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仕事と育児と看病と介護が一度にやってきた!

”人生いろいろ”というけれど、本当に色々なことがありますよね。
順調で平穏な時というのは、意外に少ないのかもしれないなと思うのです。

今回、タイトル通りなのです☺️
同時期に本当に起こってしまいました。
仕事をしながら「育児と介護と看病」が同時期にやってきたんです。

しかもワンオペ、海外で…


今回は、前置きになりますが
次回からは、その時をどうやって乗り切ったのか、何を感じていたか、
どうやって乗り越えたかを何度かに分けて、書いていきたいと思います。

働くみなさんの状況は違っても、人生に予想外のことが起こり
四方八方塞がりになってしまっているなら、
参考になることもあるかも知れません。

▪️そもそも人生予想外のことばかり

海外に行ったのも、国際結婚も想定外

そもそも、自分の人生を振り返ったとき
想定外のことばかりをやってきたなと思います。

幼少の頃、病気がちで大きな病気もしていたこともあり、良い子にしていることが両親を心配させることなく、大きなリスクがないと子供心に知っていたのかも知れませんが、いたって普通の家族に育ち、平均値の真ん中を歩くような10代の生活をしていました。

それが、海外に触れた書籍や職場の先輩の影響を受け
自分さえも抱いていなかった、想定外の道を歩みだします。

・海外に長期でひとりで行ったこと
・バックパッカーを背負い一人旅をしたこと
・30歳まで結婚しないといっていたのに、予定よりも随分早く結婚。
 しかも、相手は海外の人。

ひょんな出来事から「海外に行こう!」と日本から出て、
「バックパッカーになって世界中をまわろう」という想いになり、
たまたま知らない土地だった香港、興味もなかった香港に降り立ち、
そこで出会って恋に落ちた人が香港人
出会いは、わたしがクレーマーといういわくつきのものでした。笑

でも、これらは想定外と言っても、自分で選択した結果
納得のことでした^^

慣れない香港の生活にストレス

遠距離恋愛を経て、国際結婚をし香港へ移住。

国際結婚あるあるの、言語、文化の問題、現地の生活の違い、人間関係
これは、今では全てがプラスになったと言えることなんですけど、
移住した当初は、現地の言葉・広東語が全くわからなくて、
どこに行くにも、人と会うのがストレスになってました。

今思えば、夫は、わたしの慣れない新生活を、根気よく香港での慣習、文化、香港や海外にいる親戚、友人たちとの付き合い方を通して教えてくれていましたし、根気よく見守ってくれていました。

当時、一族の中でも「キツイ」と言われていた義理の母に
わたしが超絶な意地悪をされても、
強要させられるようなことがあっても、
絶対的にわたしの味方”になってくれたものでした。

頼るところが香港になかったわたしでしたが、
そんな夫だったからこそ、結婚生活が続いてきたのでしょう。
子どもたちが生まれてからも、子どもたちの面倒もよく見てくれ、
可愛がってくれ、困難なことがあっても幸せでした。

▪️大黒柱になると決めた日

ところが、子どもたちが小学校になった頃から、
夫は4年間ほど働けなくなりました。

香港では共働きは当たり前。そんな中でわたしは稀にみる主婦を長くしていました。共働きをしていれば、夫もプレッシャーはそんなになかったと思いますが、主婦でいることを長く許容してくれてたんですよね。

「家族を守らなきゃ。大黒柱になろう。」

と、海外で働くことも不安だったし、何よりも長期のブランクもあったし、資格も経験もないに等しいわたしが働くなんて…こわかったんです。

(詳しくは、ここで↓)

▪️海外でワンオペスタート

そんな中、わたしの仕事ぶりが認めてもらえるようになってくると
夫は、次の働き口が決まりました!

それは、なんと住んでいた香港や
中国ではなく…
単身赴任でマレーシアへ行くことに。

働いてくれることは嬉しかったけど、
当時は「なんで、海外なの!」って思わず言ってしまいました。
夫は働けなかったとしても、大きな支えで、頼りにしてたから。

孤独のワンオペ

夫がマレーシアに赴任する前は、本当不安になったものです。

わたしも仕事である程度認められるようになり、責任が伴う仕事が増え、
管理職になってたのです。また、同時に日本国内と海外のプロジェクトリーダーを任されました。

この時は1週間のうち3日は、香港から中国広東省を国境越え通勤をして、
香港と中国で仕事をしていたハードな時期。

月曜日から金曜日は、仕事ばかり。平日は、子どもたちとは朝と晩しか会えません。週末は家族の日と決めてましたが、もうクタクタで家事どころではありませんでした。子どもたちとの時間も大切にしたいから、家事は本当最低限のことだけになってました。

完璧な母なんてムリ

自分が子どもたちにしてあげたいと思っていた母業は、
早々と手放してしまいました。

完璧に何もかもするってできない…
完璧主義的なところがあったので胸が痛かったのですが
子どもたちは、母の目が行き届かない環境が”心地良かった”ようです。笑

母としての愛情や心を配ることは、おなざりにしたくなかったので、
週に2〜3日間は、1日2時間ほど家事代行(お手伝いさん)に来てもらうようにしました。
思い出せば、俳優の西田敏行さん似のすごく心優しい香港人のおばちゃん。家事だけでなく、子どもたちにも心配り、時には「あなた働きすぎよ!」といなめてくれる大好きな方でした。

すごくお手伝いさんに来てもらうことで助かっていましたが、
国境をこえて通勤し、香港と中国で仕事をしつつ
時には、海外出張もある仕事は、とてもハードだったのですが
面白くもあり、好きだったんですね。

そんな日々に不穏なニュースが飛び込んできたのでした。

そう、仕事と育児と看病と介護が一度にやってくるのです…

続く)

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