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『お早よう』イラン人監督のキアロスタミのような映画だ(日本の歴史)

 英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が発表した、世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に、小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)が選ばれたが、他の作品を観たことがなかったので、まずはこの映画から観てみた。

 ストーリーは子供の間で、おでこを押すとオナラをすることが流行っていて、失敗してパンツを汚す子供がいたり、多摩川沿いの長屋の中での町内会の会費に関する噂話など、私が生まれた1959年のありふれた日本の日常が舞台になる。ちょうどその頃は三種の神器として、テレビ、冷蔵庫、洗濯機を月賦で購入する家庭が出だした頃で、この映画の主人公と思われる兄弟が、英語の勉強と称してTVのある家に訪問する習慣があった。

 しかし、TVを見に行かないように母親に注意されると、二人の兄弟はTVを買って欲しいと頼み込む。1億総白痴化だと信じる父親はそれを反対し、余計ものはいらんと注意。すると売り言葉に買い言葉で、大人の挨拶も雑談も無駄ではないかと口論になり、喋り過ぎを注意する父親に対し、ならば口をきかない、2日でも3日でも100日でも、ということとなり、子供たちは挨拶も学校でも口をきかなくなってしまった。給食費ですら母親に頼むことがでくなってしまったが、それでも口をきかない。

 二人の兄弟の姉の知人の青年曰く、「余計なことがなくなったら味もそっけもない、無駄があるからいいんじゃないか、無駄が潤滑油だ」というセリフがこの映画のテーマなのだろうが、とうとう白痴化を推進する無駄なTVを買うことを父親は決断し、それを喜んだ子供は大喜びし、オナラをしながら学校に通う、という物語だ。

 1959年のカラー作品だが、日本の日常の光景から人間が生きていくために必要な無駄を喜劇として映画き出している。イラン人監督のキアロスタミの描き出すイランの日常は、まさに小津安二郎の世界で、両者とも超ドメスティックな日常なのに、世界的普遍性を持っているのが面白い。きっとこの映画は外人が観ても笑える映画なのだろう。

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