「何をデザインしたいか」より「どうデザインしたいか」
文責:すずき(企業内デザイナー)
デザインのモチベーションが少しずつ変化してきているような気がしています。子供このろは、近所に小さな家具工房があり、父の知り合いということもあって時々遊びに行っては木材の切れ端をもらって工作をしたり、中学の自由研究で家具を作ったりしていて、行く行くは家を設計してみたいと考えるようになりました。自分が作ったものによって「暮らし」が少しだけ改善されていく快感がモチベーションでした。その延長線上に「家」つまり建築があり、大学では建築学科に入学しました。
大学で、いざ建築について学んだり演習課題などに取り組んでみると、自分のイメージとのギャップを感じるようになりました。具体的にどう違っていたか、当時も今もうまく説明はできませんが、今なんとなく感じるのは自分の建築に対するモチベーションが単なるDIYの延長のように考えてしまっていたからかもしれません。このまま建築の道に進むべきか少し悩んでいたのですが、私の通っていた大学は2年次から建築コースとデザインコースを選択できるシステムだったので、そのころたまたまテレビで見たデザインオフィス「nendo」の佐藤オオキさんの仕事を見てデザインコースに進むことを決めました。
デザインコースに進んでからは、プロダクトデザインを実践的に学び、建築の設計よりもリアルに考えられることの嬉しさを感じつづも、DIY的にものづくりを楽しんでいた時には考えていなかった、「コンセプト」や解決すべき「問題」の深掘りについてよく指導されていました。ただ、制作課題に取り組む中で機構や仕組みのようなところが、建築よりも強く気になってしまい、懐中電灯のデザインをした時にその意識がピークに達しました。アイデアをビジュアル化することはできても形にする術を知らないもどかしさがあったのです。
いろいろ悩みながら生まれてきたのは、木目がないMDFという合板木材に突板(本物の木を薄いシート状にした化粧材)や木目シートを貼らずに木目のような表現を持たせるデザインでした。このころから、モチベーションはどこまで中を理解して中からデザインできるかという方向へシフトしていきました。
厚さの異なるMDF板を短冊状に切り、両面に染料を染み込ませてミルフィーユ状に重ねて板にする
無垢材のようにどこで切断しても柄が現れる
そして現在、メーカーのインハウスデザイナーとして働き始めたのですがいわゆる「担当商材」というものが決まっておらず、どんな商品にも関わる可能性があるポジションにいます。これが、非常に面白いなと感じています。
私はいま、このデザインがしたいという具体的なものはありません。ボールペンだって、机だって、テレビだってなんでも良いのです。むしろ、どうデザインしたいか。制約や必要な機能に合わせてデザインするのではなく、デザインのために制約や機能を合わせられるかのデザイン。
これが今のモチベーションです。
インタラクションと相性が良い気がしています。
追伸:おおやなぎくんとのLINEの会話で、自分は「作りたいモノは無いが、作ることは好き」というスタンスであると言う文が出てきたので自分のメモとして残しておきます。
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