音楽と凡人#04 "メンバーを探す旅、大阪編"

 人生初の一人暮らしは大阪で始まった。メンバーを探すために拠点を大阪へと移すことを決めてから半年間京都のカフェでアルバイトをして資金を貯め、梅田の一つ手前の駅、十三へと引っ越した。家賃相場は5、6万で梅田の一つ手前の駅である。部屋は不動産に一度足を運んだ時に勢いで決めた。3軒目の内見中、この部屋はすぐ埋まってしまうと言われ、それが常套手段であると知らない当時の私はワンルーム4万5千円の物件をその場で契約した。築30年程の日当たりの悪いマンションの1階である。2階には大家が夫婦で暮らしていた。
 引っ越した日の夜、両親へ手紙をそれぞれ一通ずつひとり部屋で書いた。恥ずかしいことを伝えるには恥ずかしい形式がよいと思った。窓の外は深夜の府道、運送トラックや救急車がせわしく行き交う。非力な換気扇の下で増えていく吸い殻を見つめながら朝を迎えた。

 メンバーを探すと息巻いてやってきたものの、何からしていいのやらわからず、とりあえず生きていくために働かなければならない。梅田の商業ビルの中にある流行りのカフェの面接を受け、その場で採用された。オーガニック、という言葉の意味も正確にはわからないが、そのような感じの店だ。入って二週間ほどで辞めてしまった。今考えれば大した理由などなく、多くの人が感じる最初の数週間の居心地の悪さに耐えられなかっただけであった。数日間は働かずに暗い部屋でじっとしていた。引っ越しの際、人生で初めてクレジットカードを作っていたために現金がなくても誤魔化せることを知ってしまっていたのがよくなかった。以後十年間現在に至るまで悪い癖は治らず、どうせ売れるから関係ないと「自己投資」を名目に本や機材を買ってきた為消えぬ不安と残高に目を背けたい暮らしとなってしまった。

 なんとか次のバイト先を見つけてしばらくすると、ミズモトも十三へ引っ越してくることになった。本格的にメンバーを探す為である。とりあえずあとドラムがいればバンドとしてライブはできると思っていた矢先、不思議な出会いがあった。ミズモトが部屋を探す為に行った不動産の担当者が同い年で過去にドラムをしていた経験があるという。その場で仲良くなり連絡先を交換したらしい。次の日には三人で一緒に梅田で待ち合わせをしてお好み焼きを食べていた。
 「あのー、俺今日誕生日ねんけど」
 「ほんまに?」
 「いよいよ運命的な出会いやな」

 リュウキは私たちと同じ学年で、高校卒業後しばらくして今の仕事についたらしく、社会人三年目であった。そんなところに京都からやってきたよくわからない二人組に巻き込まれ、誕生日を迎えてしまったようだ。
 「ほなまぁとりあえず観覧車のっとくか」
 「男三人で?」
 阪急梅田の駅前、HEP FIVEは真っ赤な観覧車がぶっささった商業施設である。ビルの中は若い男女で溢れていた。夜景を見るにはちょうどいい時間であった。私は赤い網にかかった大阪を眺めながら、こんなふうにできる限り無駄なことがしたくて、バンドをする人生を選んだのだと思った。


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