舞台『笑の大学』(2023年版)

初演から27年の時を経て、満を持して自身初演出の名作『笑の大学』(三谷幸喜作・演出。以下、本作)は、まさに「現在の」三谷ワールドそのものだった。
(注意:本稿、ストーリー紹介や、個々のシーンの感想、俳優に関する感想などは一切書いていません)

本作は、三谷幸喜氏が主宰を務めていた劇団『東京サンシャインボーイズ』解散後、元劇団員だった近藤芳正氏から、同じく元劇団員の西村雅彦(現まさ彦)氏との二人芝居をとの依頼を受けて書いたもので(経緯については、本稿末の「メモ」参照)、初演(1996年)・再演(1998年)とも演出は山田和也氏であった。その後、映画化され、外国語版(ロシア語、イギリス語、韓国語、広東語)を経て、2023年の再再演は、ようやく三谷氏自身の演出で上演された。

元々が近藤・西村両氏(ともに劇団の人気俳優)への「あてがき」ではあったが、物語の普遍性は外国語版で実証済みであり、だから今回、三谷氏自ら演出を手がけることになっても、大きな変更は加えられていない(事ある毎に拙稿に書いているが、普遍的な物語がこんなに書けるのは、本当に凄いことだと思う)。
というか、三谷氏本人が『託せる俳優さんが揃わなければ、やりたくなかった』とインタビューやパンフレットで語っているとおり、俳優に合わせて改変する気は元々なかったということだろう。
だから、過去作を観た私でも、何も不安になることなく、安心して物語に身を委ねることができた。

私は、三谷氏作・演出の『ショウ・マスト・ゴー・オン』(2022年上演)についての拙稿で、最近の三谷氏の作品は、『劇場に集った観客全員が、一人も脱落することなく、観客各々で大きな差異が出ることなく、確実に理解・共有できる』と書いたが、それは本作でも踏襲されている(というか、30年も前から、そういう方向性を打ち出していたことがわかって、結構驚いた)。

構造的にも『ショウ~』と同じで、「外野が次々起こす無茶苦茶なハプニングの対処に主人公が翻弄されながらも、それらを次々解決し、ゴールを迎える」というもので、『ショウ~』ではスタッフや役者が起こすアクシデントに舞台監督が振り回され、本作では、検閲官・向坂(内野聖陽)の無茶な要求に喜劇作家・椿(瀬戸康史)が振り回される(ちなみに、両作品の初演では、『ショウ~』で振り回された舞台監督役の西村氏が、本作では振り回す方の向坂を演じていた、というのは興味深い)。

これも拙稿に書いたことだが、本作においても、人物の言動は理性的であり、向坂の要求も、個々については論理が破綻しているが、その要求に至る経緯や椿の対処も説明可能で理性的である(だから、個々の要求は論理が破綻していても観客は混乱しない。何故なら、向坂には「上演中止に追い込む」という理性的かつ説明可能な理由があるから)。

本作を観ていると、「やっぱり三谷幸喜って、『ストーリー・テラー』なんだなぁ」と思う。それはつまり、本作が、予め設定されたゴール(本作の場合、劇団「笑の大学」の新作舞台の上演許可が下りること)に向かう過程に、どれだけの障壁が設定でき、それをいかに解決(或いは回避)できるか、という作者のアイデア(計算)で出来ているということだ。

ふと、少し前に映画『生きててごめんなさい』についての拙稿を書くのに軽く読み返した、保坂和志著『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫、2008年)にあったエピソードを思い出した。

漫画『ガラスの仮面』の作者・美内すずえ氏が、あるインタビュー番組で『私は作者なんですから、描きつづけている作品がこれからどうなるかってことを考えてないわけないじゃないですか。『ガラスの仮面』は、私の中では結末までもう全部できてますよ』と答えたのを聞いて、保坂氏は『「ストーリー・テラーって、こういうもんなんだなあ」と痛感』する。
保坂氏が痛感したのは、『ストーリー・テラーは、結末をまず決めて、それに向かって話を作っていく』(太字部、原文は傍点)と得心したからだ。

それについて違和感を抱かない(というか、それが「物語を書くこと」だと思っている)人もいるかもしれないが、舞台上で向坂に無理難題を吹っ掛けられる椿を演じる瀬戸康史を観ながら、私はさらに、彼が少し前に出演した舞台『世界は笑う』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)作・演出、2022年)を思い出していた。

これは、敗戦後の喜劇役者たちを描いた物語で、KERA氏の『内面をうめくように告白する、一種の私戯曲』と評された作品だ。
劇中で大倉孝二演じる喜劇役者・多々見鰯たたみいわしが『俺も入院中さ、毎日笑いの事考えてんだろ? 何か可笑しいことはねぇか、もっと違う笑いはねぇか。そうすっとさ、こうやって暗ぁい病院で、ベッドに俺が横たわってる、その事が一番可笑しいんじゃねぇかなって思えてくるんだよな』と言う。
それに応えて、笑いを突き詰め過ぎて精神を病んでしまった千葉雄大演じる喜劇作家が言う。
『あの人がああやって座ってることや、こんな風に鰯兄さんと俺が話していることや、ここに長椅子があることや……そういうのが一番可笑しいんですよね、本当は……あざとくなくて』

保坂氏は『ストーリー・テラー的な発想は小説ではない』と言っていて、それは優劣の問題ではなく考え方の違いであるが、彼の云う「小説の条件」の中に、『小説は"細部"が全体を動かすという独特の力学を持っている表現形態』というのがある。
ここで言われている"細部"とは、KERA作品の鰯や喜劇作家が言っていることとも通じる。
つまり、外部からの働きかけで物語を動かす(あざとさ)のではなく、内部(細部)が勝手に物語に働きかけてしまうのである(故に、予めゴールが設定できない)。

先述したように、これは物語に対するアプローチの違いであり、大きく言えば「作家性」である。良し悪しや優劣では、決してない。

などと考えているうちに、本作は終幕に近づいている。
我々観客は、いっぱい笑った後、椿の将来の身を案じてしんみりし、向坂の意外な一面を知り感激する。
「あぁ、いいお話だった」
今まで2時間観客を賑わせていた大混乱もスッキリ片づき、穏やかな雰囲気で幕を閉じる。

「向坂さん、いい人じゃん!」
と思いそうになったが、何か腑に落ちない。私のイメージでは、二人で最後まで台本を練っていたような……
そう、初演は、向坂が、お宮が飲む薬を『飲み薬だとあんなに長くセリフを喋っていられないから、すぐに効果が出ない座薬に変更しよう』と提案し、向坂が「実は、下ネタ好き」ということが明かされる。
そして二人で台本を書き直し始める、という幕切れだった。

まぁこれは、西村氏への「あてがき」だったのだろうし、それ以上に、物語の続きを想起させるモヤモヤした終わり方は、「全ての観客に満足して劇場を後にしてもらう」という「現在の」三谷氏のポリシーに合わないのだろうなぁ、と。

メモ

舞台『笑の大学』
2023年2月18日 マチネ。@PARCO劇場

本文の結末、さらに言えば、向坂を「下ネタ好き」にしてしまうと、「真面目に考えれば考えるほど、面白くなってしまう」という本作の意図から外れてしまうことになるし、向坂が(下ネタだからではなく、言動=キャラの一貫性が崩れてしまうという意味で)理性的でなくなってしまう。

それはそうと、本作パンフレットの「ご挨拶」にて、三谷氏がこう記している。

1996年に初演した『笑の大学』は、僕にとって思い入れの深い作品です。
もともとは近藤芳正さんから、西村雅彦(現まさ彦)との二人芝居を書いてほしいと頼まれたのが始まりでした。(略)ちょうどその頃に、戦前の浅草を舞台にした芝居を観ました。それを観ている間に、自分ならこの設定でどんな芝居を作るだろうかと考えた。きっとあまり面白くなかったんだろうな。
(略)
近藤さんが演じた椿のモデルは、戦前のエノケン一座で座付き作家をしていた菊谷栄さんです。

ここに書かれた『戦前の浅草を舞台にした芝居』というのは、断定はできないが、個人的には、1994年上演の舞台『洒落男たちモダンボーイズ』(作・横内謙介、演出・河毛俊作、主演・木村拓哉)ではないかと推測している。実際、この芝居には菊谷栄役で平田満氏が出演している。

さらに、もっと限定すれば、三谷氏は1994年2月12日公演回を観たのではないか……何故そう思うかといえば、1998年再演版のパンフレットにこう書いてあるからだ。

『笑の大学』のプロットは、ある芝居を観ている時に思い付きました。あんまり芝居は観ないんです。その舞台は知合いが大勢出ていたので仕方なく観に行ったんだけど、よりによってその日は大雪、開演は30分遅れ客席はガラガラ。やなとこ来ちゃったなって感じでした。芝居もつまんなくて、しようがないから上演中ずっと"自分だったらこの設定でどんな芝居を作るかな"ってそんな事ばかり考えていて、そうやって出来たのが『笑いの大学』のストーリーです。芝居が終わるまでにはプロットは完成していました。だから、なぜ戦前の浅草を舞台にしたのかと聞かれたら、その時観た芝居の設定が戦前の浅草だったからとしか答えようがない。内容的には自分がその時代に劇作家として生きていたら、何を考えどんな行動を取ったか、そんな事から話を作りました。

いくら本作誕生の経緯だからと言っても、これだけ書くということは、よほど「つまんない」芝居だったのだろう、というか、実際つまんなかったのだが、何故そう言えるのかというと、私も観たからだ。大雪の日に。
1994年2月12日。東京に大雪が降った。劇場に電話したら、上演するとの返事だったので、頑張って行った……。どうだったかというと、上記三谷氏のコメントどおりである。


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