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服を身に纏う。そして、生活を彩っていく。

ここ最近いろんな服を着るようになった。古着屋に行ったりもするようになったし、いいなと思った服を着るようになった。

もともと服は好きで、いろんな服を買いに行ったりしていた。

でもいつからか、そんな感情もなくなっていった。

不安に飲まれ、なにもかもを削ぎ落としていた


実はこの2、3年ぐらい服を選ぶことをめんどくさいとしか思えなかった。
きっとそのころ、体中に不安がまとわりついていて、服を選ぶことにすら楽しみを見出せなかったんだろう。

仕事のこと以外考えている余裕なんてなかった。そして、感性は鈍り、また不安がまとわりつく感覚だけが強くなっていった。

気づけば、体調も緩やかな坂をくだるように、自分の周りの酸素だけが薄くなっていくように、じわじわと下降して行った。

いつしか「新しい服がほしい」なんてことすら思わなくなった。
今思えば、そんな風にして、自分の感性や感覚を保つものをすこしずつ削ぎ落としていっていたのかもしれない。

気づかないうちに心の余裕や興味や関心なんかも削ぎ落としてしまった。

身に纏うことで、感性を取り戻す


最近またいろんな服を着るようになって、すこし変わったことがある。
どこかに出かけることや誰かと会うことが、楽しいと思えるようになった。

気づけば不安がまとわりつき、それを服のように纏い続けた。
あるいは、鎧のように強固なものだったのかもしれない。

感性を削ぎ落とし、身に纏った不安という鎧。
その不安を和らげ、僕に感性をまた与えてくれたのが服だった。

「こんな服を着てみたい」
「こんな姿になってみたい」

そんなことを思えるようになってきたとき、不安が少しずつ体から離れて行った。不安が離れて、服を着ることで削ぎ落とした感性をまた身に纏うことができた。

自分の感性を大切に行きていく


削ぎ落とし、削り取った感性を服と一緒にまた身に纏うことができた。
でもきっとこの感性もこのままじゃ仮初めのものでしかないだろう。

仮初めのものではなく、自分を表すものとして感性を豊かに持ち続けたい。

だから、好きな服を身に纏い、削ぎ落としてしまった好きなものや好きな瞬間をまた取り戻していく。生活に当たり前のものしていくんだ。

時間が経てば、着たい服も変わっていくだろう。好きなものや好きな瞬間も少しずつ変わっていくだろう。

それでも、仮初めの感性ではなく、僕を僕たらしめる感性を豊かにする生活をしていく。
感性を「身に纏う」のではなくて、「滲み出てくる」ようなものにしていくものにするために。

非合理的だと思い、削ぎ落とした大切なものたちをまた自分の中に取り戻すために。

きっと「非合理的」だと思って削ぎ落としたもの、「無駄だ」と思ってどこかに置いてきたしまったもの、そういうものが生活に彩りを与えてくれるんだろう。

忙しすぎて、不安に飲まれて、悪気なく置いてきてしまった感性を取り戻すんだ。

これからの生活に彩りあるものにしていく。それが自分のありたい姿だと今は思うから。

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