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『日本誕生』 はじめに

*この記事は、約10年ほど前に父が書いた全6章で構成されている原稿を順番に公開しています。

日本誕生

古代東アジア神聖王の正統な系譜を自覚して、匈奴出身の隋に向かい、日出る所の天子と宣し文明の独自性を示した人々

倭人という民族意識を持った人々のルーツと太陽信仰ネットワーク

日本のなりたちを知りたいという気持ちは、日本人なら多くの人が持ち合わせている気持ちではないだろうか。

建国の日が、一応決められているとは言え、それが神話に基づく不確かな根拠によるものであったり、日本についての中国古代文献の地理的記録と我々が学校で習った古代の日本領域図が一致していなかったりなど、

現在の定説とされている日本古代史の中には、数々の問題が存在する。

それらの問題を見過ごしたままの古代史に、納得いかないものを感じている人は、筆者のみではないと思っている。

はじめに

筆者は、建国の日の根拠に、確かな事実の記録を見出す事はできなくても、日本人を構成する人々、古代の縄文人、弥生人と言われる人々の起源や、その生活領域を、少なくとも中国古代文献と整合する程度の精度で、より正確に見直してみたいと常々考えていた。

2010年、筆者の疑問を解く扉は、この年に発刊された山形明郷氏著「卑弥呼の正体」によって開かれた。

古代日本の領域について、確信を得る所となったのだ。

その内容は、第二章で詳しく紹介するが、時を前後して発表されてきた日本人の起源に関する研究成果や、縄文文化、中国殷・周代の金石文字の研究成果などによって、古代において倭人と呼ばれる民族集団が、いつ頃どこから来て、どう東アジアに展開し分散したか、という大きな民族の動きを俯瞰できる状況が浮かび上がってきた

倭人の民族的展開と分散そして収縮の歴史、これは多くの人々にとって興味深く魅力的なテーマであろう。

この問題に関しては、幾つもの説が唱えられて来ているが、いずれも、地理的状況や気候・植生、風俗、遺跡からの発掘物などの外形的類似性を拠り所として、研究者の観察経験知や、相対的分析尺度を基に、想像力豊かに推論されたものといってよいものであった。

しかし最近は、発掘された植物の種や土器などに付着した炭化物を、生命科学や物理学の手法によって、その炭化物が何千年前の物であったとか、その炭化物が何という植物であるとか、さらにはDNA分析によって、生命体の種や遺伝的源流をたどる事が出来るようになって、古代に対するこれまでの推論が大幅に修正される時代を迎えている

古代東アジアにおける、倭人と呼ばれた我々の先祖の起源や生活圏とその変遷は、最新の科学的分析結果と、次章に述べる山形氏や、東北工程と呼ばれる中国東北地域の古代研究の結果によって、従来の定説とは全く違う姿が判明している

次章以降に引用される諸研究結果を見れば、この古代風景は、多分、筆者のみに浮かぶ古代風景ではなく、古代に関心を持つ人々にも浮かんでいるものであると思われる。

明治時代、古代東洋史の研究者として活躍した那珂通世氏が、限られた資料の中から現在定説となっている古代東洋史を組み立てたのだが、山形氏の膨大な中国古代文献調査によって、文献間の整合性が保たれた形の古代東洋地理が提起され、定説の根拠は覆ってしまった

中国で最近発見された梁職貢図の新羅題記部分の「新羅は倭の属国」という記述資料や、紀元前に存在した朝鮮国が中国東北地方にあった事、また広開土王碑文が真正な碑文であり、当時の高句麗の都平譲(現在の集安)に王を讃えて建立された事など、これらの資料から、日本書紀の中に記述されている、東アジアの国際関係に関する記述にも信憑性があると考えられることが分かってきた。

 筆者は、日本書紀が、倭人の部族間闘争の歴史を正しく伝えているか否かを論じようとする観点ではなく、倭人が係わった北東アジアの国際関係を語る記録の観点から、そこに記述されているものに、相当の正確性を認めていくべき歴史書として捉え、日本書紀と中国古代文献を参考に、古代日本、とりわけ古代朝鮮半島情勢の記述を試みる

第1章につづく……

<過去記事>
『日本誕生』 参考文献・資料

*父が自費出版をした1冊目の本*


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