「真相は藪の中」でよいのか?芥川龍之介は才走っているが深くはない。問題を突き詰めない日本的思考。

「真相は藪の中」でよいのか?芥川龍之介は才走っているが深くはない。問題を突き詰めない日本的思考。

『公〈おおやけ〉日本国・意思決定のマネジメントを問う』第Ⅱ部「作家とマーケット」から「ベストセラーの登場」の一部を公開します。
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**二人の鬼才・芥川と菊池

 秀でた額ととがった鼻、髪の毛をかき分ける細い指……、芥川の端正な面立ちに比べると菊池は下膨れのむくんだ顔に細い眼が埋まっていて、団子鼻にかけている眼鏡が小さく見えるほど不細工、髪はくしゃくしゃ縮れていた。
 芥川の読者は文士志願のインテリ青年や教師、その容貌に魅入られた女学生などであった。芥川は『今昔物語』に材を取るなどの工夫を凝らした。しかし、それでは短篇にしかならない。大河物語のようなスケールの作品には、実際に起きた事件を調査し、取材する必要があるし、場面展開に工夫を施さねば読者を引き込むことができない。
 菊池の活躍は芥川を凌駕していった。マーケットが拡大することで、大衆はエンターテインメントを求めるようになっていた。
 芥川はその風貌は知性的であったが、才走ってはいても必ずしも深くはない。
 有名な『藪の中』は、殺人事件の目撃者の三者三様の「告白」が「事実」として並列される。犯人がわからないまま物語は終わっている。芥川はこの短篇で「人の心の奥底はわからない」という譬えとしているが、殺人事件には実際の加害者がいるのである。ウソをついているのは三人のなかの一人に違いない。
 事件が迷宮入りとなり、ついに犯人がつかまらないと、しばしば「真相は藪の中」と表現される。だが事件が迷宮入りであっても必ず犯人は存在するのである。「真相は藪の中」という納得の仕方は、じつは知的でも哲学的でもなく、徹底的に詰めずに、何となくわかった気分で済ませる日本人好みの解決策にすぎない。『藪の中』創作にヒントを与えたとされるアメリカの作家、アムブロズ・ビアスの、『月明かりの道』は、6人の陳述が綴られていて構成は似ているが、結局、最後に殺した犯人は誰か、真相が明らかにされるのだ。
 いっぽうの菊池寛の時代センスが抜群だったのは、そのころでは珍しいがやがて一般化する自動車が登場し、いきなりスピードをあげて事故を起こすシーンを出世作『真珠夫人』の書き出しにしたことだ。19世紀のフランス文学を代表する作家がバルザックなら、菊池寛はいわば日本のバルザックであり、「人間交際」の幅のなかで欲望と理性、栄達と挫折、肯定と否定の要素を組み込んで物語にしている。
 芥川の評価が高く、菊池の評価が低いのは、人生に悩むだけの芥川の亜流でしかない才能の乏しい売れない作家たちが、菊他に嫉妬して、売れるのは通俗的だからだと批判したせいではないかと思う。教科書の文学史の記述がつまらないのは、読者とマーケットについての考察が欠けていたからだ。そもそも早世した芥川を惜しんで芥川賞をつくったのは、新進作家に少しでもチャンスを与えようとする菊池の志しであった。
 菊池寛の作家としての名声を一気に高めたのが、大正9年(1920年)から大阪毎日新聞に連載された『真珠夫人』だった。
 主人公である真珠のような美貌を誇る男爵令嬢・唐沢瑠璃子は、金の力で父を陥れた成金の荘田勝平に復讐するため、その後妻となった。白亜の豪邸に住み、真珠夫人と呼ばれるようになる。
 事故による心臓発作で夫が死ぬと、その遺産の力で社交界の女王として君臨、男たちの心を惑わせた。だが真珠夫人は心が満たされることのないまま、いっぽう的に彼女を慕う青年によって刺し殺されるという悲劇的な結末を迎える。
 菊池寛の巧みなストーリー展開が大衆の心を捉え、毎日新聞の購読者は一気に5万人増えたほどだった。スキャンダルから正統派エンターテインメントへと作品は進化する。
 女性が積極的に雑誌を買う時代になったのだ。雑誌『主婦之友』の「主婦」は当時の新語で、戦後の専業主婦とは違いただの「婦人」ではなくて、「主人」に対して「主婦」であり、男と女は対等であることを意味した。『主婦之友』は、大正時代後半になると20数万部も売れた。『真珠夫人』は、この婦人雑誌隆盛時代の読者が求める作品だった。
(公開はここまで。続きは書籍をお買い求めください)
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