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統合失調症患者は『統合』は『失調』していない

 2023年1月29日(日)。9時21分。

 結局また早起きをした。茫然としている。なんとなく思ってきたのだが、思うのが遅すぎたのかもしれないが、ブログを書いていてなんの意味があるのかと真剣に考え始めた。

 勉強をしようとして、早起きしたのだけれど。結局勉強もせずに、何か、文字を打っている。何か文字を打つことに果たしてなんの意味があるのだろうか。「小さな希望は無くすな」と誰かから言われた気がするのだが、希望というか、どちらかというと、はまってしまったら抜け出せない、沼のような気もしてしまうのだが。

 私の文章に、何かしらの意味はあるのだろうか。ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に書いてあった通り、「私の仕事は」と書いてある。仕事として、後に誰かが読んでくれるから書いている、という意味に取れるのだが、果たして。私が書いた何かは、特に統合失調症について書いた何かは、誰かに、有益に事を運ぶことがあるのだろうか。

 有益か無益か。またここら辺の問題に差し掛かった。

 自分のことを書き過ぎているのではないかと、少しずつ怖くなっていくと共に、「確実に有益では無いな」と思ってしまう自分がいる。

 こんにちは。井上和音です。

 考えてみれば、誰でもこの文章は読めるし、無料だし、すなわち趣味っぽく書いているのだが。高校時代からそうであったように、何かしらに記録して、「自分とはこういう人間で、こういう考えを持っています」というのを、自分のペースで出し続けること、そのことだけに快感を感じるというか、そのことだけが自分の好きなことだったのではないかと思い込んでいる。

 高校時代。携帯電話でブログを友達と創るのが流行っていた。自分には友達が特にはいなかったので、皆は「友達同士で繋がっている感」を出すために携帯電話でブログを創って、お互いの連帯感のようなものを確認していたのだと思われる。

 そんな中、私は一人でブログを立ち上げた。仲間に入れてほしいとか、そういうことを頼んだような気もするが、多分、覚えていないけれど断られたのだと思う。

 陰キャだし。ぼっちだし。変人だし。

 結局、自分のブログを一人で立ち上げたような気がした。「それってなんの意味があるの?」と言われたこともあった。携帯電話なので、特に長い文章とかは打つことは出来ないので、特になんの意味も無い携帯電話の個人ブログが誕生した。

 変人だよな。と今だったら思う。今でもこうやってブログを一人で書いている時点で、変人だよなと思ってしまう。

 「誰かと一緒に」「共同してやろう」みたいなことが昔からできなかった。もう昔の話などしたくもないし、今を成功に導いていくのが本来の人生の在り方のような気もするのだが。結局一人で、なんの役にも立たない文章を打っている。

 公務員試験にまた落ちました。なんてことを自分のブログに書く必要性も特に無いし、書いたところで誰かに有益な情報を与えることにもならない。これはブログなのだろうか、と考えてしまう時が多い。ブログというのは、だいたいが、唯一成功するきっかけというのは、一つのことを奥深くまで調べ上げて、それをまとめて、誰かに無料で有益な情報を与えることに意味があるのだと思う。

 誰でもそう思う。常識レベルでそう思う。

 しかし。まあ。何度となく書いたかもしれないが、何かを掘り下げて、専門的なことを書き続けて、画像なんかを挿入して。そういう手間は自分にはすることが出来ない、という判断で、続けていくこと、それ自体だけを目的として、文章だけのブログを書いている。

 誰の。なんの役にも立たない文章。もう誰かがやっているに間違いないような、ただ日々を雑記として書いていく、時間の無駄のような気のする作業。

 自分は何かに閉じ込められてしまっているのか。何かに行動の縛りでも受けているのか。自分はお金も特に無い。やりたいことも特に無い。ただ楽になりたい。ただそれだけで。それだけなんだということでしかない。

 精神障害者保健福祉手帳2級を所持し、統合失調症を発症し、発達障害とも分かって。

 今のところ、特に統合失調症の具体例などは発症していないので、特に精神疾患について書くことも無い。

 ただ、これだけは綴っておきたいなということがある。一貫して統合失調症患者がブログを毎日書いているが(この時点で少し異常なのかもしれないけれど)、統合失調症になったからと言って、自分の場合はコンサータなのだが、自分に合った薬を見つけることが出来ればある程度は論理的でまとまった文章も書けるということだ。

 精神科医が書いている「統合失調症患者は支離滅裂なことを言いますが、それは脳内で情報が統合されておらず、その名の通り『統合』が『失調』している状態なのです」とよく言われる。

 薬を飲んでいるから、薬を飲んでいない状態のことを言うのは難しいが、上の文章で統合失調症患者に対してどう対応したらいいか分かった人はいるのだろうか。

 何が『統合』が『失調』している、だ。してないよ。その文章の意味自体が支離滅裂な感じを受けてしまうのだが。統合失調症患者というよりも、支離滅裂な言動を一回でも発言してしまった人間を全員統合失調症という病気に抑え込んでおけば、興奮抑制剤などを投与することができ、とにかく社会に悪影響をその患者が与えないように、精神科医からの薬という名の「安定剤」のようなものを一生投与されなければいけない状態に於かれる。──これは精神医学の真実の一つであると思う。

 『統合』は『失調』していない。体験談を、妄想をただ並べるだけが統合失調症患者のネット上での役割でもない。統合失調症患者にも、あんな人や、こんな人もいる。ただそれだけが言いたいだけで。統合失調症患者全員が意味不明な人間たちだけではないということだけが伝えたい内容になってきた。

 自分は結局のところ、統合失調症になる前からブログか何かで好きに文章を打つことが好きなだけだと気付かされた。仕事とか大事なのだろうけれど、好きなことを続けることが出来る環境にいることは、幸運なのかもしれない。

 統合失調症や精神疾患を超えた何かを書けるようになれたら嬉しいと私は思う。

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