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謙譲語を使う日本文化の恐怖 / 旅を楽しむためには何が必要か

 2023年5月24日(水)。21時20分。

 こんにちは。井上和音です。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。そちらの世界はどうですか」

 「相変わらずです。変わらずです。論理的に考えたら負けという世界が広がっています。矛盾だらけの世界なのかもしれませんが──《《考えたら》》矛盾だらけの世界と気が付くだけなのかもしれませんが、考えなければいいと気が付きました。要は矛盾があろうとなかろうと同じ毎日を淡々と過ごしていけば良いと、それだけの毎日です」

 「そちらの世界を生きるためにははがねの心が必要と聞いたことがあります。考えたら負けというやつですね。感じたら負けというやつですね。心を殺し続けていたらいつの間にかとんでもない所に届いていたとか、そういう世界ですからね。そう。グリッドですよグリッド。ただ淡々と続けていくだけです。日本には謙譲けんじょうという独特な文化がありますが、自分を徹底的に下げていくことで相手への尊敬の幅を広げていくという素晴らしい文化です。井上さんの『他人の行動は変えることが出来ない』『他人の考えを指図することは出来ない』とかいう考えと謙譲という文化は考え方が程よく一致しています。

 どういうことかと言うと、自分を徹底的に下げるという文化は、目線を変えれば相手の立場は上がってもおらず下がってもおらず。実は相手の立ち位置は何一つ変わっていないという点で、井上さんの考えに合致しています。自分の立ち位置は変わるけれど、変えることが出来るけれど、相手の立ち位置は変えることが出来ない。THE 井上、って感じです。

 謙譲という文化の驚異的な面は、絶対的な評価においては、謙譲された相手は立ち位置が何一つ変わっていないという点です。井上さんは自分を下げて下げて相手を持ち上げていますが、神の目線からしたら相手の立場は変わっていない。井上さんの最後のプライドなのかもしれませんね。『実はあなた、立ち位置は変わっていませんよ』という最後のプライド。

 井上さん、性格が悪いですよ。扱いづらい人間ってこういうことを考えていそうで嫌になりますね。書きながら井上さんは謙譲語の恐ろしさに気が付いたらしいですが、今後井上さんに謙譲語を使ってくる人がいたとしたら、注意深くその人の端々を観察しておいたほうが良いのかもしれません。日本語って怖いですね」

 とまあ。謙譲語の恐ろしさに気が付いて、日本の文化の底知れなさをまた感じる羽目になりましたが。

 私は卑屈に謙譲語を使っていません。本当です。謙譲語と尊敬語の区別が特にはついていません。会話の中で丁寧に丁寧に言葉の使い方を注意していますが、私は丁寧語ばかりを使っているのでしょうか。

 こんな話をしたいわけではないのですね。

 お風呂場の中で思い付いたことも前の記事と同じく何も無かったので、例によってツイッターでも見てみましょうか。

☆☆☆
 「旅に出たい」
☆☆☆

 はい。これだけです。

 そもそもの話、人が旅に出たり山に登りに行ったりする理由って一体なに。なんで危険をおかしてまで人は旅に出るのか。日本という比較的に治安の良い国において、マイホームでごろごろしておくことが安全だし、省エネだし、経済的にも良いしで良いこと尽くしじゃないんですか! と思っています。

 思っています。現在形。現在進行形と最初は書きましたが進行していませんね。

 相も変わらず変化なし。

 幼少期は、家族で旅館に泊まりに行くことが好きでした。週末のドライブとかも好きでした。多分、子供の頃は「変化こそが人間だ」とか思っていました。

 ところが中学生くらいから、反抗期もあったのか、家族で旅行に行くことに抵抗を覚えます。部活の仲間とか、友人たちと旅行に行くことになりました。

 大学生になりました。誰とも旅行に行くことは無くなりました。お金の無駄じゃね? と考えるようになりました。

 卒業旅行とか新婚旅行とか、行く人の意味が分かりませんでした。多分、誰かとの最後の思い出作りだったり、誰かとの最初の思い出作りだったり。もしくは、ただの旅行会社のキャンペーンに乗っけられているだけだったりして。とか書くと、「斜に構えた態度ですね。孤独がそんなに楽しいのですか」とか言われそうな気がします。

 実は旅行って、何処どこに行くかよりも誰と行くかのほうが断然大事だったりして。 

 話が逸れる。

 話を戻すと、「旅に出たい」と思うようになりました。

 最近、単語を集めています。世の中を新鮮な目で見てみたいと思い、とにかく単語を集めることを趣味にしたいと思い始めました。そこで、古文単語や現代文単語の参考書を買ってみたりしました。もう既に本は届いていて、7月分のカードの引き落としは15,000円は超えていますねえ。

 元々の趣味って単語集めだったのですよ。そもそもの単語集めって何、という感じなのですが。文章力を鍛える最後のとりでって、「記号としての単語をどれだけ知っているか」に集約されていくと考えています。大学時代にそう思い付き、ありとあらゆる図鑑などを集めました。統合失調症になって実家に帰って、単語集めも諦めました。「もう二度と本は買うな」と言われて。それで小説家になることも諦めたわけです。自分の中の小説家になるための努力が「果て無き単語集めの繰り返し」だと思っていたからです。もうダメだと思っていました。

 ところが、最近では本を買っても普通にスルーしてもらえるようになりました。そこで「旅に出たい」と考えるようになりました。単語集めの旅に出たいわけではなく、《《単語と関係のある実物を生で見たい》》と思うようになりました。まずは旅に出る前に、徹底的にその地区独特の単語を調べ上げるところから旅の準備、言い換えれば旅程は始まります。こんな建物がある。こんな店がある。こんな風景がある。こんな色がある。こんな植物が生えている。こんな野鳥が飛んでいる。こんな歴史が背景にある。こんな方言がある。こんな言語を使っている。……単語を調べ上げようと思ったらもちろん無限に存在するので枚挙にいとまが無いのは承知の上ですが、出来る限り単語を知っていたほうが、その地域に行くことの面白さが倍増間違いなしかと思われます。

 こういう趣旨で旅行に行くとしたら、実は近場でもかなり面白くなるのではないかと思っています。私が住んでいる地域は田舎なので、まずは畑になっている野菜の名前とか、山に自生している植物の名前とか。岩石の名前はなんなのか。ほのかな歴史は何を意味しているのか。調べてみるだけでもワクワクしていきそうです。

 実はこの趣旨でいくと、いつもの職場も見方ががらっと変わります。火災報知器に塗られている朱色の本当の名称はなんなのだろう。エレベーターの作動の仕方はどうなっているのだろう。この壁の材質はなんだろう。この文房具の名前は一体何なんだろう。いくらでもいくらでも単語を確認する冒険は出来そうな気がします。

 旅に出たら、それは全てが新鮮なので、ちゃんと予習をしていったらそれはそれは楽しいことのオンパレードでは、と思ってしまいます。単語を予習した旅は相当面白いものになるのだろうなと感じました。

 単語を集める趣味が再開したかのように思われます。これからの人生が楽しみです。

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