神主さんが語る霊のお話し

 そもそも神職は「霊」を信じるのですか?と聞かれることがありますが、私は「霊」を否定しません。霊性を否定することは、神道を否定することになってしまうからです。


神道では、万物に霊性が宿る、と考えられています。山、川、海、木や花、すべての自然、そして生き物には霊が宿っています。もちろん私たち人間も、「神の分け御霊(みたま)」を頂く神の子。だれの肉体の中にも、霊は宿っているのです。


そして肉体の死によって、その霊は体を離れ、黄泉の国(よみのくに)へと向かいます。すぐに黄泉の国へ到達する霊もありますが、この世に未練や執着を残してさまよう霊も存在します。


死から約50日が過ぎると通常、霊は現世から霊の世界の住人になったことを自覚し、新たなステージを歩いて行くようになります。しかし、神様から与えられた命を自ら絶つ自殺者のうち、何らかの事情でお祀りやお祓い、葬儀などが行われなかった場合、霊が死を自覚することなくその現場に執着してしまうことがある、と考えられています。


おおよそ地上の時間で50日間が、霊が肉体の「死」を自覚する時間だと言われています。その時間の区切りとなるのが、神道で言う「五十日祭」であり、仏教の「四十九日法要」です。 


霊もまた、「気」のようなエネルギー体ですが、それを視覚、聴覚、嗅覚、触覚など、人によってさまざまな感覚器官で「感じる」ことがあっても、私は不思議ではないと思います。ただ、それを「怖い」と思うのは、「人間が怖い」と言うのと同じです。人は、霊(ひ)止(と)であり、私たちの体の中には、もともと霊が宿っているのです。


霊が怖いと思うのは、あなたが「死」についてきちんと学んだり考えたりしたことがなく、むやみに「死」を恐れているからかもしれません。この世で一番怖いのは、霊であるあなたです。(笑)


現役最高齢のライフセーバーといわれていた・故本間錦一さんから聞いた面白い実話を紹介します。


ライフセーバーもレスキュー隊もまだ存在しなかった昭和23年7月、素潜りが得意だった20代の本間さんが呼ばれて駆けつけ、最初に遭遇した水難事故者は、25歳の男性でした。水深8~10mのところで発見したこの男性を、本間さんはロープを使って必死に引き上げたのですが、時すでに遅し。一週間後に結婚式を控えていたその男性は、帰らぬ人となってしまいました。


号泣する婚約者の痛々しい姿がまぶたから離れず、上手く寝つけずにいたその夜、本間さんの目の前に、まさにその日海から引き上げた男性が現れたのだそうです。声も出ないくらいの恐怖と衝撃で、本間さんは凍りつきました。


そしてそれ以来、遺体を引き上げるたびに必ず、本間さんのところへは溺死者の霊が現れるようになりました。いつまでこんなことが続くのか…。恐怖と不安に苛まれていたとき、本間さんは、漁師であったおじいいちゃんからおまじないを教わりました。


「人麻呂や まこと明石の浦ならば 我にも告げよ 人麻呂の塚」
この不思議なおまじないの和歌を西方に向かって3度唱えると、水死者の霊は出て来ないとのことで、北海道の漁師衆も知っているおまじないだそうです。本間さんは藁にもすがる思いで、遺体を引き上げたときには必ず、西に向かってそのおまじないを唱えることにしました。すると、それ以降ピタリと霊は出なくなったのです。


しかし面白いことに、本間さんは霊がまったく出て来なくなったことに、次第に物足りなさを感じるようになりました。よくよく思い返してみれば、自分が勝手に恐ろしがっていただけで、出会った霊たちは口々に「ありがとう」と礼を言い、笑顔で手やハンカチを振っていたからです。


「よし、こうなったら彼らの言い分をとことん聞いてやろうじゃないか」
そうして本間さんは、あるときからおまじないを唱えるのをやめ、お礼を言いに来る霊との会話を楽しむようになりました。


さらにこの話には、後日談もあります。溺死者に接した2人の大学生のライフセーバーのうち一人にだけ、本間さんはこっそりこのおまじないを唱えるよう教え、もう一人にはわざと教えませんでした。するとまじないを教えなかった学生の方にだけ、ちゃんと霊がやってきて、この学生を腰が抜けるほど怖がらせたのです。この話は後に、怖い話を集めた稲川淳二さんの本にも採用されました。


このおまじないは、和歌の言霊(ことだま)によって、水難事故で苦しむ御霊を鎮め救済する方法のひとつです。人麿呂とは、歌人・柿本人麻呂のことで一節によると人麻呂の死因は、水死だといわれています。


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