【小説】アンニュイな目玉焼き

ぞわり。

「西高東低の冬型」
セイコウトウテイノフユガタ。

画面の向こうの天気予報士がそう言うたびにボクを襲う、指先で背中を撫で回されたような不快な”ゾワゾワ感”。

それはきっと、ボクが「性交」に対して強い恐怖心を持っているのと関係しているのだろう。

目玉焼きを焼きながら、焦がさないことを第一優先に、隙を見てテレビの電源を消した。


ボクが初めて女性を抱いたのは、大学1年の春。

自分で使っておきながら、ボクはこの「抱く」という表現が嫌いだ。

なぜなら実体験に基づくと、あの忌まわしきデビュー戦はボクが女性を「抱いた」というより、どう考えても「抱かれた」と表現する方が正しいであろう試合だったからだ。

「男性が抱く」「女性が抱かれる」という言い方は、どうしても男性側に主導権があるような印象を与えてしまうが、あらゆる性交が必ずしもそうなわけがない。

現場の状況、双方の経験値やテンションによって、明らかにその都度、行き来するものではないか。

そこで、代わりに使う言葉としては「抱き合う」を提案しておきたい。

──話を戻そう。

ボクの大学1年の初戦が、今では惨めな思い出だという話だ。

相手は囲碁サークルの上級生。

入学式後、校門近くで騒がしく行われていた新入生に対する勧誘のなか、囲碁サークルとテニスサークルのチラシを左右から同時に突きつけられ、ボクの手は咄嗟に左側、囲碁サークルのチラシに伸びた。

あのとき右側を選んでいればまた違った学生生活になっていたかもしれないが、たらればを言いたいのではない。

とにかくボクはあの場で、やったこともない囲碁のサークルに入ることを決め、その日の晩には新歓という名のビール浴びパーティに行き、帰りに黒髪ストレートの清純派美人なセンパイに場の流れでお持ち帰りされ、世紀の一戦に臨んだ。

気づけばボクは、センパイのベッドの上で全裸で眠っていて、窓の外のカラスの鳴き声で目を覚ました。

これは妄想でもなんでもない。

4年前の紛れもない事実なのである。

いや、おいおい。

どこが惨めな初体験だとお怒りな方も多いだろう。

そこで言いたい。

ボクは何も、酷かったのだと言っているわけじゃない。

良すぎた、最高すぎた、と言っているのだ。

完全にビギナーズラックである。

あの夜から、性交に対してのハードルが上がりきってしまったボクは、その後の学生生活を何もできずに過ごすことになった。

自分のポテンシャルを完全に見誤ってしまったのである。

世にも貴重な、「何事も無理しすぎると良くない」という人生の教訓を得た瞬間だ。

あれ以来、例のセンパイとは何もなく、他の女性にも指一本触れることもなく、悶々とした日々を過ごし、早くも気づけば4年の時が流れた。


そして、今。

ボクは毎朝、大好物の目玉焼きを作り、窓際の植物に水をやり、8時きっかりに家を出て、満員電車に揺られる日々を送っている。

「よし」

フライパンの上で、オレンジ色の目玉がこちらを覗いている。

今日も目玉焼きが上手く焼けた。

嬉しい。

──ぞわり。

《終》

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