2019年11月、香港の大学が燃えていた~映画『理大囲城』~

映画『理大囲城』(香港ドキュメンタリー映画工作者制作。以下、本作)を、ずっと腕組みしたまま観た。
香港の民主化デモに対してシニカル気取りで上から目線で観ていたというわけではない。
腕をほどいて自身への拘束を解くと、自分が何かをしてしまいそうで怖かった、と同時に、自身の防御を解くと、何かに攻撃されそうで怖かった。

本作は、「香港理工大学包囲事件」と呼ばれる、『2019年11月13日から29日の間に、逃亡犯条例改定反対の抗議運動の一環として行われた活動』(本作パンフレット・香港永住者でフリーライターの伯川星矢氏の寄稿文より)を、当事者であるデモ隊側から伝えるドキュメンタリー映画である。

この事件と本作について、本作パンフレットから一部抜粋して引用する。

香港理工大学包囲事件は、2019年の香港民主化デモの中でもスキャンダラスな事件だったが、いまだ(2022年日本公開時)その全容はあきらかになっていない。圧倒的な武力を持つ警察により包囲された構内には、中高生を含むデモ参加者と学生が取り残されていた。逃亡犯条例改正反対デモで最多となる、1377名の逮捕者をだした。
警察の包囲網により大学は完全に封鎖され、救援物資を運ぶことも、記者や救護班が入ることも許されなかった。しかし匿名の監督「香港ドキュメンタリー映画工作者」たちは、デモ参加者として大学構内でカメラを回しつづけた。

その状況について、やはり本作パンフレットに掲載された漫画家・安彦良和氏の寄稿で補足する。

香港理工大学はアジア屈指の名門大学で、そのキャンパスは香港中心部に堂々と広がる。そこに2019年秋、数千の学生、若者がたてこもり、周囲を治安警察によって厳重に包囲された。と、このように言うと我々は1960年代末の日本の学生紛争の記憶に結びつける。が、状況はかなりちがう。
なによりも、香港の学生、若者たちは好んで籠城したのではない。『逃亡犯条例』の不当さに抗議し、大衆デモに加わった末に追いつめられ、閉じこめられたのだ。だから彼らは徹底的に受け身的だ。

本作が、また、デモ自体が象徴するのは、21世紀のスマホ時代である、ということだ。
それについては、本作に寄せた比較文学者・映画史家の四方田犬彦氏のコメントが物語っている。

かつて大島渚は、敗者は映像を持っていないと言った。
第二次世界大戦、68年の学生運動も内側から撮った映像はない。
『理大囲城』は香港において内側から映像を記録した。

21世紀初頭からの高度なインターネット環境とスマホの登場により、警察によって包囲された理大の内部の様子が、外部にリアルタイムで伝えられるようになった。
そのおかげで、確かに、理大外部では一般市民による彼らの救出活動への機運と警察への批判が高まった。
しかし、発信できるということは受信もできることを意味し、本作でも多くの若者が各々スマホの画面に映し出されるSNSやニュースサイトの情報に見入っている姿が記録されている。
上述のように救援物資や救護班だけでなく記者さえも遮断された状況の中、各々が受け取る情報の真偽は誰にも判断できず、若者たちはリアルタイムで入ってくる情報に翻弄される。
デモ隊と関係なくただ巻き込まれただけの理大生を保護した警察が全員を逮捕したという情報が流れる。逮捕されるとひどい暴行を受けるとか、ある者はレイプされるとも叫ぶ。
若者たちは、物資の不足や疲れ・焦燥・不安などに加え、溢れかえる情報によっても、精神的に追い詰められ、疲弊してゆく。

この状況までは、現在に至るまで世界中で起こっている戦争・紛争のニュース映像や、或いはそれらをモチーフにしたフィクション作品などによって、語弊を承知で書けば「頭で理解できる」。
しかし私が衝撃を受けたのは、一人の若者の言葉だった。彼は言った。
『死は覚悟したが、人知れず死ぬのは嫌だ』
市中のデモで死んだり、抗議の自殺をしても、死体は発見され、「一人の人間」として死ねる。しかし、ここ(包囲された理大)では、死体は発見されず、自分が死んだことは誰にも知られない、それが怖い、と。
「闘って死ぬことの尊厳」を語る彼を前に、私の組んだ腕は益々硬直していった。

本作にエンドロールはない。最後にただ、「香港ドキュメンタリー映画工作者」と表示されるだけだ(日本語字幕作者についても同様で、個人名は出ない)。
「香港ドキュメンタリー映画工作者」は複数名によって構成されているらしいが、デモ参加者に強く肩入れせず、一定の距離感と冷静さを、一貫して守っている。だからこそ、世界中で目撃されるべきドキュメンタリー映画として成立している。

(日本語字幕作者をも含む)複数名の制作者全員匿名としているのは、当然、身の安全を考慮してのことで、その事実こそがこの民主化デモと中国・香港政府の関係性をリアルに物語っている。

そしてこれは、過去の話ではない。現在も続いていることだ。
上述の四方田氏のコメントの続きを引用する。

これ(内側から映像を記録したこと)は偉大なことであり、敗者ではないということを示している

(太字は引用者による)

だからこそ、日本のどこかで本作が公開されれば、是非、上映会場に足を運んでほしい。

付記

ポレポレ東中野では、本作とやはり香港の民主化デモを扱った劇映画『少年たちの時代革命』(任侠レックス・レン林森ラン・サム共同監督)がセットで上映されている(鑑賞料金は別)。

なお日本でも、香港の民主化デモを扱ったドキュメンタリー映画『香港画』(堀井威久磨監督、2020年)が制作・上映された。
下記拙稿では、『香港画』のパンフレットの掲載文を基に、「逃亡犯条例」の改正が何故あれほど大きなデモに至ったのか、その理由と経緯を簡単に説明している。
ご興味があれば一読いただければ幸いです。


メモ

映画『理大囲城』
2022年12月25日。@ポレポレ東中野

この上映回、映画館の3分の1程の座席が埋まった。
クリスマスの夕方に集った人々はきっと、平和を祈りながら鑑賞していたはずだ(微力ではあるが、私も平和を祈った)。

ちなみに、上述のようにポレポレ東中野では、『少年たちの時代革命』と本作が続けて上映されているのだが、私が日を改めたのは、本作上映と新宿k's cinemaでの映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』(三好大輔、川内有緒共同監督)の上映が重なったからだ。

12月25日16時20分の上映回の前に、池袋・東京芸術劇場で12:30開演の『いきなり本読み! in 東京芸術劇場』を観ていた。
長くて3時間くらいだろうから上映には間に合うだろうと思っていたのだが、予想外に延び(タイトルからもわかるとおり、全てが「いきなり」で予想がつかない公演だった)、16時に終演した(途中15分の休憩あり)。
楽しい公演だったから、長く演ってくれたことに嬉しい悲鳴を上げたのだが、終演後は焦りの悲鳴に変わった。
とてもラッキーなことに電車の乗り継ぎがスムーズに運び、16時23分に映画館の座席に着いた。
5分間の予告編をこんなに有難いと思ったことはなかった。

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