに落とし、計画通りに実行できる力。
これだけ複合的な要素を含んで、属人に失敗を擦り付けるのは極めて簡単だ。なぜなら聞く人によって思い浮かべるスキル的な失敗の要素が無数に存在しているからだ。
続いては「2」について説明していく。
2) 外部の”優秀な”人材を獲得すれば企画が進むと思ってしまう。
実はレニーは転職を数回しているジョブホッパーだ。転職のたびにこの「企画力」なるものに非常に悩まされる。こうした曖昧な理解の方が中途採用で”企画力”のある人を採用しようとするシーンは多く見受けられる。また、私にとっては絶好のカモだ。※採用権限のある方はこの先の文章を読まないでほしい※
カモである理由は非常にシンプルで、”なんでか分からないけど凄い企画を進めてきた人”を採用したがる傾向にある。翻って、彼らは自分たちが進まない理由を正確に分析できていないのだ。
ここで触れたいのが人材特性と配置の考え方だ。所謂チームビルディングである。キーワードは「起・承・転・結」。
非常にわかりやすい記事があったので、リンクを掲載しておく。ぜひ見て欲しい。(https://toyokeizai.net/articles/-/500787)
私なりに相当ざっくりと噛み砕くが、
起:物事を最初に思い付き、具現化しようと行動に移す人
承:最初に思い付いた人に共感し、ドライブさせようとする人
転:社内で実現するために、ヒトモノカネを調整しようとする人
結:社内政治を納得させられる人
上記の要素を見れば一目瞭然だが、企画力というよくわからないスキルや実績を持っている人を採用するよりも、既存の人的特性を把握し、自部門に不在な人材構成がどれなのか、なぜプロジェクトが止まってしまうのかを把握することが先決だ。
そして1)で述べたが、環境を保持しているの「転or結」人材に他ならない。特に彼らの必須要件が”信用貯金”だ。この貯金は残念ながら外部人材では持ちえない。貯めるスキルはあっても、貯まった状態で転職してくることは絶対にない。なぜなら、信用貯金をドライブする要因は”時間”という存在が8割を占める。残念なことに個人の努力で時間は進められないのだ。故に私は環境と捉えている。
最後に「3」について
3) 自分の”会社では”この企画はうまくいかないと考えてしまう。
この帰結は、価値検証にまで至らなかったと推察する。ヒトモノカネを揃えられなかった結果だ。そんな時に出てくる言葉が”この会社では”。
何か新しいことを始める際に一番重要なことは、誰かの困りごとを解決する価値を提供することであり、企画段階においては、その価値があるのか、ないのかを検証することなのだ。なので、検証した結果、想定した価値提供ができなかったのであれば、”この会社”が関係することがあるだろうか?
もしあるのであれば、上記で述べた「発想力」が足りていない、さらに言及すれば、その中の③「つなぐ線の太刀筋」が弱かったのであって、企画のせいではない。コーポレートフィットを語れない程度の「発想力」だった訳だ。
企業の中では”失敗しない事”に価値がある
唐突に保守的なタイトルになるが、企業の中で生きている以上、失敗しない事に価値があることは疑いようがない。これは大きな組織、小さな組織問わず共通するところに思う。
では、ここで想定する失敗とは何か。これまで書いてきたような、企画力というスキルの偶像を追い求め、経験や成果を挙げることにこそ価値があると妄信し、猛進してしまうことだ。『ダメ、絶対。』だ
個人でできることは「発想力」の構成要素を鍛錬すること、状況に応じて「起承転結」人材のポジションを変えることができるようにすること以外にはないと考える。
成果を追い求めず、状況を正確に把握し俯瞰し続ける忍耐力が必要だ。目先にぶら下がっている人参に飛びついてはいけない。
ここまで”企画力”を偶像として否定してきた訳だが、視覚的に表現しようとした試みを共有したい。整理がまだまだ未熟で恐縮だが、感覚的に理解して欲しい。
この波形を縦にも横にも自在に操ることができる状態こそ、真に企画力がある状態だと私は考えている。推進効率は敢えて落とすこともできるし、小さな振れ幅で大きな波形を描くこともでき、細かな揺れを作りだし、大きな揺れ幅で素早く推進させることもできる。そんなイメージだ。
念のため最後に書き添えておくが、「失敗をしてはいけない=挑戦してはいけない」と捉えないで欲しい。失敗をせずに挑戦する方法がある。非常に簡単で、評価者と失敗の条件、または挑戦する過程における中間結果を握っておくことだ。改めて言うが、握る内容を”成果”とすることは絶対にしてはいけない。挑戦している過程の中に、評価者が「この人はこんな目標を定め、この目標は達成できた」と認めさせれば、成果を得られずとも失敗にはならない。
中々複雑なことを申し上げたが、”握り方”については別の機会に書き記したいと思う。
本書の内容は以上となる。最後まで読んでいただきありがとうございました。既存業務に従事し、成果を挙げている同僚を片目に、プレッシャーを感じる日々は辛いと思う。耐え忍ぶ先に一筋の光が差し込むことを切に願う。
あとがき
1,500字程度で書き終わると思っていたところ、まさかの3,000字を超える文量になってしまった。書きたいことがまとまっていない証拠だ。大変お恥ずかしい。
お恥ずかしいと言いつつ、公開している当たり、そこまで気にしていない自分のクオリティには唖然とする。また次回の記事でお目にかかりましょう。
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