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飲食業の魅力は、根づき永続することにあり。~株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役社長 呉 成煥氏


株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役社長 呉 成煥氏

東京都出身。高校卒業後、知り合いの会社のビリヤード屋で店長を務め、その後、賃貸の不動産会社に就職。1年弱、経験を積んだ後、売買を扱う不動産会社に転職し、27才で自ら不動産を扱う会社を起業。2003年、友人と後輩と一緒に「アセット・インベスター」を設立し、2017年「ユニバーサル・ダイニング」として独立。モットーは「One for All、All For One 、All for Happy」

飲食店を経営するようになるとは思いもよらなかった?

ヒトは、子どもの頃、あるいは成長してからも思い描いた職業に就けるとは限らない。むしろ、考えもしなかった職業を選ぶ、就くことのほうが多いかもしれない。

―飲食業には、さほど興味はなかったようですが……―

「そうなんです!20歳代半ばまで飲食業だけはやらない!って思っていたのですが……」と語るのは、都内を中心に“炭火焼ホルモン ぐう”“もつ焼よし田”“焼肉冷麺 てっちゃん”など17店を展開する株式会社ユニバーサル・ダイニングの代表取締役 呉 成煥氏。その呉氏に、紆余曲折を経て飲食店を運営するに至るまでの顛末を伺った。

―飲食業になりたくなかったのには、何か特別な理由でもあったのですか?―

「特別というほどのことではないですね。実家の母親がお好み焼き店を経営していまして苦労していたんですね。その苦労を間近で見ていましたから……。将来、どんな職業に就くか分かりませんでしたけど、飲食業は考えなかったですね」。

呉氏が生まれたのは東京都台東区。

「両親とも在日韓国人なんです。ですからボクも小学校から高校まで朝鮮学校に通っていました。兄弟は二人、2歳上の兄がいます」。兄は日本の大学を卒業し、23歳の頃からアメリカ、ドイツで暮らし、現在はパキスタンで生活しているとのこと。

「小学校5年のときかなぁ、両親が離婚したんです。兄とボクは母親に引き取られ育てられました」。

父親との別れ、お好み焼き店を経営している収入で二人の子育てに全力を傾注した母親との生活。

「衣食住には困りませんでしたけど、貧困家庭でした」。また在日韓国人であるがゆえに味わった辛さ、差別など多くを語ることはない。

―差別的なことって?―

「就職では不利でした。たとえばパチンコ店、朝鮮韓国系の金融機関、不動産業など仕事の道が狭く限られていました。現在は改善されたのかも知れませんが、いわゆる大手企業や公務員、金融機関などでは就職試験を受けることすらできなかったですから」。

子どもの頃は、どんな子だったのだろう。

「勉強は嫌いでしたね。大体、勉強した記憶がないですよ、頭悪かったし……」と語るが、“頭が悪い”というのは謙遜で、真に受けるわけにはいかない。また、勉強が嫌いで学業成績が芳しくないからといって卑下する必要もない。

「学校は友だちに会いに行く場所でしたし、暴走族を相手に喧嘩ばかりしていましたね。 それと、小遣い稼ぎを目的にアルバイトをしていましたね」

―ところで、サッカーが好きだったということですがー

「ええ、好きでした。サッカー選手になりたかったですね。ただ、高校生にもなると自分の実力が分かってくるんですね。いつのまにかサッカー選手になるという夢は消えました」。

高校卒業後、勉強嫌いでサッカー選手の夢が消えた呉氏が次に選んだのは、大学受験のため予備校に通うこと。

「サッカーに熱中していたばかりに基礎的な学力がなく、ついて行けなくなってしまいました」。半年で予備校を中退。知り合いの会社が経営していたビリヤード屋では働くことになった。


不動産会社経営から考えもしなかった飲食業経営に。

ビリヤード屋で働くことになった呉氏に迷いが出た。「このままでいいのか……」

「2年ほどアルバイトしていたのですが20歳くらいになったとき、“ちゃんと就職しなくては”と考えるようになりました。ビリヤード屋が嫌だとか、続けられそうにないとか、そんな気持ちではないんですけれど……」。

―ある意味では揺れていたようですが、どなたかに相談されたのですか?―

「職場の先輩に包み隠さず相談しました」。

―先輩はなんと?―

「“今は不動産の景気がいいから不動産をやれば”と……。時期としてはバブル全盛期か、その少し前、バブルの兆候が見えだした時期です」。

―いわゆるサラリーマンですか?―

「まぁ、スーツを着て仕事がしたかったという気持ちもありましたね」。
こうした経緯を経て不動産屋に就職するのだが、就職にあたってちょっとした試練があった。否、理不尽な扱いを受けた。

「先ほど、在日朝鮮人ということで差別的な扱いを受けたことがあったと言いましたが、あからさまな差別を受けたんです」。

―どういう差別ですか?―

「B-ing(ビーイング)という就職専門誌があり、その中から選んで応募したのですが、朝鮮人というだけで7連続、落とされたんです。ところが日本人の友人の履歴書内容で応募したら一発で受かったんです。世間の風は冷たく露骨な差別ってあるもんだと知りました」。

高校を卒業してビリヤード屋から不動産屋。今度は、不動産屋が倒産してパチンコ屋と予期せぬ転職が続いた27歳のとき、不動産事業に本腰を入れる覚悟で「アセット・インベスター」という社名の不動産会社を2003年9月、友人と立ち上げた。後日、この会社が株式会社ユニバーサル・ダイニングの母体となった。

この時点では飲食業の「い」の字も考えたことがなかった、むしろ忌避していた感さえあった呉氏が、皮肉なことに不動産業に取り組んだことで飲食業に進むことになった。


飲食店経営を学び、魅力を感じる。

「元々、焼肉に関する経験値、ポテンシャルが高いんです。ですから味には絶対的な自信があります。食べ歩きが好きで、特に焼肉は子どもの頃から食べているので、俗に言う“舌が肥えている”ので、他の飲食店に負けるなんて思わなかったですね」と当初は自信満々だったそうだ。

ところが、飲食店経営に関わる経験はないし、採算知識が乏しかったようで、思わぬ事実に直面した。ある日、数字をみたら利益がなく惨憺たる状態だった。

「不動産の仕事で忙しかったから飲食店は任せっきりで興味がなく、数字も見てなく好き放題やらせていたんです。その結果が酷いことになって、これではイカン!」と未熟さを痛感。

「飲食経営のセミナーで学んだり、“外食虎塾”という外食経営の塾に通って知識の習得や情報を身に付けました」。

―効果はありましたか?―

「テキメンでした。学んだ知識を実践するとお店は良くなるんです。と同時に飲食の世界の楽しさを知り、やりがいを感じるようになりました」。

―どんな点にやりがいをかんじたのですか?―

「不動産業ってダイナミックで面白いんです。翻って飲食業はお客さま一人ひとりに根づいて永続していく仕事なんですね。そこに魅力を感じましたね」。

飲食業の魅力を知った呉氏。2018年2月には東京・門前仲町に新業態の「大衆酒場もつ焼よし田」をオープン。

「新業態というのは、将来のFC展開を想定してオペレーションを軽くした業態です」。拡大の歩みは止まらない。2020年11月には東京・蒲田に「焼肉冷麺てっちゃん」をオープン。

現在、“炭火焼ホルモン ぐう”9店舗、“大衆酒場もつ焼よし田”2店舗、“焼肉冷麺てっちゃん”5店舗と3ブランド16店舗(フランチャイズ店舗3店舗含む)を運営している。

お好み焼き店を営んでいた母親の苦労を目の当たりにし、「飲食業に就きたくはない」と子どもの頃に考えていた呉氏。まるで天職かのように日々、飲食業としての未来を考え続けている。

ヒトの運命は分からない。

株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役社長 呉 成煥氏
企業HP http://www.u-dining.co.jp/

飲食の戦士たちより

主な業態

炭火焼ホルモン ぐう

首都圏に11店舗展開中。人気メニューは、毎日仕入れるこだわりの食材、冷麺、当店オリジナルの浅漬けキムチなどです。毎日芝浦から直接買い付ける食材を、こだわりの味付けで提供しています。

株式会社ユニバーサル・ダイニングHPより

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