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ミスチルのように生きられたらいいのに

高校の頃、Mr.Childrenが大好きだった。

最近また、昔の曲を聴くようになって、ミスチルの曲の歌詞にあの当時とは違う感覚を抱くようになった。

ミスチルが歌う曲は、日常の小さな幸せを歌ったものが多い。30代になった今だから思う。こんな風に生きられたらどんなにいいだろう。

「Sign」は日常となった愛=パートナーや家族との愛を歌っている。

ありふれた時間が愛しく思えたら
それは愛の仕業と小さく笑った

君が見せる仕草
僕を強くさせるサイン
もう何ひとつ見落とさない
そうやって暮らしてゆこう

緑道の木漏れ日が君に当たって揺れる
時間の美しさと残酷さを知る

付き合って、あるいは結婚して、ある程度一緒に過ごしていて、その愛はすでに日常なものになっていて、だけど確かなものとして存在している。

どれだけ愛が日常のものになったとしても、愛のサインはどんな小さなものでも見逃さずに生きていく。そんな意思を感じるし、それが何よりも大切なのだ。

こんな風に愛を築くことができたら、どんなにいいだろう。

「彩り」は何でもない日常を肯定する歌だ。

そんな些細な生き甲斐が
日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に
増やしていく 水色 オレンジ

今 社会とか世界のどこかで
起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種に
なれた気がして世が明けて
また小さな庶民

ただいま
おかえり
ただいま
おかえり

日々の仕事や生活は、誰かに褒められるわけでもなく、ただルーティンのようにこなしているだけだけど、そんな変わらない日常の中にある些細なことこそが人生に彩りを加える。

変わらない毎日をこんな風に思えて、人生を肯定できたらどんなにいいだろう。


「君が好き」は好きな人さえいれば人生はそれだけですばらしいと歌う究極のラブソングだ。

君が好き
僕が生きる上で
これ以上の意味はなくたっていい

夜の淵 アパートの脇
くたびれた自販機で二つ
缶コーヒーを買って

君が好き
この響きに
潜んでる温い惰性の匂いがしても
繰り返し 繰り返し
煮え切らない メロディに添って
思いを焦がして

君と一緒にいれば、くたびれた自販機で買った缶コーヒーを飲んでいる時間ですら輝いて見えた。たとえ「好き」に惰性の気配がしたとしても繰り返し言い続ける。それだけが幸福を続けるための方法なのだから。

「好き」をここまで強く信じることができたら、どんなにいいだろう。

改めてミスチルは偉大だと思った。

いまだミスチルの歌のように生きられないでいる。

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