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初秋に感じるノスタルジー:オンライン化した文化祭と忘れられた教育

久し振りにしっかりとした外出をした。そしてちょっと懐かしくなった。フィジカルにも、デジタルにも。

そして嫌いな母校。嫌いだが、日本でも有数の中等教育機関だと思っている。その底力を見て、うん、懐かしくなった。



初秋に思う

思えば日本の秋を経験するのも2年ぶりになる。去年は、日本の嫌な夏だけを経験してヨーロッパに渡ってしまった。それはそれで良かったけれど、日本の初秋もヨーロッパの爽やかな夏と初秋にはない良さがある。

心地よい初秋の日に外を歩いていると、何かはよく分からないが、ノスタルジーを感じる。ノスタルジーと言っても、特別具体的な何かを懐かしんでいるわけではない。強いて挙げるならば、今は高校時代のことをふと思い出したけれど、その高校時代にも何かよく分からないものにノスタルジーを感じていたので、やはり何か具体的な対象があるわけではないのだろう。

ノスタルジーの語源と近代化

「ノスタルジー」というと、少なくとも自分はその言葉にどこか洒落たものを感じる。まあ、そもそもがフランス語だからかもしれないが。ただ、そのノスタルジーとは何かということを考えると、これは奥が深い。自分とは全く違った感覚や考えに出会うことができる。

まず、どうやら社会学者には評判の悪い概念であるらしい。それは社会学において、「「退行」や「逃避」「固着」の例として、社会的不適応を示す非生産的な心的状態だと考えられている」ためだという(浅井 1991)。社会的に不適応だと言われても、様々な創作物にノスタルジーは見られるし、好意的に受容されている。人間の豊かな感情の一つとしての存在は認めなければならないように思う。しかし語源を見ると、社会的な不適応を示す専門用語として扱われる一端が垣間見える。

ノスタルジーの語源は「郷愁や望郷の念」を医学的な症状や疾患として17世紀に作られた医学用語である(quoted in 同上)。過去に思いを馳せる感情そのものは古くから存在したが、医療現場で扱われた当時は「死に至る病としておそれられた」のである(浅井 1991)。医学的に重要な問題として扱われるようになった要因は、近代化という当時の時代背景に求めることができる。資本主義経済の発展と産業化は「住み慣れた家郷と伝統的生活形態から切り離されて都市で匿名的な生活をしなければならない人々」を増やし(同上)、近代国家の発展は「具体的な土地や家族を自警するためにではなく、「国家」という抽象物を「守る」ために、人々を強制的に徴兵し、家郷から離れさせた」(同上)。

アンソニー・ギデンズは近代化の重要な要素について国民国家と資本主義を挙げた。上記はまさしく、当時のノスタルジーの原因は近代化であることを示していて、であるならば、「「ノスタルジー」はそうした「近代化」に対する身体的拒絶反応」ということだろう(同上)。自分は、人類は歴史を通じてより良い生活のための環境を求めて社会を発展させてきたと解釈している。かつて行った研究では、そうした社会的環境として近代に国民国家に辿り着き、その機能強化のためのエリート教育装置としての大学に着目した。その中で、大学は近代化により普遍性と国際性(ないしはグローバルあるいはトランスナショナルな性質と言っても良いかもしれないし、ここでは汎ヨーロッパ的な側面に限っているので限定的だが)を喪失したと論じたが、それは国民国家という共同体を反映するための同一性の強化について示唆している。生身の人間に焦点を当てた時、近代化が人間に同質な共同体への適応を求めるのであれば、確かにノスタルジーとは社会への不適応の象徴の感情なのかもしれない。

場所ではなく、時間への懐かしみ

とはいえ、場所に対してのノスタルジーと言っても、自分にはあまりピンとこない。もちろんそういうこともあるけれども、例えば高校時代に思いを馳せるならば、その高校があった名古屋という好きではない街を懐かしんでいるわけではない。初秋のノスタルジーについて、強いて場所を挙げるならば、自分が幼少期を過ごしたアメリカのミシガン州だろうと思う。でもそれもやはり場所だけではなく、過去という時間に思いを馳せている側面が強いように思う。

語源的なノスタルジー、すなわち医学用語から最初に派生したノスタルジーというものは「空間的ノスタルジー」(同上)であって、懐かしむ場所は「遠くにではあっても実在して」(同上)いる。逆にイマニュエル・カントが概念化した「思い出を懐かしむ感情」(同上)という「時間的ノスタルジー」(同上)、つまり今日主に用いられる意味としてのノスタルジーは、「失われてしまった時間を取り戻」(同上)したいという要望を含んだ感情である。ノスタルジーが日常的に用いられるようになると、「漠然としたなつかしさ、懐旧の念を指す」概念になった(同上)。

結局ノスタルジーは不明瞭

ここで最初に戻ってみたい。自分の初秋のノスタルジーの対象は必ずしも空間でも時間でもないように思えるということである。これについてはフランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチの議論が参考になるかもしれない。ジャンケレヴィッチはノスタルジーの対象に具体的ではない、「超論理的、超経験的なもの」もなり得るとした(島村 2014)。ならば、初秋に感じるノスタルジーらしきものはやはりノスタルジーとも言えるのだろう。

フランスの美学者、エチエンヌ・スーリオの考えでは、ノスタルジーを感じる時、「ここ」と「向こう」の二極化があり、「むこうにいっさいの肯定のまなざしを向け、ここにはひたすら否定が鬱積する」のだという(春木 2016)。初秋に感じるノスタルジーは「ここ」に否定を、ここではないどこかに肯定を感じているということだろうか。そうなると、現実から目を背ける作業なのかもしれない。近代では社会への不適応だったものが、現在では社会に限らない現実への不適応になっているのだろうか。

ノスタルジーとは。結局よく分からない。ノスタルジーについては「素朴な疑問が未解決のまま残されている」(堀内 2007)。けれどそうした感情を人が感じていることは間違いない。自分は現在を否定しているつもりはないし、過度に過去を肯定しているつもりはない。自分を築いている経験として過去を肯定してはいるが、細かく見ていけば感情的に否定したいものは沢山ある。あるいはノスタルジーという現象を素直に受け取れば、普段の自分の考えが素直でないということであるのかもしれない。

ならば一度、自分が素直ではないと仮定して、感情的に否定している過去を思い返してみようと思う。懐かしいだろうか。懐かしいと思うし、充実していたことは間違いない。自分は高校時代を肯定したいのだろうか。いい経験として肯定はしているけれど、それが今の現実、「ここ」を超えているとは少し考えづらいのだが。

サイバー空間に飛び立った文化祭

ノスタルジーの対象は不明瞭と言いつつ、具体的には高校時代が思い浮かんでいる。その原因は、大学の学部時代の恩師から届いたLINEのメッセージだ。外務官僚としてのキャリアを国連大使まで勤め上げた人だが、不思議なこともあるもので、恩師の元同僚には自分の高校出身の人が何人かいたらしく(何の因果か、恩師にとって今の同僚にも何人かいるのだが)、出身高校を聞かれて「東海高校です」と答えたら、それ以来高校の話題が飛び出してくる。東京に出てもなお自分を縛り付ける学歴、誇り高き我が母校、愛知県の東海高校は今年、オンラインで文化祭を開催した。そんな母校を取り上げたNHKのニュースについて知らせてくださったのだった。

メディアは大きく取り上げた。人類の生活を激変させたパンデミック。新しい生活様式への適応を余儀なくされた若者たちはどうするのか。結果として「オンライン」というセンセーショナルな側面が脚光を浴びてしまった。着目すべきはそこではない。

高校創立125周年、その年に生徒会長と記念祭(文化祭)の実行委員長をやっていたのは自分だった。数年後にパンデミックが起こるとは思っていなかったあの年の我々は、確かにニューノーマルの高校生たちが経験したであろう苦労を知らない。けれど、開催にこぎつけるまでにやるべき仕事は変わっていないはずだ。今年の実行委員長の言葉で着目してほしいところは「オンラインにしよう」ではない(メーテレ 2020)。「場所も時間も制限せず、できるだけ3密を避けて」という箇所なのだ(同上)。

記念祭は毎年1万人以上の来場者を記録する。はっきり言えば規模もクオリティも大学生や、何ならその辺の大人がやるものと比べ物にならない側面がある。本来ならば高校生の手に余るものを、高校生が主導して行うのだ。企画書を職員会議に通し、予算を取る。もはやただの行事ではなく事業とも言えるかもしれない。経験が浅い高校生が大人を納得させる企画書を書くのだ。当然文化祭などというやらなくてよいものをなぜやるのかについて説明し、やる以上はどういうコンセプトと方向性でやるのか、そしてその実現可能性を示さなければならない。思い付きではなく熟考が求められている。企画書の提出は、自分たちの代は修学旅行の後だった。能力が足りないことを自覚した当時の自分は、大きな声では言えないが、発熱したことにして修学旅行の病欠を宣言し、学校の生徒会室に籠って企画書の作成に勤しんだ。パンデミックなどなかった自分にとっても厳しかったハードルを、ニューノーマルの高校生たちは超えてみせた。

文化祭は教育だ

なぜ開催するのか。その答えに辿り着くために、恐らくは本気で「やらない」という可能性を検討したのだろうと思う。例年であっても真剣に検討することを、今年はなおのこと真剣に検討されなければならなかったはずだ。何かを為す時、あらゆることを考えなければならない。例年やっているのだから今年もやる、は通用しないし、してはならない。かわいそうだからやらせてあげると思っても、真剣な思考を、生徒の人としての成長の機会を邪魔してはならないと教師側も例年以上に気を使うことになっただろう。おそらくは事業やビジネスであっても真剣に考えているであろうことを高校生も考える。惰性ではなく一から創る。そのために何をしなければならないかを自分たちで考えさせる。これは良質な教育だ。そしてこの良質な教育機会をその中心で得られる生徒は各学年に数人しかいない。苦しくても恵まれた機会なのだ。

なぜ開催しないという決断をしないのか。なぜ開催するのか。なぜオンラインで開催をするのか。こうした問いに対してどう適切な解答をするのか。「もうオンラインで良くないですか?」などではないことは実行委員長の言葉から分かる。オンラインというものは、「場所も時間も制限せず」に済む開催方法なのだ(同上)。距離を取る必要も、短時間にする必要もない。このオンラインのメリットを端的に説明できる高校生を恐ろしいとは思わないだろうか。教育改革を目論み、とにかくオンライン化を叫ぶ大人や、労働改革を目論み、とにかくリモート化を叫ぶ大人よりもよほど真摯で健全だとは思わないだろうか。熟考するという基本、そして徹底することが難しい基本が徹底されている。

個性の裏にある本来的な当たり前

東海生は個性的だ。そして「流石東海生」という思考を停止し、理解を拒むキラーフレーズで彼らの人間性に対する評価は拒絶され、片づけられる。海部俊樹、鈴木敏夫、林修、山本一成、山田進太郎、森重文。突出した卒業生たちもそうだったのだろう。

確かにネジが飛んでいる側面は否定できない。自分は知らなかったので相当程度古いエピソードなのだと思うが、「"天下を取る"の旗を掲げ、馬に乗って高校卒業式に颯爽と現れ、東海高校運動場を駆けまわった」(小田 2017)り、推薦で大学進学が決まったため「勉強する必要がなくなり、冬休み中に自動車免許をとり、3学期に車で高校運動場を(中略)走りまわった」(同上)りと、ドラマの脚本にも簡単には登場しそうもない世界が現実に存在するのがあの学校だ。

これが生徒だけではないのが東海の問題点だ。例えばこの先生には自分もお世話になったのだが、ローソンというあだ名の教師がいる(いた、かもしれない)が、その理由は「たまたまコンビニでエロ本を見ているのを生徒に目撃されたからだ」(小田 2018)。地元の大新聞に連載を持つ教員は教え子について「『居るとうっとうしいけど、居らんと寂しい』そんな大切な存在」と、おおよそ全国紙には書けない表現を用いた(同上)。近年こうした表現に過敏な世論に対しても臆しない姿勢を見れば、やはり教員もネジが飛んでいると言わざるを得ない。

こうした要素が全て個性的といった言葉に回収され、それ以降の理解が拒まれている。東海を卒業し、突出した何かを社会で発揮している者たちはただその個性を押し売りしたわけでも、単に先天的に優れていただけでその地位を築いたわけではない。それはある種の狂気とも言えるのかもしれないが、成長のために不可欠だった努力の質と量があり、自らの良さをどう活かすかについて徹底的に考え抜かれていたはずなのだ。それは本来、誰であろうとしなければならない基本的なことである。東海の人間はそうした当たり前ができている。個性的なのではなく、当たり前ができることが特別なのかもしれない。

おおたとしまさの記事から分かることは、やはり東海という学校は何ら特殊な教育は行っていないということだ。思春期の男子、その個人個人に真摯に向き合っているように思う。そしてその当たり前を追求させる教育環境が整っていることは、やはり東海という学校が名門と呼ばれ、優れた教育機関であり続ける所以なのかもしれない。そして、それが社会に適切に、正確に理解されることなく、その表面的な特異性のみが焦点を集めることがまた皮肉に感じられる。

過去から未来へ

そんな中高時代に、確かにノスタルジーを感じるかもしれない。自分は変わっていないと思うが、当時は思春期。20代中盤の今とは精神面も感受性も異なる。あの時期をもう一度経験することはできない。そしてあの時期はやはり必要で、貴重な糧なのだ。

そんな中高時代の初秋にも、毎年ノスタルジーを感じていた。わけの分からないノスタルジーである。アメリカに帰りたいという想い。思えば初秋の気候や空気感は、大切な時間を過ごしたミシガンの秋に似ている。思春期特有の漠然とした恋愛面の感情の起伏。男子校の文化祭に男子学生よりも圧倒的に多い数の女子学生が大量に押し寄せるわけで、しかもその上で逆ナンパなんかされたりするわけだから、それは恋愛や異性を身近に感じるのが9月末の文化祭直後の時期である。その上で、何のいたずらか、ちょうどその時期から肌寒くなり、人肌恋しく感じ始めるのだから。ふとした時に感じる孤独。しかし、それが嫌に心地よいように感じる。そうした色々を想起しながら名古屋の街を歩いていた。

当時感じていたノスタルジー、そして今、当時を想うノスタルジー。結局よく分からないが、自分が人としてきちんと生を歩んでいるのだろうことは分かる。孤独や寂しさを感じつつも、初秋は不思議な充足感を感じさせる。こうした曖昧な要素の共生、必ずしも区分けできない複雑性。自分は必ずしも自分という人間を、そしてその人間が歩む人生を知り尽くしているわけではない。逆説的にそれが、きちんと人生を歩んでいるということではないかとも思うのだ。

複雑なものは分からないのか。理解を拒むことは簡単だが、理解を試みることは重要だと思う。毎年初秋にノスタルジーを感じるというのは、少なくとも自分が思考停止に陥っていないということを実感するバロメーターになるのかもしれない。秋は案外、大切な季節なのかもしれない。

初秋と言えば。ノスタルジーと言えば。よく聴いた曲で終わらそうと思う。
それでは聴いてください。Vanessa CarltonでA Thousand Miles。

参考文献

Gibson, William. Neuromancer. Croydon: Gollancz, 2016.

Giddens, Anthony. The Consequences of Modernity. Stanford: Stanford University Press, 1990.

【特集】若い力で!新たな文化祭、NHK、2020年9月25日、[https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20200925/3000013027.html?fbclid=IwAR1X1GScLGm-L0R1_Gs41B0-WfBg3usoYX9tOU5b34BVwWA02Ed4YYbKXU4]。

「HP落ちた!」初のオンライン文化祭でトラブル続出も結果は大盛況 名古屋の東海高校、メーテレ、2020年9月29日、[https://www.nagoyatv.com/news/?id=002855]。

浅井俊裕「「ノスタルジー」という小さな神話 ―『明るい部屋』に寄せて」『映像学』44巻、1991年、14-26頁。

猪瀬聖、医学部合格者数が日本一 東海中高、実は個性派ぞろい 東海中学・高校校長の林道隆氏に聞く、NIKKEI STYLE、2017年10月1日、[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21323750Q7A920C1000000/]。

おおたとしまさ、医学部進学の名門 東海、生きる「僧侶養成校」の伝統、NIKKEI STYLE、2020年3月1日、[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO55782310Y0A210C2000000/]。

おおたとしまさ、「本当に医学部でいいか」 名門東海は生徒を迷わせる、NIKKEI STYLE、2020年3月8日、[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO55783810Y0A210C2000000?channel=DF280820195304]。

おおたとしまさ、名門東海の男子歌劇団、名物「カヅラカタ」の本気度、NIKKEI STYLE、2020年3月15日、[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO55784840Y0A210C2000000?channel=DF280820195304]。

小田忠市郎、受験に合格した東海中学の新入生に伝えたこと、中日新聞、2020年4月7日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/9436/]。

小田忠市郎、生徒からの情け容赦ない執拗な攻撃に耐えて成長する東海中高の教員、中日新聞、2018年11月7日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/7927/]。

小田忠市郎、東海高校の卒業生たちが残した「型破り」な伝説とは、中日新聞、2017年11月7日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/6155/]。

小田忠市郎、東海中学新入生の保護者に話したこと、中日新聞、2019年4月17日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/8517/]。

小田忠市郎、東海中高講堂は、戦時中”風船爆弾”の秘密製造工場だった!?、中日新聞、2017年2月23日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/6153/]。

小田忠市郎、「名古屋の勢力範囲」 ~東海中高生徒の通学範囲~、中日新聞、2015年11月13日、[https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/4225/]。

学校法人東海学園、創立132周年東海高校記念祭 「東海高校」初の「オンライン文化祭」を開催!! 15000人を目標に、日本一のコンテンツ数を配信、PR TIMES、2020年9月19日、[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000065109.html]。

島村幸忠「V.ジャンケレヴィッチのノスタルジー論 ―「閉じたノスタルジー」と「開かれたノスタルジー」を中心として―」『あいだ/生成』4巻、2014年、49-61頁。

鈴木隆祐、名門校・東海中高時代に磨いた「自己肯定感」IT起業家、宇佐美進典 東海高等学校、WEDGE Infinity、2019年4月11日、[https://wedge.ismedia.jp/articles/-/15879]。

春木有亮「将来への帰還、過去への投企―エチエンヌ・スーリオの、創造する「ノスタルジー」」『人間科学研究』12号、2016年3月、49-66頁。

日比谷潤子、William M. Steele、Discussing the Future ICU、ICU OpenCourseWare、2019年3月14日、[http://ocw.icu.ac.jp/sl/sl_20190226/]。

堀内圭子「消費者のノスタルジア ―研究の動向と今後の課題―」『成城文藝』201号、2007年12月、198-79頁。









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