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インハウスデザインのめざめ

文責:すずき(企業内デザイナー)

井の中の蛙

私が学生の頃(つい1、2年前ですが)、インハウスデザイナーというものがイマイチわかりませんでした。「インハウス=社内の」くらいの認識で、具体的にどんな人たちなのか…。会社勤めということは、毎日スーツを着て出勤するのだろうか…。それとも、作業服に着替えるのか…。産学連携などで実際にインハウスデザイナーの方と研究を行ったりもしましたが、その方々が会社でどのような仕事をしているのかはわかりませんでしたし、やはり個人事務所のデザイナーの方々の方がメディアや講演で知る機会が多いためデザイナー像が偏っていた気がします。(ちなみに私の勤めている会社では、TPO(Time=時, Place=所, Occasion/Opportunity=場合)に合わせた私服で、最近は大学と変わらない格好で仕事をしています。)

もちろん、デザイナーの定義や役割が年々拡大していることは知っていましたし、そういう時代だからこそ狭い意味での「デザイン=美しい形」を大切にしなければいけないという議論も理解できます。

ただ、インハウスデザイナーとして働き始めてから感じることは、デザイン業界とのギャップでした。そもそも、デザインの「美しい形を作ること」と言った狭い意味すら知らない人があまりにも多いことに驚きました。まさに井の中の蛙状態。デザインの井戸の中にいたため、大海のとギャップに気づかなかったのですね。

そんな人たちに対して、私は自分ができる限りのわかりやすい説明を心がけていました。デザイナー同士で、デザインの共通言語を使って、デザインのことを深めることと同じくらい大切なことだと思うのです。デザインのことを知らなかったり、デザイナーの考え方を理解してもらえないことに愚痴を言っていてはいけない。とにかく、わかりやすく。10を伝える必要はない。1をとにかく丁寧に伝える…。

トップデザイナーも、デザインを広く理解してもらえるように活動している方々がたくさんいるけれど、多少の興味がないと届かないような場合が多いと思います。だからこそ、会社の中でデザインのことに興味関心のない人と話す機会がある時は丁寧に説明したいと思うのです。

拡大するデザイン

もちろん、説明をする時は「デザイン=美しい形」だけではないことは伝えたいと思っています。口だけ達者でもダメです。デザインが非常に広い領域で活躍できることを身をもって証明しなければなりません。

デザインの領域拡大の話でよくされる内容の一つに「デザイン経営」という考えがあります。詳しくは経済産業省が発表している資料を見るとよくわかります。

[ PDF ]  デザイン経営宣言

この「デザイン経営宣言」に携わった田川 欣哉さんは、B=ビジネス、T=テクノロジ、C=クリエイティビティの領域を横断する人財が重要だと言われているんですよね。日本はビジネスとテクノロジーの人財が多くて、その両輪を回せていたBT型の人がこれまでの自動車産業、電気産業を引っ張ってきたと仰っています。ただ、これからはビジネスとクリエイティビティのBC型、テクノロジーとクリエイティビティのTC型も重要になってきています。BC型は例えば「ビジネスデザイナー」、TC型は「デザインエンジニア」のように呼ばれることが多いですね。

インハウスじゃないと意味がない

私は、デザインエンジニアというポジションを期待されていまの会社に勤めることになりました。デザインエンジニアと言われればそうなのかな…くらいの気持ちでいたのですが、私が勤める会社では、ほとんど初めてくらいの人材らしく(そんな事はないはずなのですが、「デザインエンジニア」という言葉ができてしまったから新しく感じるのでしょうね。)、物珍しいのか過度に期待してくれる時があり、たまにプレッシャーにもなったりします。

そういうこともあり、年末年始は休暇中にぼんやりとこれからの仕事について考えていました。そして、少しずつ見えてきた事があります。

これまで私が書籍や講演、授業などで触れてきたデザインはデザイナーの為のデザインという側面が大いにしてありました。デザイナーの五感全てに心地が良いものばかり。トップデザイナーの偉業を見聞きすれば、「自分もいつかは…!」と自分を鼓舞する。デザインの展示を見に行けば一脚十数万円〜の椅子がずらりと並び、いつかは自分も買ってやろうと野望を抱いたく。授業や講演ではデザイナーがまるで世界を救うスーパーヒーローかのようで、自分にだって出来るんだと言い聞かせる。今でもトップデザイナーは好き、名作家具も好き、デザイナー最強説も好き…なんですけどね。でも、そんな世界から少し距離があるいまのインハウスデザイナー としての面白さややる意義みたいなものが、ぼんやり見えてきたのです。

うまく言えないのですが、とりあえず書きます。

1つ目は「→0」に立ち会えることです。よく、0→1を作り出すんだという話を聞きますよね。ただ、0というのは「無」ではなく、土俵やステージのようなものかなと思っています。無は無なので、0も無い。となると、0が生まれる時があるのでは…。0が産まれて、そこから1に、1→100にする時によくトップデザイナーに声が掛かるんでしょうかね。恵まれているのは、いま関わっているプロジェクトや会社全体の雰囲気としてインハウスデザイナーに期待が集まっていることですね。かなり責任も付きまとってくるんですけど、それなりにいろいろなところに口出しできたりできるようになっています。

2つ目は到達できる場所の違いです。これは仕事としてのデザイナーがどうあるべきかを考えた時に出てきた自分なりの答えです。デザインエンジニアという肩書を頂いて働いているわけなのですが、自分が勤めているところでは今まで居なかった枠だと言われています。私から見たら、ベテラン世代の方々の中にもデザインエンジニアと呼べそうな人はいるのですが、おそらく「デザインエンジニア」という言葉が生まれ、それに対するイメージが山中俊治さんや田川欣也さん、渡邊恵太さんのようなものなのでしょう。私はそんな大層なものではないのですが…。ただ、彼らと違うのはガッツリとインハウスデザイナー であること。それだけで、彼らとは具体的なやり方や考え方が違うと思うんです。大きな思想は共通しているとは思うのですが…。そして、これはデザインエンジニアではなく、インハウスデザイナー全員に言えることかなと。インハウスデザイナーにしかできないデザインはものすごく沢山あります。フリーランスでは到底たどり着けないような素晴らしいデザインができると感じたのです。

3つ目は影響の及ぶ方向です。特に日本では、トップデザイナーの尖ったデザインは玄人ウケするばかりで、デザインに関心のないような人たちにはほとんど関係のない世界になっています。ただ、多くの人が目にしたり手にしたことのある製品のメーカーのデザインはどうでしょうか。それを使う人たちが、もしかしたら別のメーカーの技術者かもしれないし、企画担当者かもしれない。もしかしたら、社長ということもありますね。そんな人たちが「なんだかこの商品いい感じだな。売れてるな。使いやすいな。心地がいいな」と思うかもしれなですよね。そうして、その会社の製品のデザインがぐっと良くなるかもしれないですよね。夢物語かも知れないですが、私はこういう素敵な製品開発の循環を引き起こせるのはインハウスデザイナーの使命なような気がしてならないのです。トップデザイナーたちが描く理想郷をわれわれが読み解き、実社会へと還元できる状態にリデザインする。これがインハウスデザイナー の悦びなのかもしれません。

「デザイナーは堅苦しくあって欲しくない」と社内の様々な所属の方に言われます。それはつまり、常にユーザーや一歩引いたところで会社を見て、変なところや直すべきところと戦い続けることだと思います。

最近、その覚悟が少しだけです芽生えてきました。


がんばります。

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