音楽と凡人#12 "寄り道に世界は続いて"

 家から大学までは電車で1時間ほどであった。通っていた高校は自転車で20分もかからなかったので、京都の自宅から大学のある大阪吹田までの満員電車はこたえた。しかし、それと引き換えに手に入れた通学定期券が人生の軌道を少し、或いは大きく変えたような気がする。

 大学生活には思い出がない。友達は一人もできなかった。授業は普通に参加し、サークルにも加入したこともあったが、居場所はなかった。居場所が作るものであるならば、私にはその努力ができなかった。全てを斜めに見て、新たな出会いがもたらす可能性などには見向きもせず日々を過ごしていた。

 誰とも話すこともないまま入学から時間が過ぎ、授業に出るのが億劫になった。しかし、実家暮らしであった私はサボったまま家で過ごすわけにもいかず、時間割通りに家を出た。そして、今日は行こうかどうしようかと阪急電車に揺られながら迷った挙句、ふと途中の駅で降りた。頭の中には子供の頃に見た太陽の塔が空に届きそうなほど大きくなっていた。

 万博公園へは阪急南茨木駅で乗り換えて、そこからモノレールに乗るというのが一般的なアクセス方法だが、私は阪急の駅から歩いて太陽の塔を目指した。人生で初めて定期券というものを手にした自分にとっては広大な範囲を追加料金なく移動できるのが新鮮だった。寄り道の切符であった。

 住宅は少なく、清潔な大きな国道があちこちから伸びて重なっていたが、木も多く視界は緑であった。道は広く、しかし周りは見えないというような風景を汗を流しながら歩いた。すると突如太陽の塔はその頭を空に見せた。おそろしい気持ちとわくわくする気持ちが同時に起こった。

 万博公園は264ヘクタールある。ディズニーランドは50ヘクタール前後らしい。かつてはここにエキスポランドという遊園地があったが、さまざまな事情から2009年に閉園した。その跡地にエキスポシティという商業施設ができたのは2015年である。私が訪れたのは2012年、太陽の塔もまだ未改装で内部公開していない頃で、万博公園には本当に夢のあとのような、廃墟のような空気感が漂っていた。

 古びた券売機で入場券を買い、カリカリと音のする金属のバーを体で押しながらゲートをくぐり抜けた。記憶ではスカイツリーのような大きさになっていた太陽の塔をこの目で真っ直ぐと見た。世界の時間の全てがこの場所に圧縮され、身動きがとれなくなるようであった。それはけっして窮屈なものではなく、ゆっくりと漂うように私をとらえて離さなかった。

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