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やりたいことをやってるはずなのに、心が満たされなかったあの頃。

私は20代の頃、いっちょまえに役者の道を志していました。

ずっと大成したいと頑張ってみましたが、私のように夢を追っている若者は星の数ほどいます。


そんな夢を追いかけていたある日。

事務所のマネージャーから「あんたの代わりなんていくらでもいる」とハッキリ言われたことがあったんです。

その言葉に今まで努力していたことが急に無意味に感じてしまって、心がポキリと折れた音が聞こえた気がしました。



芝居の道を志した頃はワクワクでいっぱいでしたが、現実はなかなかそうもいかないことが本当に多かった。

ずっと誰かの特別になりたくて、私という人間を必要とされたくて。

でもやりたいことをやっているはずなのに、心はいつまでも満たされないし、辛い。

夢や希望を与えるエンターテイメントの世界にいるはずなのに、まず自分自身が幸せじゃないということになかなか気付くことができずにいました。


お金もないし、特技もないし、才能もない。

目を覆いたくなるような現実を受け入れることができなくて、とにかくがむしゃらに鞭を打ち、自分の居場所を作るのに必死でした。

自分には何もないのだから、せめて努力だけはしなくちゃと、どんどんと心を追い詰めるのが癖になっていく。

あの頃は頑張ることが美徳だと思っていたし、頑張れない自分は悪だと思っていました。

それらはきっと自分の自信のなさからくるものだったんだと思います。


その精神のまま会社員になっていったので、根性だけはありました。

できるかできないかわからないけど、とりあえずやってみる、わからなかったら聞くという単純明快なことだけはできていたので、会社での馴染みは早かったような気がします。

でも私が圧倒的にできなかったのが、「肩の力を抜く」ということ。

知らなかったんです、全力でやらなくていいってことを。

仕事は時にはさぼったっていいし、向き合いすぎなくていいし、休みたきゃ休めばいいということもよくわかってなかったんです。

売れない役者はその現場がうまくいかなければ次は呼んでもらえないから、一個一個が勝負でした。

命がけなんです。

「あんたの代わりなんていくらだっている」と言われたくなくて必死なんです。


ところが会社というのは、代わりがいてこそ会社というもの。

むしろ業務がその人しか知らないというのは属人的になってしまっているので、良くないことだとも知らなかったんです。

目から鱗でした。

「代わりがいていい」という価値観に初めて触れた瞬間。

私の自信のなさは完全に役者時代に植え付けられたもので、お金をもらえなくたって手伝って当たり前、ご飯が食べれなくて当たり前の「やる気の搾取」の価値観の中で出来上がっていきました。

会社員になってよかったなと思うことは「その価値観てめっちゃ変」ということに気づけたことです。


あの頃の私はとにかく余裕がなかったなぁと思います。

だからどんどん自分に自信が持てなくなって、自分のことが嫌いになっていく。

お芝居で違う人間になることで、自分をなくそうとしてるようでした。

自分を愛することも知らなくて、そして自分を許す術も知らなかった。


でも今は自分を大切にすることで周りのことも大切にできる余裕が生まれたように感じます。

肩の力を抜きながら、鼻歌を歌いながら、空の色を見て、移り行く四季を感じる。

そして私は私でいいんだと自分を受け入れる。


葛藤がある毎日ですが、これからもほのぼのと過ごしていきたい。

まだまだ私は夢半ば。

決して夢を諦めたわけではないのです。

自分で余白を作り、その中でできることを考えていきたいと思うのでした。


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