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【歌評】シークライファー / 初音ミク / 2022年 / 作詞:𓂁(2023年4月13日現在:雨ノ漣 / sazanami)

──『ずっと、君を待ってた。』──

☆☆☆
 歌詞の引用部分は『』になっています。著作権違反とならないように慎重に書いていきます。
☆☆☆

 2022年12月11日(日)。10時44分。

 はい。久しぶりの【歌評】ですね。カクヨム公式様から、メールで「歌詞を載せた記事は短くても書かないでください」と警告をもらっているために、カクヨムで発表はするものの、残しておくつもりはもちろんない。発表して30分くらいしたら、下書きに戻そうと思う。

 じゃあ、なんで書くのか、と言われれば、まあ、書きたいから、の一言に尽きるのだが、noteでは「歌詞を短く引用し、それに対して感想なり評価を言う」ことは規約でも認められているので、まあ、noteにそのうち出すために書いている、と言っても良いのかもしれない。

 カクヨムにおいて総合的な文字数とかには反映されないだろうけれど、まあいいやと思って書いている。

 【歌評】のいつも通り、この言葉から書いていこうと思う。

 自由に書いていこうと思う。

 さて、本題。「シークライファー」であるが、YouTubeでたまたま見つけた曲である。「シークライファー」には実はタイトルもなく、また作曲者の名前も「空白」で書かれており、実は最近のボーカロイド曲発表のトレンドのようなものらしかった。

 この曲の驚くべきところは、歌の歌詞が動画のなかの文字に出る以外に、歌詞以外のフレーズも、動画の中で紹介されていく。なので、実は冒頭に書いた『ずっと、君を待ってた。』というフレーズも実際のところは歌詞ではない。

 ここだけ引用しているのであれば歌詞でもなんでもないので、カクヨムに残しておいてもいいのかもしれないが、まあ、残念ながら下書きに戻す予定は変えていない。

 私は統合失調症患者である。

 それで、「シークライファー」の冒頭ののっけから『ずっと、君を待ってた。』というフレーズが登場する。それだけで、「ああ、自分の生きてきた意味とか、統合失調症になった理由って、やっぱり何かを文字で書き続けるためのことだったのかな」とか、勝手に妄想した。

 「君を統合失調症にしたのは、こうやって文字だけでもブログか何かで発信を続けるための、下準備だったんだよ。普通に生きていれば、君は仕事に忙殺されて、小説を書くどころかブログを書く時間だって無意味と感じ、君が発信することはこれから先一切ない運命にあったんだよ。それを無理やり統合失調症で人生を捻じ曲げてまで、君に苦痛を与えたのは、文字を書き続ける、井上和音をこの世から無くさないための処置だったんだよ」

 「それで、実際に君は半年以上、毎日書き続けた。結局見込み通り、君は書き続けた。そんな井上和音くんを讃えて『ずっと、君を待ってた。』というフレーズを出したんだよ」

 というような、そんな感じがした。

 統合失調症だからか、なんなのか、元の自分の性格なのか分からないけれど、中二病と言われるようなフレーズに私はめっぽう弱い。『ずっと、君を待ってた。』というフレーズだけで、自分が特別な何かを有しているかのような気分にさせられて、「シークライファー」という曲の掴みから、がっつりと深みへとはまっていった。

 『ずっと、君を待ってた。』しか引用していないような気がする。もはや歌詞を一行たりとも引用していないので、曲の紹介になっていないような気がする。

 ちなみに、曲の冒頭で出てくる、歌詞ではないフレーズを全て紹介すると『ずっと、君を待ってた。』『これは、君自身で掴んだものだ。』と来る。この特別感を感じさせるダブルパンチのようなフレーズは、心に響く人には響くだろう。私は心を掴まれた。

 歌詞を引用しましょうか。一番頭に残った、響いた歌詞を。

 『分かりきった答えだった?? 君は何かしたんですか?』

 人生ってなに? みたいな疑問を持つ人は「シークライファー」を聞いたらいいと思う。結局、人生ってこの言葉に集約されるような気がする。

 『君は何かしたんですか?』

 『何かしたんですか?』と問われれば、「毎日ブログを書きました。文字だけのブログで、一円にもなっていないし、別に有名になったわけでもないけれど『何か』はしました。能動的に『何か』はしました。人生が変わったわけではないけれど、生きる目標みたいなものに気が付きました。文字だけのブログで、noteや小説家になろうにも活動の幅を広げることができました。この『何か』がこれからの人生において、プラスにはたらくのか、マイナスにはたらくのかは、全く分からないです。けれど、自分が大学に行った意味。自分が哲学科を選んだ意味。自分が作家になりたいと思い願った意味。統合失調症になった意味。それぞれに意味なんてないのかもしれないけれど、文字だけのブログを書き続けることで、自分が行ってきた選択や、突如降りかかってきた不幸などに、納得することのできる意味を、過去の自分に与えることができました。全て自己満足で終わるのかもしれないけれど、自分から『何か』した、という経験は、紛れもなく自分の財産となりました」

 とでも答えようかと思う。

 最後、ワードサラダみたいになって、なんか申し訳なくなってしまった。

 「シークライファー」はいい曲です。ぜひYouTubeでお聴きください。

https://www.youtube.com/watch?v=P49Pvn-azIk

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