今、私は腐った目をしている。
側から見たら私は、と心の中でやるせなく呟く。
1. 私と周囲
前に進んでいないなぁ、という自分の感覚に確信づけられるように、身の周りの人々の反応や私生活での動き方など、"やるせなくなる"程には十分な証拠が目の前に突きつけられる。
私は勿論、最初は前に進んでいようがいまいが関係ない。私は私だ。と強がってみせる。
でも、皆が言うだけ言って立ち去った後、砂をほじくりながら段々と弱腰で怯え始め、終いにはアイツらの投げかけた言葉が抱く理想に、私自身が近づくことが正しいのかなどと180°ひっくり返った意見を自分のモノとして候補にし始める始末。
前に進むのが正しい社会。サァ、全員で同じ正しさで生きていこう!
ソ連のポスターにでも高く上げた足とともに書いてありそうな共産主義的な言葉を心に跡形もなくなるほど、グサグサ刺されているような心地になる。
2. 誰かが言った
そして誰かが言う。「人の中身とか生き様とかって顔に出るよね。」
"前に進んでいない。私と言う人間でいい。皆と同じ歩幅で行進。形なき正しさを大切にすること。努力しなきゃいけない。なんでお前はそこで足踏みをしている。全てが浅い。必要ない。お前には何もない。"
心の中はグチャグチャ。誰かの言葉が本当なら今の私の顔はウルトラセブンオープニング映像のマーブリングのように原型を留めていなくて、前を見るための目は濁り腐っているのだろう。ヒーローのようにハッキリとしたカタチに成ることができず、いつまでも誰も気に留めないような場所でただ佇むだけかもしれない。
3. 雲の晴れ間
でも、そんな私でもその"グチャグチャ"が消える雲の晴れ間がある。
それは絵を描いたり、写真を撮ったり、動画を撮ったり編集したりなどという創作の時間だ。安全地帯としての創作の場という方が感覚としては近いかもしれない。
私は誰かが思い描く何者でもないけれど、創作の場では自分の中にあるオリジナルパーツを一つ一つ身体から出して、貯めていけるような気がする。あ、いつかそれが「自分」という"者"になるのかもしれない。実は膝ぐらいまで完成してたりね。
4. noteという一歩
noteにこうやって初めて文章を書くのも、自分の形が今どんな形状をしているのか把握すること、さらなる展開や新しい方向への気づきを得ることを目的としたくてやっている。
そうすると、「私は私だけど、自分のやり方で一歩、前へ進める」ができた訳だ。
よし、このまま進め。私の腐った目が生き返るまで。
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