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自由が増えると統合失調症の症状も増える。 / 本当の意味での強さとは?

 2023年4月15日(土)。21時29分。

 こんにちは。井上和音です。

 統合失調症ってなんなのだろうと最近思いますね。

 自由になればなるほど統合失調症って酷くなっていくような気がしますね。

 そう! 私は今、自由です!

 とっても自由! どれくらい自由かと言うと、雨が降っていたのでショッピングモールにまで自動車で行って、ショッピングモール内でPokémonGOのトゲチックコミュニティデイをやるくらいには自由。

 その後にBOOK・OFFに行って、名探偵コナンの漫画のコンビニ版を中古で5冊買いました。一冊100円でした。自由ですね。

 そう。自由。自由は良いよ。素晴らしいよ。

 しかし。自由なほど統合失調症の激しさは増すらしいです。そう。統合失調症のまっしぐらの中を生きている感じが、ここ最近のとうおこを読んで頂いている方には分かるかと思われますが、統合失調症の中を生きています。

 前からのはずだけれど。

 自由が増えると神の偶然性は増えるのです。どういうこと? と問われそうな感じですが。

☆☆☆
 今日の統合失調症のコーナー。

 2つほど。

 亜種を含めれば3つほど。

 1つ目。NHKのど自慢が熊本県宇土市であります。

 のど自慢。
 ↓
 No do 自慢。

 No-do 自慢。(自慢をするな)

 もしくは。

 No do-自慢。(自慢をすることは禁止行為)

 のように脳内で変換されてしまいました。

 笑ってくれ。もっと。

 2つ目。BOOK・OFFで漫画を買おうと、グラップラー刃牙の完全版をコナンのコンビニ版を買おうとしたら、グラップラー刃牙のほうは100円では無くて買うのをしぶしぶ諦めました。

 そしたら、イヤホンを付けたのりのりの男性が、大声を上げながら、「もっと集中していないといけないよ! 集中! 集中!」と言っていました。

 そうなんですね。統合失調症の中に生きるというのは、全ての人間という人間が神からの天声人語を伝達する人間にしか見えなく、聞こえなくなってしまう病なのですね。恐ろしいね。なんでこんなことになったのでしょうか。

 恐らくは自由だから。自由度が上がるにつれて統合失調症というのは酷くなっていくのです。これをタイトルにしたほうがいいくらい、統合失調症の核心を突いているような気がします。

 大事なことは、この状態になったとして、特に騒いだり、変に声を掛けたりしなければ、特に何も起こらないということを肝に銘じて自由を楽しんでいくことです。

 せっかく人生を生きているのだから、閉鎖病棟に入院になって自由を、人生を止めてしまうような真似だけはやめておきましょう。

 どれだけ統合失調症が酷くなったとしても、「私は普通に生きていくんだ」と強い決意を持ちましょう。

 しかし、怖くなれば自由から脱出してもいいと思います。今朝の私もそうでした。何もせずに眠っていました。このまま外出することは無いのかなとか思いましたが、コンタクトレンズを付けて、自動車に乗ってみれば、案外なんでも出来るんだなと思いました。

 3つ目(亜種)。ショッピングモールでPokémonGOコミュニティデイトゲチックをしていたら、店員さんから監視されてしまいました。多分、お店にお客も居なくて私が一人でずっとスマホで何かしらしながら、買い物もせずにぼけーっと立っているので、恐らくは万引きの可能性があると判断したのだと思われます。

 万引きの手口ってこんな感じだし。本当にこれは監視されていただろうなと。というか、警戒されていたとは思います。申し訳なかったです。その後、徐々に歩き疲れていって、ショッピングモール内のベンチでPokémonGOを続けました。ショッピングモール内でPokémonGOコミュニティデイをやるのは変人っぽい感じに映るのは、客観的に見たらその通りなので、申し訳なかったですね。

 4つ目を書いてもいいですかね。

 4つ目。ショッピングモールの駐車場で、高校生の二人組から爆竹を鳴らされました。どんだけ治安が悪いねんと思いましたが。もちろんその感想が出てくる前に、一気に怖くなりました。今日、和歌山県で起きた岸田首相が爆破テロに合う事件を思い出してしまいました。

 そう。ここで統合失調症の思い込みがもっと激しければ、自分の近くで爆竹を鳴らされたことと、岸田首相が爆破テロに合った事件と、二つを関連させてしまい、「自分は岸田首相と同じような境遇を受けているということは、自分は総理大臣と同じくらいに重要な人物として、何かしらのサインを送るべく、高校生たちは誰かに命じられて爆竹を鳴らしたのだ」とか思ってしまいます。

 統合失調症って怖いですね。恐ろしい病気ですわい。止めようが無いのですね。自分の妄想を止めればいいだけでは、と思われがちですが、この世の全ての偶然性が自分の中にある記憶とリンクしてくる現象は──これを神の偶然性と呼んでいるのですが──この神の偶然性はレベルを上げようとしたらいくらでも上げられるというところが本当に怖いです。

 ただの偶然に過ぎないのですが、徹底的にリンクが激しくなると「今、この瞬間は何かしらになるためのテストではないか」と思い込んでしまいます。統合失調症のなり立ての頃は確信に近いくらいの神の偶然性が起こっていて。統合失調症を経験したことも無かったので、そのまま閉鎖病棟隔離室まで一直線でした。
☆☆☆

 ところで、爆竹を鳴らしていた高校生くらいの人達を見て、「強いってなんなんだろうか」とか考えてしまいました。高校生くらいは自転車に乗っていました。なんというか、ショッピングモールの駐車場というか、入り口付近で爆竹を鳴らすというのは言語道断だとは思いますが、「自分たちは公共の場で爆竹を鳴らせるくらいにはビビるものも無いんだぜ」みたいなことをアピールしたいのかなとか思いました。

 ところが、その高校生くらいの人達は自転車にしか乗れていないのです。私は自動車です。岸田首相の爆破テロ事件では、筒状の爆発物が投げられた時点でもう終わりというか、ある意味で弱者の、「誰も敵がいないから、誰も出来ないことをやってやろう」という無敵の人の論理を思ってしまいました。その容疑者は警察などの強い正義によって、ベルトコンベア式にただ輸送されて行きもう拘置所にいるだろうと思われます。何も抵抗も出来ないでしょう。そこで初めて自分の弱さに気付くのかな。もしくは自分の不自由な人生が決定したことに気が付くのかなと思いました。

 強いとは。淡々と粛々と自分の心を殺して仕事をこなしていく人こそが強い人なのかなと思いました。何かを倒すとか、「俺たちはここまで出来るんだぜどうだ凄いだろう」みたいな強がりではなく、何が起きても動じることなく、淡々と同じ毎日をこなしていく性根しょうこんのある人。そういう人が真の意味で強い、と言えるのかなと思いました。

 田舎で治安が悪いだけなのかもしれませんが、多分その高校生たちは自分たちの弱さに対して不満があるのだろうなと思いました。何が正しいのかも分からずに。とにかく「人に迷惑を掛けても全然なんとも思っていない俺たちは格好良いだろう」という思考を本気で信じているのだろうなと思ってしまいました。

 誰でも出来ることだけれど、誰もしないだけだよ。人に迷惑を掛けることは、自分が責任ある立場に立って散々、人に迷惑を掛ける人に会ってきて、人に迷惑を掛けられることって、実はとっても対応が面倒くさくさくて、人から嫌われるだけだからみんなやらないだけだよ。

 みたいなことを思いましたが、高校生は別に悪く無いのかなと思いました。ただ経験が足りていないだけで、法律とかを用いずとも、人に迷惑を掛けることの他人からの不愉快な感情を知らないだけなのかなとか思いました。

 強い、とか、弱い、とかの定義っぽいことは今回の記事ではあくまでオプションということで、統合失調症の現象で起きた具体例からタイトルは引っ張ってこようかなと思います。

 やっぱりタイトルは二本立てで。明日はBOOK・OFFに行って、やっぱりグラップラー刃牙を買いに行こうかなと思っています。今日、記帳してみて分かったのですが、貯金がやっぱり出来ていないということを痛感し、グラップラー刃牙愛蔵版が500円もすると分かって買わなかったのですが、やっぱり買おうかなと思います。

 明日も自由なのかなと思います。

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