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カンマの先へ

留まって点滅し続けていたキャレットが、ようやく動き出すその前に。


肌寒さを感じるほどに物静かなフランクフルト空港にて

嫌でもマスク着用の生活に慣れてきた時分だと言って良いだろう。元々マスクが苦手で、花粉症の時期にマスクを着ければ余計に症状が悪化しているのではと感じるほどだ。日本社会における人生の一大イベント、大学受験ですら冷たく乾いた空気に素顔を晒しながら乗り切った。そんな自分でも、心底気に食わない日本の蒸し暑い夏ですら大人しくマスクを着けて生活していたのは、やはりどうしても、ほんの数日でウイルスと恐怖と行き場のない憎悪が蔓延したあのヨーロッパの日々が脳裏にちらつくからだった。

とはいえ、今、ここヨーロッパでマスクを着けているというのはどうしても不思議だ。単にマスクが日常に溶け込んでいないだけでなく、修士課程の同期達が――未来を拓くエリート達が――WhatsAppのグループで真剣にマスクの効用の有無についての議論に花を咲かせるのがヨーロッパという土地である。状況が刻一刻と変わり、理解と管理が追い付かないことで混乱が深まる中、芯のある決断に振り回されてブリュッセルから東京行きの直行便に滑り込んだのはもう半年も前のことだったが、当時はマスクを着けている人間はほぼ皆無だった。徹夜で荷造りをして疲労困憊の日本からの留学生の女の子を連れ立って空港に向かう際、大学都市ルーヴェンの駅で見送ってくれた友人が親友であるその女の子のことをよろしくと頼んできた時の顔は鮮明に記憶に残っている。

残した荷物を取りにようやくベルギーに戻れたのは1か月という時間から1日を引いた日数分前のことだった。到着してすぐ、マスクが手元にあることが当たり前になった社会の変化に驚きつつも、既に感染状況が落ち着きつつあったということもあるのだろうが、同時に閉鎖空間内や指定された屋外の密集地域以外ではマスク着用が義務化されていないというところにどこか変わっていない「らしさ」を見出したものだった。

今は既にベルギーを離れ、乗り継ぎのためにドイツに降り立ったところだ。そして再び、ここヨーロッパを去ろうとしている。どこか恐ろしさを感じる程に空虚なフランクフルト空港で少し物思いに耽ながら。旅慣れた者ほど、目の前の光景の異常さを強く実感するのかもしれない。3か月程前に空港を訪れたポーランド出身のトラベル・ブロガーはこう残している。

Frankfurt, one of the busiest airports in Europe, felt completely deserted.

Eva zu Beck

ドイツが世界に誇る世界的な金融センター フランクフルト・アム・マイン。その空の玄関口であるフランクフルト空港はヨーロッパ有数の大規模ハブ空港である。しかし、まるで「グローバル化」という現象の定義かのような、高揚と疲労と共に世界への扉を開こうという大量の利用客の喧騒であふれた姿は、既に過去のものだった。

今では、そんな世界への扉の前に立つだけでも一苦労で、フランクフルトへは紆余曲折を経てようやく辿り着いたのだった。1か月間をベルギーで過ごすつもりで予約した最初のフランクフルト経由の帰国便は、日本を発つ直前に同じ日のミュンヘン経由に変更になり、その後、ベルギー入国直後に確認したメールでは当初予定していた搭乗日の前日のフランクフルト経由の航空券になっていた。

しかし、こうしたトラブルもまた欠かせない一部として旅の記憶に残されていく。そして、この旅もまた、いよいよ終わりを迎えようとしている。それは何か大きな意味を持つ「終わり」と言えばそうなのだろうと思う。手元にあるベルギーの在留カードは先ほどのシェンゲン圏を出る出入国審査を最後に今後使われることはないし、パスポートに貼られた査証も既に実質意味のないものとなった。とはいえ、あくまでも自分の中では、この旅において打たれるものはピリオドではなくカンマなのだ。

世界を駆け抜けて

思えば、ベルギーという国には不思議な縁があった。最初の出会いは小学校低学年、父親の仕事の都合でベルギーに引っ越すと伝えられた時のことだった。その時に初めて、ベルギーという国の存在を明確に意識したわけだが、その後いつしか父親の赴任先がアメリカに変わり、変化する忙しい生活の中、最初から何もなかったかのようにベルギーという国は自分の人生から遠のいていった。

その後、再びベルギーという国が自分の人生に関わるようになったのは大学に進学する前になってのことだった。当時、勉学のやる気はないものの、大学に行くのであればどうやら自分が関心をもっているらしい国際関係なるものが学べるところにと色々と大学や学者を調べていく中で目に止まったのが、在EUの大使としての奉職経験もある女性教授の存在だった。結果的にその教授が在籍する大学に進学することとなり、実際にその教授の授業を履修して対面することになった。ブリュッセルを頑なに「ブラッセル」と呼称する個性豊かな、しかし確かに崇高な知性に引き込まれるように、ヨーロッパと国際関係について学びを深めていくことになった。勉強嫌いだったはずが、いつしか叡智を求めて学問に耽る生活に身を委ねるようになっていた。

初めてベルギーの地に足を踏み入れたのは、そんな大学生活を送っていた時のことだった。大学2年生の終わり。マニラ、北京、そしてワルシャワを経てシャルル・ド・ゴール空港からフランスに入り、マルセイユとニース、更にはモナコを周遊してパリに戻り、帰国に向けて向かった先がブリュッセルだった。パリ北駅から深紅の車体のタリスに乗り込み、ブリュッセル南駅で降りて、ようやく初めてベルギーにたどり着くことになった。

この時、ブリュッセルには一泊しかしていない。アディスアベバ行きの便に乗るまでの限られた時間の中、ただただ街の空気を味わいながら溶け込むようにブリュッセルを歩き回っていた。ブリュッセルの街は意外と高低差が激しい。足に乳酸が溜まるのを感じながらも、高い場所から見渡せる街並みの美しさを楽しみながら、時折テロを警戒している歩兵とすれ違いながら、ただただ街を歩いていた。

ふと、階段の上から見える景色に不思議と目を奪われた。サンカントネール公園の近くにある、ただの階段だった。しかし、ただの階段だったからこそ美しいと感じたのかもしれない。階段の先に見えるブリュッセルの街並みの手前では、子どもたちが座り込み、思い思いの時間を過ごしていた。

写真は別日に撮影したもの

スマートフォンでその光景の全てを残したくなって、シャッターを切った。すると、こちらに気付いた男の子が「photo!」と叫んでこちらに駆け寄ってきた。その声に反応して、もう一人男の子と女の子二人も無邪気に階段を駆け上がってきた。欧州連合関連施設の近くであり、あまり観光客が訪れるような場所ではなかったため、物珍しかったのかもしれない。一緒に写真を撮るかと訊いてみると、大はしゃぎでこちらを取り囲んできた。階段の先の景色を背景に、4人の笑顔とピース・サインと共に納まった。良い写真だった。子供たちは元気よく「Merci!」と言って、元居た場所に戻っていった。

カンマを残したブリュッセルの階段

果たして、いつかもう一度ベルギーを訪れることがあるのだろうか。そんなことを思っていたが、思いの外呆気なく次のベルギー行きが決まってしまった。プラクティカルな視座と深い思索の双方を求めて、進学先には公共政策の専門職大学院を選んだ。加えて、日本のみならず国外の視点を、それも馴染みのある英語圏以外への留学も考えるようになった。諸々が好条件で、最終的に留学先として選んだのがベルギーだった。

留学は、自分の中では当たり前と思いつつも、同時に大きな決断だった。少し感傷的になっていたようにも思う。

留学の準備を進めていたある日、銀座にある公共スペースで本のページをめくりながら休憩していたら、公開生放送中のラジオのスタッフに声をかけられた。その後現れたCM休憩中のパーソナリティとお互いの海外経験の話が弾み、気付いたら少し出演することになっていた。

放送中に流すものとして選んだのは、以前の留学中に気に入って繰り返し聴いていた曲だった。次の留学に向けて、ただただ自分のためだけに流したいという選曲だった。

留学先では大変なことも多々あるだろう、強くあろう、とは思っていた。しかしもちろん、自分が大変というよりも世界が大変な事態に直面しようとは思ってもいなかった。日本を発つ前に公共の電波を使って流した曲は、思わぬ意味合いを持つ事になってしまった。誰もが大変な状況に直面している中で、誰もが苦しんでいるからこそ、自分は自分なりに少しぐらいは強くないといけないのかもしれないと思う。

しかし、人は簡単には強くなれるものではない。それでもなお、立ち上がって前は向かなければならない。少しばかりの儀式で不安を誤魔化して、多少は虚勢を張ってみる必要もあるのかもしれない。

ベルギーを発つ前日、本当にヨーロッパを離れ、馴染んだ世界が遠のく前日、向かった先はサンカントネール公園近くのあの階段だった。いつかまた、自分の人生を取り戻すために。そのために虚勢を張るために。ここで一度旅は終わるが、ピリオドではなく、カンマを打つために。自分の人生の中で最も重要なカンマを打つと決めて訪れるべき場所は、ブリュッセル市内にはここにしかないように思えた。

銀翼に連れ去られて

一度ヨーロッパに戻るために乗った便と同様に、このフランクフルト発の便も寂しいほどに空いている。異常な状況にあっても、飛行機の離陸に向けた準備は普段通りに、淡々と着々と進められていく。

しかし、こちらはあまり普段通りではないようだ。カバンから本を取り出して手には持ってみたものの、あまりページをめくる気にはなれない。音楽でも聴こうかと思ったが、機内エンターテインメントにはしっくりとくるトラック・リストはない。気が変わって映画の方を確認すると、AviciiのTribute Concertの動画があることに気付き、それを再生する。

何気なく流し出したAviciiだったが、最初の「Without You」から一気に引き込まれて行く。

I got to learn how to love without you

Avicii - Without You

最初のサビに入り、一気にボルテージが上がる。失ったものに対して、悲しみと何かしらの強さを天に向けて解き放つような、そんな力強い歌声だ。そんな歌声に背中を押されるかのように、飛行機は徐々に滑走路に近づいていく。

今、ヨーロッパを去ろうとしている。次はいつ戻れるのだろうか。次に日本を飛び出すのはいつのことだろうか。

バイオリンの音色に導かれるように、ボーカルが天に向けて言葉を語る。そして原曲にない、未知の音の世界が広がっていく。

I'm going Bonnie and Clyde without you

Avicii - Without You

ボルテージが最高潮を迎え、そして、飛行機は一気に加速して滑走路を駆け抜けていく。こみあげてくる気持ちはある。でも同時に、虚勢を張ってみる。まるで動じていないかのように、ただただ静かに目を閉じて、シートに身を預けて、地面から伝わる振動がなくなるのを待ってみる。

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