告白
最近ずっと思ったことを書けなかった。
海辺で掬った砂が指間から零れ落ちるように、感情を掬っては落ち、掬っては落ちを繰り返した。その感情達はどちらかというと激しいものではなく、無に近いもので、自分の中心に近いところにあるような感覚だった。でも、今日は赦しを得たような温かい感情が溢れるので、自分のために文章をしたためる。
kと出会ってから、この関係性があまりに不思議でずっと考えている。
妙に馴れ馴れしく、筋肉ムキムキな男。話していても私の話を聞いているんだかなんだかよくわからない感じで、「縄文文化がどうだ」とか一方的に話してくる。全く好みではない。黙って私の話をウンウンって聞いてくれる知的な人が好きだった。kは全然違った。ただ、「この人どっかで会ったことがあるような気がする」とだけは思っていた。給湯室とかで会うと、無造作に結んだ私の髪や、適当に選んで着た服を妙に褒めてくる男。会社のチャットとかでも仕事とは全く関係ないことを時折話しかけてくる男。適当に2-3往復会話して、後は無視していた。後で聞くと、「なんか気になって、どうしてもちょっかい出したくなる。ちょっとぐらいいいかな?って思って、また抑えてという感じ」らしかった。
たまたま、kが占星に関心を持っていた時があり、その話が聞きたかったから、LINEを交換して、歯車が動きだした。
星座の話は当然、自分がどんな人間かという話に繋がる。私は占いの類はほとんど信じない現実主義者で、「占いなんて統計でしかない」と思っていたけど、kがガチガチの理系だったこともあり、私の中の何かとkの何かが反応して、お互いの思考、美学について深くLINEで話し込んだ。私の感性を呼び起こすのは、kの理系的な知性が絶対的に必要だった。kと話していると、自分が丸裸にされる感覚があって、自分の奥に眠る箱を、どこて見つけたのか鍵で開けられたような感覚だった。それは心の深淵を覗くような怖さがあったけど、ひどく官能的で美しかった。実際の性行為の前に私たちは一線を超えていた。
私はkと出会って、「美」のイデア(理想)が自分の中でこんなにはっきりしているのだと知った。漠然と感じていた「美しいものと美しくないもの」、人には傲慢すぎていえないような美的ファシズムみたいな感覚も呼び起こした。その感性をkは「美しい」と称賛してくれた。足りなかったものがkによって満たされる感覚があり、それはkも同じだった。「完璧にぴったりとはまる」そんな不思議さをよく話していた。
noteでも何度も書いているけど、「それぞれの魂は、惑星の軌道のようなものをそれぞれ持ち、自分の人生を歩んでいる」と私は思っている。だから人の軌道に対してとやかく言ったり、「こうしてほしい」と誰かに願うことは、私の思考と違うし、美学に大きく反する。正直いうと「愚かで醜いことだ」と、どこかで思ってる。だけど「そうしちゃうこともあるよな」って理解できる力は、あると思ってる。
それでも、kと出会った直後は、1度だけ「悲しくなるから、こうしてほしい」とkに訴えたこともあったな。「わかったよ」って笑ってたから、調子に乗って追加したら「それはサキの問題であって、俺に関係なくない?」と言われて、ハッとしたことがあった。1度だけ。
こんなこと、巷で溢れる恋愛理論でいえば、「あなたを大切にしない、ろくでもない男」に認定されるやつだよな。だけど私は、「自分の未熟さを受け入れてくれることが愛であり、美しいことだ」と捉えていない。そして私だからこそ、kの言葉を理解できたのだと思ってる。kのぶっ飛んでいる変人的な思考も、超人的な性欲も受け止められるのは私しかいないんじゃないかと思う。二人とも変だもん。
どうやっても交じり合いたい欲求があって、「たまにはホテル直行ではなく、どこかでデートしたい」とは思ったことがない。1秒でもいいから、体に触れたいと思ってたし、飽きるまでkの話を聞いて、私の話も聞いてもらって、トイレに行く間も惜しむぐらい、ずっとお互い喋っていたら十分だった。実際、トイレに行くと立ち上がったのに、kは話をやめられなかったし、私がトイレに入った状態でもkが話し続けていたこともあった。私も私で、何かを熱弁して、その辺に転がっていたディルドを噺家の扇子のように叩きながら、話していたこともあった。話しても話しても足りない。私好みのkのしょうもないコントで化粧が崩れるほどよく笑ったし、フーリエ変換だとか難しい話を一糸まとわぬ姿で聞いていたこともあった。話しては交わり、交わってはすぐ話す。恋人同士の甘い雰囲気や会話ではないのに、すぐスイッチが入って交わるのも私達らしかった。
4月にkは異動になった。5月に会ったのが今のところ最後。5月に会った時のkは、私が3年間みてきたkとは随分違ってみえた。新しい環境での気になることがたくさんある様子で、「今すぐ行動にうつせ、って体の奥から何かに突き動かされる感覚がある」と言っていた。その目線はひどく先をみているようで、「あーどこかに行くんだな」と気がついた。そしてその後、すぐ転職した。まあ、当然といえば当然だ。kは頭が尋常じゃないぐらい良いけど、前の仕事はkには単調だろうし、10%ぐらいの力で業務をこなしている人だった。今の状態の方がkの平常なんだろうと思う。人生が山登りとしたら、kは途中の茶屋で休憩していたところ、私と出会ったのかもしれない。ただ、私にとっても、kにとっても避けることができない出会いであって、「会うことはきっと決まっていたんだろうな」とkもよく言っていた。
5月以降、私のたわいのない日常のLINEも頻繁に既読スルーされるようになった。kは昔から何かに夢中になったら時々音信不通になっていたので、慣れてはいるけど、同じ会社だったから知ろうと思えばいつでも相手の状況を知れたから気にならなかった。今は連絡が途絶えると、生きてるのかさえもわからない。「もう会えないのかもしれないんだな」とぼんやり考えている自分が、チクチクと心を痛めている自分を見つけた。
人の不幸というのは「比較」によって生み出される。他者がどうだとかそういった情報が入らなければ、平凡な日常の中でも喜びを見つけられるのが人間だし、現代人の多くが幸せを感じにくいのは、SNSなどを通じて他者の生活を可視化できるになったからだろう。無論、可視化といってもそれは一面でしかないし、比較対象を無意識に自分が選別しているから、バイアスのかかった比較であり、対象としては不適切なものだ。さらにいうと、「自分は今、他の人たちと比べて不幸なのだ」と自ら選択しているとも言える。そうして、幸せな状態と不幸せな状態を行き来して、生きているのを実感しようとしてるのかもしれない。
こういった愚かで不思議な行動を残念ながら、私も最近した。noteを覗いては、みんながしているのが本当の恋愛なのであって、私とkは違うのかもしれない、とわざわざ自分を幻滅させるような思考になったことがあった。そしてそんな自分をどこか俯瞰して観察している自分がいた。
「k、会いたい。8月には時間作って?」と先週木曜にLINEした。既読さえもつかなかった。月曜日ぐらいまでは、不安な気持ちが支配していたのに、次第に、既読になったかを頻繁にチェックする「自分」がとてもとても面白くて、うまくいえないけれど、「既読」というたった二文字の電子情報で感情が振れるという状況が、すごく面白くなってきた。強がりではなく。脳波とかも変わっちゃうんだろうなといった、自分の感情の実験に近い。本当は、私もkも世の中もなんら変わらず、毎日回っていて、既読の文字の有無は、kが実際私に感情があるか無いかとは無関係なのに。すごく面白くない?
昔から「サキは強いよね」とよく言われてきた。でも「強い」とは違う。物事の認知の仕方がちょっと変わってるだけだと思ってる。「強い」とはなんらかに対して「恐怖」を感じるのに、それに立ち向かうから「強い」のであって、恐怖を感じていなければ、それは強さではない。
ただ、さすがに生死が確認できないのは嫌になってきた。「何かあったの?」と今朝続けた。数時間後、「仕事が全然読めないから、また連絡する」と返事がきた。生存が確認できて嬉しかった。kがどんな気持ちで返信したのかは、k以外誰も分かり得ない。基本的に私は誰かに何かを相談することはない。そして言葉以上の意味を勝手に想像して、一喜一憂するのはしたくない。だから、言葉通りに受け取って「生きててよかったーまた会えるなー」と思ってる。
「ツインレイ」ってよくスピリチュアルな話で聞く。運命の相手ってやつ。自分の片割れのようで、出会うと抑えきれなくて求め合ってしまうと。昔に比べて、こういったものもわかるようになってきたけど、盲目的に信じてるわけでもないし、無理やり当てはめるのは美しくない。そのツインレイってやつは、出会った後、どちらかが逃げて(ランナー)、どちらかが追いかける(チェイサー)状態になるんだって。逃げるのは大抵男性で、本当の愛を知り、受け止められない自分の弱さに怯えて逃げてしまうんだとか。そこは正直しっくりこない。kは本当に自分に自信がある人だし、片割れだと思ってる私自身も必要以上に自己肯定感が昔から高いから。それでも、kは今、自分のステージを上げるために、仕事に夢中になる時期なんだろう。追う側の私もステージを上げるためには、まず「追う」という執着を経験した上で、自分を見つめ直し、今自分に何が必要なのかを理解することが必要だとか。何かね?わからないな。でも、きっとそれも「私らしく」でいいんじゃないかなって思う。kとは違ってもいいなと思う人が現れたら、躊躇なく頂くだろうし(いかに性欲の強い私でも林さんは不可)、真っ直ぐに何かを頑張らなくとも、やるべきことはおのずと現れるはず。
kとはもう会わないかもしれないし、また会うかもしれない。そうそう、ラム酒の女神は「恋が終わるって考えるんじゃなくて、どこかでずっと続いてるって思う方が素敵じゃない?」って教えてくれたな。うん。なんかわかってきた。ありがとう、おぬきたん。
そしてkoedaさん、今日は私に赦しを与えてくれてありがとう。
おしまいっ。
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