狭間にあるもの:梨木香歩著『炉辺の風おと』を読んで

 仕事で遠出しなくてはならず、吹雪のなかを片道四時間もかけて車で走ってきました。ホワイトアウトのなかを走るのは初めてではありませんが、緊張のために胃が痛くなります。眼前に雪の幕が下ろされ、一寸先も覗くことができないおそろしさ。とても慣れるものではありません。
 幸い事故もなく帰ってくることができ、日課となっている読書をしながら、こうやって穏やかな気持ちで本を読めることのいかに素晴らしいことかを噛み締めています。

 ちょうど読み終わった本があります。梨木香歩氏の『炉辺の風おと』という作品です。



 梨木香歩氏は『西の魔女が死んだ』などで知られる小説家で、同作や『裏庭』のような児童文学のほか、『ぐるりのこと』や『渡りの足跡』などエッセイも多数執筆なさっています。
 今回拝読した『炉辺の風おと』も、八ヶ岳での生活を軸に、身の回りのことや社会のこと、そして自身の生き方や考え方について語ってゆくエッセイです。

 話は、八ヶ岳で売りに出された山荘を購入するところから始まります。ふつう、私たちが家を買うとしたら何を基準にするでしょうか。広さ、住み心地、街へのアクセス、ご近所さまなどいろいろな基準があると思いますが、梨木氏は前の所有者から購入の理由を聞かれ、"幸せな思い出がいっぱい詰まっている気配があったので"と答えます。
 購入した理由は何かと問われれば、実用的な理由を挙げるのがふつうでしょう。ですが梨木氏はそうではない、家という物質の奥深くにあるものを感じ、そこに惹かれて購入を決意します。物をつうじて、それをつくった人や使っていた人のことを知るというのはまるで考古学のようですが、梨木氏にはそういった"語られない部分"を感じ取るアンテナのようなものが備わっているのでしょう。

 その後も英国でウェスト夫人と暮らした日々やアイルランドの漁師町での思い出、東京で出会った解体予定の古民家とそこにかつて住んでおられたM教授にまつわる話など、魅力的なエピソードが続きます。そして、そのすべてにおいて梨木氏の思いやりに満ちた眼差しと言葉が散りばめられており、読んでいると、真冬の空気にあてられた心がじんわりと温められてゆくようです。

 また、何よりも魅力的なのが八ヶ岳の植物や動物など、自然にまつわる描写です。氏がもともと植物や動物に明るいことはほかの作品を読んで知っていましたが、この『炉辺の風おと』でもその豊富な知識がふんだんにいかされ、八ヶ岳の自然をまるで実際に見ているかのように感じることができます。

 ですが、そういうエピソードばかりというわけでもありません。沖縄の米軍基地問題や、お父様の闘病をつうじて感じた現代医療の問題、そして執筆中に巻き起こったコロナ禍とそれに右往左往する政治への批判など、非常にセンシティヴな話題も扱われており、あたためられていた心が急に冷やされるような場面があります。このあたりには驚かれる方もいらっしゃることと思いますが、読んでいるとやはり梨木氏のアンテナがしっかりと張られていることがわかります。氏はきっと、目の前の物事について真剣に考えずにはいられない方なのでしょう。だからこそときに迸る熱い思いを、私は愛おしくさえ感じました。

 また、梨木氏は物事の変化についてとても敏感な方のように思われます。
 世の中には、変わりゆくものと変わらないものが複雑に絡み合い、同居しています。八ヶ岳の美しさは変わりませんが、山の植生や動物の分布は常に変化を続けています。街中の鳩はすっかり人に慣れてしまいましたが、八ヶ岳には人慣れしていない鳩がまだ残っています。しかしその八ヶ岳にも梨木氏の離れが建ち、台風の通過によって新しい沢が生まれるのです。

 人間も同じです。一人の人間のなかに、変わりゆく部分と変わらない部分があって、二つのあいだに取り残されるようにして心が存在します。その心を温めることが生きるということであり、あるいは誰かの取り残された心を温めてあげることを愛と呼ぶのかもしれません。

 今年は多くの変化が生じた一年でした。当たり前であったものがそうでなくなり、常識が非常識に転じてゆく。けれども人はそう簡単には変わることができないから、取り残されて途方に暮れてしまう。私もそのひとりです。泣きたい気持ちをこらえながら過ごす心を、氏の見た八ヶ岳の変わらぬ美しさが励ましてくれるようです。

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