音楽と凡人#06 "しょうらいのゆめ"

 人生で最初に書いた将来の夢は「かしゅ」であった。小学校に入る前、6歳の頃にこどもちゃれんじの付録の自作本の巻末にイラスト付きで書いた。その後子どもらしく多くのものに憧れ、定期的に小学校で書く将来の夢という作文にはその都度様々な何かを書いた。

 「TVに出る仕事(お笑い芸人)か店を持つ」は小学校低学年の頃に書いた。子供の頃に「ダウンタウンのごっつええ感じ」などのVHSをネタの意味も理解できないままに見ていた。ゴレンジャイが好きだった。店を持つというのは父が美容院をひとりで営業している憧れからきたもので、自分の何かしらの店を持ちたいという思いは未だに少しある。
 「鳥類学者」は小学校中学年の頃に書いた。ハリーポッターを見てフクロウに夢中になったことが憧れの要因である。お小遣いを4ヶ月貯めて、5羽のフクロウが木に止まっている1800円の置物を買ってそのそれぞれに名前をつけていた。
 そのほか「作家」や「漫画家」、「落語家」などの「家」の付く仕事にも興味があった。その場その場で夢中になったもののうち、どれが手元に残るかは本当にちょっとした違いなのかもしれない。

 小学校入学前の「かしゅ」という夢は、小学校の卒業文集で「ミュージシャン」という名称に変わってふたたび現れた。その頃には家にあった父のアコースティックギターを触り始めていた。初心者向けの教本を見ながら小さな指でEコードをまず始めに覚えた。始めて弾き語りをしたのはその教本に載っていたスピッツの「空も飛べるはず」だったように思う。
 しかし小学生の私は歌には自信がなく、ギタリストとして音楽の道を志していた。自信のなかったうたうという行為がどのようにして自分が一番高揚できる表現となったのかを少し考えてみたいと思う。
 努力は必ず実を結ぶものではないが、本当にやりたいことはきっとやった方がいい。自分にも誰かにもそう感じることができるように表現したい。

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