inoue san

思いや考えが散らかっている人。

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最近の記事

"穴"

朝から期待に胸を躍らせ、自転車を転がす。青空が気持ちいい。 二つ楽しみがある。 初台のステーキ、原宿のポスター展。 だが、甲州街道を半分きたところで 「平日になにもしていない」 社会のアウトサイダーである自分。なんとも心が寒くなる。 その後のステーキもポスター展も、どこか焦点が合わない。 昼に吹っ切れたように笑いあう真横のサラリーマン達が少し羨ましかった。 そんなには笑えない。気づけば真顔で時間が過ぎ去るのを待っている。 「皆やることをやっている、社会の役目

    • 吐き出す場所がなくて、どうして明日も健康になれようか。

      • 人生初、しゃぶ葉へ

        • アナタの"懐かしい"

          夕食後、自室のドアハンガーに掛けてある最近買った大正時代の藍染半纏を見てふと疑問に思った。 「僕はなぜ明治、大正、昭和初期などのいわゆるレトロという物が好きなんだろう。百年と十年の違いで好きが変わるのはなぜ。」 YouTubeにあげられている映画クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲の解説動画で、 "親のヒロシ達の今の現実よりも夢がまだあった帰れない幼少期の昭和という過去、子供のしんのすけ達の自分が生きている今。" こういう対比を解説していた。 しかし、僕は昭和に生きていた訳

          自分の美しさを。

          晴れ空の下、何もやる気になれず、 映画ばかり観ていた。 その中でも気に入ったのは "永遠の美を求める人の愚かさを描いたコメディ"、 そしてもう一つは "母親が探していた行方不明の自分の子が帰ってきたら、そっくりの違う子だったという1920年代のアメリカの事件を元にした映画"。 一つ目のコメディは確かに美を追求する愚かさといえば愚かさなのだが、それは人間の生きる希望であり活力であり、人間のみが持つ美しい側面だよなと僕は思うのだ。劇中の彼女達は誰よりも人間でありたい、こう見え

          自分の美しさを。

          震えるパンツ

          も、もし、もし、あなた。 あなたの家の中、全て見たことがありますか。 虫以外は当たり前だ?なるほど。 次に、その家で新しい発見はあると思いますか。 無い。そう仰る。 それは何故でしょうか。 さっき答えた。”全て見たから”、ですか。 では、あなたはふ、「震えるパンツ」を見たことがおありでしょうか? ええ、文字通り震えるパンツですよ、ど、どうですか。 無い。さきほどからあなたの回答はひ、一言ですねぇ。 視点を変えましょうか。あなたの家でふ、震える物は? そう

          震えるパンツ

          残る色は何?

          最近、”老けていく過程を通って死へ到達する”映画を見ることが多い。 それは大抵、いろいろ経験して最も大事なことに気づいて終わる。 観客に気づかせて終わると言った方が近いかな。 映画は物語だけど現実世界でも似たような動画を見る。 アルツハイマー病になった人が音楽を聴くとその音楽に関連した記憶が一時的に蘇るというもの。例えば、昔バレリーナだったアルツハイマー病の老人が”白鳥に湖”を聴くと当時の振り付けをパッと人が変わったかのように身体で表現するのだ。 他にも、一番好きだ

          残る色は何?

          今、私は腐った目をしている。

          側から見たら私は、と心の中でやるせなく呟く。 1. 私と周囲前に進んでいないなぁ、という自分の感覚に確信づけられるように、身の周りの人々の反応や私生活での動き方など、"やるせなくなる"程には十分な証拠が目の前に突きつけられる。 私は勿論、最初は前に進んでいようがいまいが関係ない。私は私だ。と強がってみせる。 でも、皆が言うだけ言って立ち去った後、砂をほじくりながら段々と弱腰で怯え始め、終いにはアイツらの投げかけた言葉が抱く理想に、私自身が近づくことが正しいのかなどと18

          今、私は腐った目をしている。